2011-08-18
最後のマッチ・・・(美月)
《2009年 12月25日の記事です》
先日、アンデルセンの話を書いた時に過去の記事を思い出したので貼っておきます。
クリスマスを迎えると思い出す、マッチ売りの少女の話。
初めて読んだ時から、最後のシーンが戦慄過ぎて、未だに感想文が書けない。
もちろん天国に夢を託して幸せになれるほど、観えない世界に希望を抱いている訳ではないけれど、でもね、冷たい地面の上で独り野垂れ死んだとしても、最後にあったかいものが感じられたら幸せだろうと思っていた。
昨日は午前中仕事をこなし、午後はささやかなクリスマスの買出しの為、大型ショッピングモールに独りで出かけた。
そこにクリスマスイベントでメジャーデビューしながら、メージャーになれないバンドが出ていた。
男性二人、女性一人で結成されたバンド、男女のツインボーカルに惹かれ、暫し足を止め聞き入ってしまった。
大きなクリスマスツリーの前で歌われた「サイレントナイト」、3人の見つめる先には、まるで星が輝いているように見えた。
その澄んだ歌声を聴いていたら、なぜか?とても今の自分が恥ずかしくなった。
今を穏やかに過ごす為に捨てているものがあることは知っている。
守るべきものを守る為には、今が必要であるのだろうと思いながら、どこかで虚しさを感じてるくせに、そうでありながら信念を貫くことさえしない、牙を抜かれた虎に成り下がっている自分がいた。
きっと年齢を重ねてきた人なら、皆、同じだろうね、と言ってくれる人がいるかもしれないね。
でもね、私にとっての今の私って、ちょこっと出来すぎなんだよね。
いつも偉そうなことばかり書いているけれど、本当はね、人を敬えるほど心から人々の幸福を願えているのか?といえば嘘に近いような気がするし、それほどまで精神的に大人になれている訳ではないと思う。
一皮剥いたら、子供の頃のまんまなんだよね。
辛い事があったら逃げ出したいと思うし、逃避したいと思う。
昔はね、算盤塾をサボって、夕方の神社に逃げ込んだ。
神社の境内の裏には、小さな竹やぶがあった。
小学生が身を隠す場所として神社を選ぶなんて、少しオカルトチックであったけれど、私はお化けなどちっとも怖くなかった。
それ以上に生きている人間の方がよっぽど怖くて、笹が風に揺れる音がざわめいて聞こえた。
もし?その時に小さく丸めた背中を後ろから優しく抱きしめられたら、私は神隠しであろうとそのまま着いていってしまったかもしれないなぁ(^^ゞ
でもね幸運なことにそうはならず、その代わりに竹やぶの隙間から月だけ見えた。
月はね、ずっと幼い頃に私が持っていた鏡の世界と同じように心を映す秘密道具だった。
鏡の中と外で、私は二人の私といつも話をしていた。
もちろん誰にも裏と表があるだろうけれど、私の場合は極端に違う個性が同時に育ってしまったのかもしれない。
もう独りの私は暗い思想の持ち主で、きっと誰からも嫌われるだろうと思っていた。
でもどちらが本物だったかと言えば、鏡の中の私が表の私を映し出していたのかもしれないけどね。
それを隠そうとしていたのかもしれないけれど、それはね、子供の頃に誰もが持つ感情の一つなのかもしれないと、今は思うようになったよ。
でもね、本当はもう独りの私も同じように愛してもらいたかったんだろうね。
そう思うと、私はずっと愛を求めて彷徨ってきたことになるのかなぁ・・・。
毎年クリスマスの夜になると、幸せについて考えさせられてしまうのは、マッチ売りの少女のせいかもしれない。
最後のマッチの炎の中に彼女に見えたものが幸福への階段だとしたら、私の瞳が求めるものは先生の微笑みだと思う。
PS・・・母の誕生日は昭和11年1月1日です。
でも本当はね、昭和10年12月25日に生まれました。
暮れ押し迫る頃は誰もが忙しくて、出生届けを出しに行くのも面倒だったのか?
当時としてはあまり珍しい事ではなかったようですが、母の誕生日は摩りかえられてしまいました(^^ゞ
親の思いとしては(祖父母)、女の子は一つでも若い方が嫁に行く時に有利だろうと思ってくれたらしいのですが、母にとってはどちらでも良かったそうです。
どちらにしてもこの世に生を受けたことで父に出会えたのだからね(*^_^*)
先日、アンデルセンの話を書いた時に過去の記事を思い出したので貼っておきます。
クリスマスを迎えると思い出す、マッチ売りの少女の話。
初めて読んだ時から、最後のシーンが戦慄過ぎて、未だに感想文が書けない。
もちろん天国に夢を託して幸せになれるほど、観えない世界に希望を抱いている訳ではないけれど、でもね、冷たい地面の上で独り野垂れ死んだとしても、最後にあったかいものが感じられたら幸せだろうと思っていた。
昨日は午前中仕事をこなし、午後はささやかなクリスマスの買出しの為、大型ショッピングモールに独りで出かけた。
そこにクリスマスイベントでメジャーデビューしながら、メージャーになれないバンドが出ていた。
男性二人、女性一人で結成されたバンド、男女のツインボーカルに惹かれ、暫し足を止め聞き入ってしまった。
大きなクリスマスツリーの前で歌われた「サイレントナイト」、3人の見つめる先には、まるで星が輝いているように見えた。
その澄んだ歌声を聴いていたら、なぜか?とても今の自分が恥ずかしくなった。
今を穏やかに過ごす為に捨てているものがあることは知っている。
守るべきものを守る為には、今が必要であるのだろうと思いながら、どこかで虚しさを感じてるくせに、そうでありながら信念を貫くことさえしない、牙を抜かれた虎に成り下がっている自分がいた。
きっと年齢を重ねてきた人なら、皆、同じだろうね、と言ってくれる人がいるかもしれないね。
でもね、私にとっての今の私って、ちょこっと出来すぎなんだよね。
いつも偉そうなことばかり書いているけれど、本当はね、人を敬えるほど心から人々の幸福を願えているのか?といえば嘘に近いような気がするし、それほどまで精神的に大人になれている訳ではないと思う。
一皮剥いたら、子供の頃のまんまなんだよね。
辛い事があったら逃げ出したいと思うし、逃避したいと思う。
昔はね、算盤塾をサボって、夕方の神社に逃げ込んだ。
神社の境内の裏には、小さな竹やぶがあった。
小学生が身を隠す場所として神社を選ぶなんて、少しオカルトチックであったけれど、私はお化けなどちっとも怖くなかった。
それ以上に生きている人間の方がよっぽど怖くて、笹が風に揺れる音がざわめいて聞こえた。
もし?その時に小さく丸めた背中を後ろから優しく抱きしめられたら、私は神隠しであろうとそのまま着いていってしまったかもしれないなぁ(^^ゞ
でもね幸運なことにそうはならず、その代わりに竹やぶの隙間から月だけ見えた。
月はね、ずっと幼い頃に私が持っていた鏡の世界と同じように心を映す秘密道具だった。
鏡の中と外で、私は二人の私といつも話をしていた。
もちろん誰にも裏と表があるだろうけれど、私の場合は極端に違う個性が同時に育ってしまったのかもしれない。
もう独りの私は暗い思想の持ち主で、きっと誰からも嫌われるだろうと思っていた。
でもどちらが本物だったかと言えば、鏡の中の私が表の私を映し出していたのかもしれないけどね。
それを隠そうとしていたのかもしれないけれど、それはね、子供の頃に誰もが持つ感情の一つなのかもしれないと、今は思うようになったよ。
でもね、本当はもう独りの私も同じように愛してもらいたかったんだろうね。
そう思うと、私はずっと愛を求めて彷徨ってきたことになるのかなぁ・・・。
毎年クリスマスの夜になると、幸せについて考えさせられてしまうのは、マッチ売りの少女のせいかもしれない。
最後のマッチの炎の中に彼女に見えたものが幸福への階段だとしたら、私の瞳が求めるものは先生の微笑みだと思う。
PS・・・母の誕生日は昭和11年1月1日です。
でも本当はね、昭和10年12月25日に生まれました。
暮れ押し迫る頃は誰もが忙しくて、出生届けを出しに行くのも面倒だったのか?
当時としてはあまり珍しい事ではなかったようですが、母の誕生日は摩りかえられてしまいました(^^ゞ
親の思いとしては(祖父母)、女の子は一つでも若い方が嫁に行く時に有利だろうと思ってくれたらしいのですが、母にとってはどちらでも良かったそうです。
どちらにしてもこの世に生を受けたことで父に出会えたのだからね(*^_^*)
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