2009-09-20
夫婦漫才・・・(美 月)
最近,得意のサボり癖が出てしまったのか?ブログの更新をしなかった。
特別、感性が鈍ってきたとは思わないけれど、書きたいものと書くものが違ってきたような気がして、ちょこっとジャンルでも変更しようかな??とも思ったりしてる(*^_^*)
・・・・・・などと、私ごときが書くと偉そうでしょ!?・・先生っ(^_-)-☆
今夜はね、夫婦漫才みたいなおもろい世界が書きたくなった。
それは結婚という誓約の中の夫婦ではなく、もっと自由な関係(コンビ漫才のような・・・)世界を書いてみたいと思ってる。
私は父の影響もあってか?子供の頃から落語や漫才が好きで、その中でも唄子・啓介の夫婦漫才も大好きな一組だった。
「このエロガッパ!」 「エッ?鳳啓助デゴザイマス」 「ポテチン」 「大きな口」とお互いにお互いを貶しあう中にも、あのぴったりと息の合った間合いは、稽古だけでは決して得ることができないお互いの感性の統合があるような気がしていた。
出会ったばかりの頃、先生が私のことを「貧乳女っ!」と言ったことがあって、カァ~っ!と頭に血が上ってそっぽを向いたことがあったけれど、でもね、その時、先生から「長い付き合いをするなら貧乳、粗チンっ!と言い合える関係にならなくてはいけない!」と言われたことがあるんだよね(^^ゞ
あのね・・・先生ぇ・・・。
だけどねっ!この年になっての恋愛って失われた美しい記憶を追い求めたりするものでもあるでしょ!?
釣った魚に餌をやらない男と釣られたからには梃子でも動かない女・・・。
それが今、世に言う夫婦であってね、恋愛関係では多少成り褒めあうことも必要じゃないのかなぁ(笑)
まあね、先生は元々恋愛に興味はなく、女に媚を売る時間があったら本を読むか?小説を書くか?一時の気の迷いやまやかしの舞台で踊るようなピエロではないことくらい、出会ってすぐの頃だって多少なりとは感じていたけれどね。 でもね、実は私もそう思っていました\(^o^)/
世の中には夫の代りだっているだろうし、恋人の代りだっているだろうね。
男も女も五萬といる世の中だからね。 多少の妥協があれば、それなりの恋愛だって出来るし、結婚だって出来るだろうね。
だけどね、何もこの年になってから、妥協してまで人に寄り添って生きなくてもいいと思うんだよ。
人生47年分・・・生き方くらいは学んできた。
だけど「夫婦善哉」のミヤコ蝶々・南都雄二にも言えることだけれど、たとえ夫婦という関係に別れを告げてもコンビ解消とならなったのは、コンビとしては同性、異性問わず、自分の脇に立てる役を他に見つけることができないことを知っていたからだと思う。
私が描いた理想の夫婦像はもちろん両親の姿でもあったけれど、「目指す夫婦とは何か?」との原点となっているのが、唄子・啓介の「おもろい夫婦」のようなおもろい世界だったのかもしれない。
番組は熟年夫婦を毎回2組招いて京唄子・鳳啓助の名コンビが結婚の馴れ染めから夫婦の悩み事までおもしろおかしくインタビューしながら進行していく。 笑いあり、涙あり、エロさあり、それが素人ならではのボケと突っ込みと合い交われば、誰にも真似の出来ないその日限りの最高の舞台となって描かれていくんだよね。
そして番組のエンディングには農村地で夫の挽く荷台に妻が乗り、赤ん坊に授乳するシーンが流れる。 「夫婦おもろきかな、おもろきかな…。」と啓介の書いたテロップが写しだされていた。
これがね、妙?にじんわりと来てしまって、乳房の中に夫婦愛が見えてくるんだから、私はこんな世界を演出できる啓介の感性って見かけは本当にどこから見てもエロガッパであっても(笑)、その感性は真に素晴らしいと思ったし(笑)、夫婦って、やっぱりおもしろくなくっちゃ夫婦じゃないんだなぁ?と思った。 それは今でも思ってることだけどね(*^^)v
と言うもの、私はこんなおもろい夫婦を実際に知っているから、余計に感じるのかもしれない。
もちろん私の両親もかなりおもろい夫婦だったけれど、私の育った商店街には、商店街に常駐のテキヤさん(おでん、焼き芋、焼き鳥、たこ焼き)も多く店を出していた。
うちの店の隣は大家さんがやっていた下着屋さんを閉めてから、日替わりでいろんなテキヤさんが店を出していた。 それは七味唐辛子、あさり、飴細工、りんご飴、ポンポン焼き、地方から来る行商の人達も沢山いて、私は毎日プロの技とその職ならではの口上を目の当たり見聞きすることができたことは、今でも貴重な財産だと思ってる(*^_^*)
テキヤの中でもたこ焼きに対する思いは熱く、私は商店街のテキヤ夫婦のたこ焼き以上の味に、この先も出会えると思えないほど、そのたこ焼きは美味しかった。
たこ焼き屋のおじさんは良い人なんだけどね、酒好きでヤクザ上がりだから、喧嘩でちょくちょく警察のお世話にはなるし、奥さんに対しても気に入らないと客がいようが物を投げたりする。
だけどね、それでいて誰よりも奥さん自慢で「俺はかあちゃんがいなかったら、とっくの昔にあの世へ行ってるよ」とまったく矛盾したことを平気で言う人だった。
私は二人のことを「おじちゃん」「おばちゃん」と呼んでいて学校から帰ると、いつも温かいたこ焼きをただで貰って食べていた。 うちの店から電気と水道を貸してあげていたから、言い換えれば私は大家さんちの娘さんになるからだよねぇ?(*^^)v
だけどね、この夫婦は不真面目であっても商売にたいしては真面目で、お客さんに冷たいたこ焼きは絶対に出すことはなかった。
「冷めたたこ焼きなんて、人間の食えるもんじゃないっ!」と二人して口裏を合わせて言うほどの睦まじさ(笑) 客足の増える夕方になると、ある程度の作り置きはするけれど、決してプラケースにたこ焼きを盛っては置かない。
それにね、すぐその場で食べる人と、家に持って食べる人とでソースの分量を分けていたからね。
ソースの刷毛を三度返し塗りする時はその場で食べる人。 四度塗りは持ち帰る人。
誰も知らないことだったけれど、でもねその秘密に気づいた日は、まるで天下を取ったくらい気持ちが良かったよ・・・1人でウキウキしちゃった(笑)
たかがたこ焼き・・・されどたこ焼きです・・・。
店構えが食を提供するのではなく、腕が食を提供してこそ料理人の心粋ってもんだからね。
だから屋台と言えども味はとても研究されていて、うどん粉の中の微量なカレー粉と水の配分で成り立つ生地は、決して他に真似できるものではなかった。
そんな大事な企業秘密まであっさり暴露してしまう夫と、それでいて妻も負けず嫌いだから「真似されたってお客がたこ焼きって美味しい!と言って食べてくれたらそれでいいんだよ!」とあっさりと言ってしまう(^_^;)
私は商店街を離れてからもあのたこ焼きがどうしても食べたくて、遠い味の記憶を辿っては何度も挑戦したけれど、未だにあの味だけは出せない。
もしかしたらね・・・材料だけの問題ではなく、私にはお金を頂くということに欠けていて、商売人としての心粋が足りないのかもしれないと思う。 世の中には無償の恵みもあれば、利益によって与えられる満足もあるのだからね。
だけどこんな夫婦にお金が貯まるわけもなく、二人の子供(姉妹)はいつも寒い路上の上で寄り添いながら店を手伝っていたけれど、親の愛情はね、どこの子供よりも沢山貰っているだろうことは、二人の笑顔の数で知ることが出来たよ。
ある日・・・いつも気の強いおばちゃんが浮かない顔をしている時があった。
「どうしたの?」と聞いたらね・・・「おじちゃんもさすがに今度は、長く帰って来れないかもしれない」と言ってしょげていた(>_<)
たまたま喧嘩した相手が一般の人で、転んだ拍子に腕に怪我をしてしまったらしい。
おじちゃんは素人さんには手を出さない人だったらしいけれど(^^ゞ、たまたま相手が酔った勢いでヤクザ紛いの啖呵を切ったものだから、ついつい同業者だと思ったらしいんだけどね・・・(まあ、それもどうかと思うけれど・・・)
「それでおじちゃんどうしてる?」と聞いたら、おばちゃんは「おじちゃんには逢えない」と言った。
「どうして逢えないの?」と聞いたらね・・・「家族じゃないからまだ逢えない」と言っていた。
二人はね、正式な夫婦じゃなかったんだよね。 私もその時、初めて知ったよ。
おじちゃんはおばちゃんと出会う前から前科があって「産まれて来る子供が、前科もんの子では可哀想だ」とおじちゃんが籍を入れてくれなかったらしい。
おばちゃんも元々、瘋癲(ふうてん)に近い生活だったから、一般的な保障契約など求めることも考えなかったらしいけれど、でもね、二人は誰の眼にもちゃんと夫婦として映っていたし、二人の絆は誓いの言葉以上に強かったのだろうと今でも思う。
それから暫くしておじちゃんが帰ってきた。 それも頭を坊主に丸めてねっ(笑)
「たこ焼き屋の親父が本物の蛸になってどうする?」とおじちゃんに言ったら、今度ばかりはおばちゃんにこっぴどく怒られて、頭を丸めて詫びたらしいよっ(^^♪
だけどね、申し訳無さそうに照れて頭を掻くおじちゃんを見つめるおばちゃんは、とっても嬉しそうだったなぁ?。 やっぱりね、夫婦屋台の看板掲げているんだもん、二人揃って店は開けるもんだよね。
その時、「二人でおもろい夫婦に出たらっ?」と何気なしに言ったことを思い出す。
「夫婦で恥を晒すのは、ここだけで十分だっ!」とおじちゃんが言ったら、おばちゃんはケラケラ笑っていたっけ。
「それなら私が二人におもろい夫婦の称号を渡すよ」と言って、私は初めてたこ焼き代を払った。普段は絶対に私からはお代を受け取ってくれないのに、その日だけは夫婦で顔を見合わせた後に、おじちゃんが「よし!”」と言ってお金を受け取ってくれた(^_-)-☆
たこ焼きはね、二つ分来たよ(*^_^*)
一つはね、お代を頂いた分で・・・・もう一つは、いつものたこ焼き分だって・・・(笑)
こんな粋な会話ができる日常を、私はごくごく当たり前のように思っていた。
だけどね、それは同じ感性を持っていないと成立しない世界であったのだろうと思うと、昔がやけに愛おしく思えてきて、泣きたくなるほど懐かしくなる時がある。
だけどね、私は泣かない・・・。
先生と一緒にいると、私は昔のまま全てをありのまま観ていた頃の私でいられるよう気がするからだよね。 それは馴染みのおでん屋さんにいる時も感じてる。
だからね、時折???わがままやべらんめぇ?口調が出てしまったりするけれど、先生はね・・・まったく!とあきれた顔して笑ってくれてる。 先生の微笑の中に懐かしい故郷が今もあるんだよ。
人の心は変わるらしいね・・・そう言われたことがあるよ。
だけどね・・・人の心はそうそう変わるものではないんだよ。
心なんてね、そうそう変わるものではなく・・きっとね、最初から本性を隠していただけのことなのだろうね。 人は自分の非を認めることができないから、変わったのだと嘘を付く。
嘘を付くならね・・・永遠の嘘を付く覚悟が必要だということを知らない者に、嘘を付く資格がないことを知らないのかなぁ??
「愛してるっ?」てね・・・相手に問いただして聞くことではないんだよね。
千の言葉で愛を確認しあったからと言って、愛が永遠に継続するものでもないのだからね。
ずっとずっと後になってね・・・二人で思い出を振り返った時に、じんわりと心があったかくなるくらいで丁度いいと思う。
美月より(*^_^*)
特別、感性が鈍ってきたとは思わないけれど、書きたいものと書くものが違ってきたような気がして、ちょこっとジャンルでも変更しようかな??とも思ったりしてる(*^_^*)
・・・・・・などと、私ごときが書くと偉そうでしょ!?・・先生っ(^_-)-☆
今夜はね、夫婦漫才みたいなおもろい世界が書きたくなった。
それは結婚という誓約の中の夫婦ではなく、もっと自由な関係(コンビ漫才のような・・・)世界を書いてみたいと思ってる。
私は父の影響もあってか?子供の頃から落語や漫才が好きで、その中でも唄子・啓介の夫婦漫才も大好きな一組だった。
「このエロガッパ!」 「エッ?鳳啓助デゴザイマス」 「ポテチン」 「大きな口」とお互いにお互いを貶しあう中にも、あのぴったりと息の合った間合いは、稽古だけでは決して得ることができないお互いの感性の統合があるような気がしていた。
出会ったばかりの頃、先生が私のことを「貧乳女っ!」と言ったことがあって、カァ~っ!と頭に血が上ってそっぽを向いたことがあったけれど、でもね、その時、先生から「長い付き合いをするなら貧乳、粗チンっ!と言い合える関係にならなくてはいけない!」と言われたことがあるんだよね(^^ゞ
あのね・・・先生ぇ・・・。
だけどねっ!この年になっての恋愛って失われた美しい記憶を追い求めたりするものでもあるでしょ!?
釣った魚に餌をやらない男と釣られたからには梃子でも動かない女・・・。
それが今、世に言う夫婦であってね、恋愛関係では多少成り褒めあうことも必要じゃないのかなぁ(笑)
まあね、先生は元々恋愛に興味はなく、女に媚を売る時間があったら本を読むか?小説を書くか?一時の気の迷いやまやかしの舞台で踊るようなピエロではないことくらい、出会ってすぐの頃だって多少なりとは感じていたけれどね。 でもね、実は私もそう思っていました\(^o^)/
世の中には夫の代りだっているだろうし、恋人の代りだっているだろうね。
男も女も五萬といる世の中だからね。 多少の妥協があれば、それなりの恋愛だって出来るし、結婚だって出来るだろうね。
だけどね、何もこの年になってから、妥協してまで人に寄り添って生きなくてもいいと思うんだよ。
人生47年分・・・生き方くらいは学んできた。
だけど「夫婦善哉」のミヤコ蝶々・南都雄二にも言えることだけれど、たとえ夫婦という関係に別れを告げてもコンビ解消とならなったのは、コンビとしては同性、異性問わず、自分の脇に立てる役を他に見つけることができないことを知っていたからだと思う。
私が描いた理想の夫婦像はもちろん両親の姿でもあったけれど、「目指す夫婦とは何か?」との原点となっているのが、唄子・啓介の「おもろい夫婦」のようなおもろい世界だったのかもしれない。
番組は熟年夫婦を毎回2組招いて京唄子・鳳啓助の名コンビが結婚の馴れ染めから夫婦の悩み事までおもしろおかしくインタビューしながら進行していく。 笑いあり、涙あり、エロさあり、それが素人ならではのボケと突っ込みと合い交われば、誰にも真似の出来ないその日限りの最高の舞台となって描かれていくんだよね。
そして番組のエンディングには農村地で夫の挽く荷台に妻が乗り、赤ん坊に授乳するシーンが流れる。 「夫婦おもろきかな、おもろきかな…。」と啓介の書いたテロップが写しだされていた。
これがね、妙?にじんわりと来てしまって、乳房の中に夫婦愛が見えてくるんだから、私はこんな世界を演出できる啓介の感性って見かけは本当にどこから見てもエロガッパであっても(笑)、その感性は真に素晴らしいと思ったし(笑)、夫婦って、やっぱりおもしろくなくっちゃ夫婦じゃないんだなぁ?と思った。 それは今でも思ってることだけどね(*^^)v
と言うもの、私はこんなおもろい夫婦を実際に知っているから、余計に感じるのかもしれない。
もちろん私の両親もかなりおもろい夫婦だったけれど、私の育った商店街には、商店街に常駐のテキヤさん(おでん、焼き芋、焼き鳥、たこ焼き)も多く店を出していた。
うちの店の隣は大家さんがやっていた下着屋さんを閉めてから、日替わりでいろんなテキヤさんが店を出していた。 それは七味唐辛子、あさり、飴細工、りんご飴、ポンポン焼き、地方から来る行商の人達も沢山いて、私は毎日プロの技とその職ならではの口上を目の当たり見聞きすることができたことは、今でも貴重な財産だと思ってる(*^_^*)
テキヤの中でもたこ焼きに対する思いは熱く、私は商店街のテキヤ夫婦のたこ焼き以上の味に、この先も出会えると思えないほど、そのたこ焼きは美味しかった。
たこ焼き屋のおじさんは良い人なんだけどね、酒好きでヤクザ上がりだから、喧嘩でちょくちょく警察のお世話にはなるし、奥さんに対しても気に入らないと客がいようが物を投げたりする。
だけどね、それでいて誰よりも奥さん自慢で「俺はかあちゃんがいなかったら、とっくの昔にあの世へ行ってるよ」とまったく矛盾したことを平気で言う人だった。
私は二人のことを「おじちゃん」「おばちゃん」と呼んでいて学校から帰ると、いつも温かいたこ焼きをただで貰って食べていた。 うちの店から電気と水道を貸してあげていたから、言い換えれば私は大家さんちの娘さんになるからだよねぇ?(*^^)v
だけどね、この夫婦は不真面目であっても商売にたいしては真面目で、お客さんに冷たいたこ焼きは絶対に出すことはなかった。
「冷めたたこ焼きなんて、人間の食えるもんじゃないっ!」と二人して口裏を合わせて言うほどの睦まじさ(笑) 客足の増える夕方になると、ある程度の作り置きはするけれど、決してプラケースにたこ焼きを盛っては置かない。
それにね、すぐその場で食べる人と、家に持って食べる人とでソースの分量を分けていたからね。
ソースの刷毛を三度返し塗りする時はその場で食べる人。 四度塗りは持ち帰る人。
誰も知らないことだったけれど、でもねその秘密に気づいた日は、まるで天下を取ったくらい気持ちが良かったよ・・・1人でウキウキしちゃった(笑)
たかがたこ焼き・・・されどたこ焼きです・・・。
店構えが食を提供するのではなく、腕が食を提供してこそ料理人の心粋ってもんだからね。
だから屋台と言えども味はとても研究されていて、うどん粉の中の微量なカレー粉と水の配分で成り立つ生地は、決して他に真似できるものではなかった。
そんな大事な企業秘密まであっさり暴露してしまう夫と、それでいて妻も負けず嫌いだから「真似されたってお客がたこ焼きって美味しい!と言って食べてくれたらそれでいいんだよ!」とあっさりと言ってしまう(^_^;)
私は商店街を離れてからもあのたこ焼きがどうしても食べたくて、遠い味の記憶を辿っては何度も挑戦したけれど、未だにあの味だけは出せない。
もしかしたらね・・・材料だけの問題ではなく、私にはお金を頂くということに欠けていて、商売人としての心粋が足りないのかもしれないと思う。 世の中には無償の恵みもあれば、利益によって与えられる満足もあるのだからね。
だけどこんな夫婦にお金が貯まるわけもなく、二人の子供(姉妹)はいつも寒い路上の上で寄り添いながら店を手伝っていたけれど、親の愛情はね、どこの子供よりも沢山貰っているだろうことは、二人の笑顔の数で知ることが出来たよ。
ある日・・・いつも気の強いおばちゃんが浮かない顔をしている時があった。
「どうしたの?」と聞いたらね・・・「おじちゃんもさすがに今度は、長く帰って来れないかもしれない」と言ってしょげていた(>_<)
たまたま喧嘩した相手が一般の人で、転んだ拍子に腕に怪我をしてしまったらしい。
おじちゃんは素人さんには手を出さない人だったらしいけれど(^^ゞ、たまたま相手が酔った勢いでヤクザ紛いの啖呵を切ったものだから、ついつい同業者だと思ったらしいんだけどね・・・(まあ、それもどうかと思うけれど・・・)
「それでおじちゃんどうしてる?」と聞いたら、おばちゃんは「おじちゃんには逢えない」と言った。
「どうして逢えないの?」と聞いたらね・・・「家族じゃないからまだ逢えない」と言っていた。
二人はね、正式な夫婦じゃなかったんだよね。 私もその時、初めて知ったよ。
おじちゃんはおばちゃんと出会う前から前科があって「産まれて来る子供が、前科もんの子では可哀想だ」とおじちゃんが籍を入れてくれなかったらしい。
おばちゃんも元々、瘋癲(ふうてん)に近い生活だったから、一般的な保障契約など求めることも考えなかったらしいけれど、でもね、二人は誰の眼にもちゃんと夫婦として映っていたし、二人の絆は誓いの言葉以上に強かったのだろうと今でも思う。
それから暫くしておじちゃんが帰ってきた。 それも頭を坊主に丸めてねっ(笑)
「たこ焼き屋の親父が本物の蛸になってどうする?」とおじちゃんに言ったら、今度ばかりはおばちゃんにこっぴどく怒られて、頭を丸めて詫びたらしいよっ(^^♪
だけどね、申し訳無さそうに照れて頭を掻くおじちゃんを見つめるおばちゃんは、とっても嬉しそうだったなぁ?。 やっぱりね、夫婦屋台の看板掲げているんだもん、二人揃って店は開けるもんだよね。
その時、「二人でおもろい夫婦に出たらっ?」と何気なしに言ったことを思い出す。
「夫婦で恥を晒すのは、ここだけで十分だっ!」とおじちゃんが言ったら、おばちゃんはケラケラ笑っていたっけ。
「それなら私が二人におもろい夫婦の称号を渡すよ」と言って、私は初めてたこ焼き代を払った。普段は絶対に私からはお代を受け取ってくれないのに、その日だけは夫婦で顔を見合わせた後に、おじちゃんが「よし!”」と言ってお金を受け取ってくれた(^_-)-☆
たこ焼きはね、二つ分来たよ(*^_^*)
一つはね、お代を頂いた分で・・・・もう一つは、いつものたこ焼き分だって・・・(笑)
こんな粋な会話ができる日常を、私はごくごく当たり前のように思っていた。
だけどね、それは同じ感性を持っていないと成立しない世界であったのだろうと思うと、昔がやけに愛おしく思えてきて、泣きたくなるほど懐かしくなる時がある。
だけどね、私は泣かない・・・。
先生と一緒にいると、私は昔のまま全てをありのまま観ていた頃の私でいられるよう気がするからだよね。 それは馴染みのおでん屋さんにいる時も感じてる。
だからね、時折???わがままやべらんめぇ?口調が出てしまったりするけれど、先生はね・・・まったく!とあきれた顔して笑ってくれてる。 先生の微笑の中に懐かしい故郷が今もあるんだよ。
人の心は変わるらしいね・・・そう言われたことがあるよ。
だけどね・・・人の心はそうそう変わるものではないんだよ。
心なんてね、そうそう変わるものではなく・・きっとね、最初から本性を隠していただけのことなのだろうね。 人は自分の非を認めることができないから、変わったのだと嘘を付く。
嘘を付くならね・・・永遠の嘘を付く覚悟が必要だということを知らない者に、嘘を付く資格がないことを知らないのかなぁ??
「愛してるっ?」てね・・・相手に問いただして聞くことではないんだよね。
千の言葉で愛を確認しあったからと言って、愛が永遠に継続するものでもないのだからね。
ずっとずっと後になってね・・・二人で思い出を振り返った時に、じんわりと心があったかくなるくらいで丁度いいと思う。
美月より(*^_^*)
- 関連記事
Powered by FC2 Blog
Copyright © 灰になるまで恋を・・・FOREVER All Rights Reserved.