月と曼珠沙華・・・(美 月)
白く輝く月の下 体擦り寄せ恋する虫に 秋の調べと線香の煙。
彼岸花・・・曼珠沙華が咲いています。
先生と湯河原に行った時にも、川沿いに群生するシダの中にひっそりと咲く一輪の紅の花を見つけました。
私の記憶の曼珠沙華は墓守の花ですが、調べたら沢山の名前が付いている花でした。
あれだけの美しい器量を持ちながら、死人花(しびとばな)、地獄花(じごくばな)、幽霊花(ゆうれいばな)、剃刀花(かみそりばな)、狐花(きつねばな)、捨子花(すてごばな)、はっかけばばあと呼ばれてしまうなんて可哀想。
日本では不吉であると忌み嫌われることもあるそうです。
美しさの中にも毒をもって生きる花の定めが、人々にそう呼ばせてしまうのかもしれませんね。
私の少女時代、父の田舎である茨城県の協和町はまだ土葬が行われていました。
もちろんその当時であっても街中の人は火葬だったのだろうと思うけれど、小さな集落では昔ながらの葬儀がまだ残っていました。
初めての神式葬儀に戸惑いながら、映画のワンシーンのような情景にどこか非現実世界を観ているような気持ちになりました。
観るもの知るものの全てが不思議で、なんでも知りたがりの私はじっと座ってなど居られません。
私の生まれ育った街(商店街)には葬儀屋さんがあって沢山の葬儀を観てきたから、その違いに触れたことでより一層興味が沸いてしまったのかもしれませんが…。
実はこの話にも沢山の思い出があるけれど、書き始めたら浦島花子になってしまいそうなので、追々書いていこうと思っています(^^♪
神式の葬儀はとても新鮮で、祖父が亡くなった悲しみが揺らいでしまうほどでした。
と言うのも祖父とはいえ一年に一度程度しか逢わないので居なくなったような気がしなかった。
目の前に死体があっても、でも本物はどこかに隠れて私達を観ているような気がしました。
それにね、とても怖そうな人だったから「おじいちゃんっ♪」なんて気軽に甘えて膝に乗れるような関係ではなかったし、祖父は若い頃、切ったばかりの竹を踏んでしまい足首から下がなく義足を付けていたので、普段東京暮らしの孫だから、見慣れない義足を気にするだろうと思い、祖父が傍に寄せなかったのかもしれませんが、どちらにしても私には近づけないほど堅物なイメージがありました。
神式葬は線香の代りに洗米、つきたてのお餅を回して千切って食べたり、お焼香のかわりに玉串奉奠(たまぐしほうてん)をしたりと本当に不思議だった・・・。
その間に陸尺(ろくしゃく)という棺かつぎや墓穴を掘る人達が準備をしていました。
子供だったから詳しい事情はよくわからなかったけれど、山盛りのご飯を食べていた4人ほどのおじさんたちが、棺の担ぎ手なのだろうと思った。
葬式のときに「本膳」として精進料理が出てきて、なぜか?「ガンモドキ(雁もどき)」は弔問客に持ち帰ってもらっていました。
神輿に見立てたお棺を陸尺が担ぎ「ひつぎ回し」を庭で行います。
棺を三回か三回半左に回すのは死者の霊が戻ってこないように、方向感覚を狂わせるためだと父が教えてくれました。
でもね戻って来たいのなら、いつでも戻してあげたら良いのにね(笑)
あの世は行ったことのない人が勝手に創った桃源郷だから、本当は行きたくない人だっていると思うのに・・・。
この世を彷徨うことを虚しいというのなら、生きている人の中にも虚しさを感じている人は沢山いるよね。
だからせめて死んでからは、あの世で彷徨わないようにと思う気持ちは愛なんだろうけれど、やっぱり生きているうちに愛をいっぱい感じたいと子供ながらに思った。
一通りの儀式が済むと棺に向かって「まき銭」をします。
半紙にくるんだ小銭を遺族が参列者に向けて撒くのですが、これが私にはどうしても蒔けない!!!
風習として「まき銭」を拾って持ち帰ると縁起がいいとされていても、どうしてもお金が蒔けなかった。
だってね、実は昔、一円玉を靴のかかと修理に使う電動具で削ってしまった時に、父にものすごい勢いで怒られて、もう少しで玉川に沈められるところだった。
それ以来、私はお賽銭も投げなくなった。
ちなみに元々お賽銭を投げるのは良くないそうですが、初詣などでは大きな寺院や神社は遠くからでも投げさせるよねぇ~(笑)
それから沢山の鳩を空に飛ばしました。これは高価な為、オプションになるらしいけど…。
でもね、安心してね、鳩はちゃんと後で帰って来るそうです(^o^)/
薄青色の空に流れて消える白い雲。
赤とんぼを先頭に親しき者達が長い列をなし、田んぼの畦道を連なりながらゆっくりゆっくりと歩いてお墓に向かって行きました。
長い列が墓地に着く頃には、土場に大きな穴が掘られていました。
深い穴に棺を入れると、みんなで土を交互にかけ、最後は神輿で蓋をしてしまいました。
お墓の周りのあちこちには、沢山の曼珠沙華が咲いていました。
どうして花が大きな円を描いて咲いているのか?私にはとても不思議な光景で、近くの見知らぬ大人に聞いてみたら、彼岸花は毒のある花だから、土葬後は死体が動物によって掘り荒されるのを防ぐためだと教えてくれました。
辺りを見回すと、私の周りにも沢山の曼珠沙華が大きな円を描いて咲いていました。
えっ!死体の上に立っていることになるよね。
土葬には墓と墓に境がなく申し訳無さそうに墓石が立ってはいても、土中のどこもかしこも墓場となっているらしいのですが、みんな親戚みたいなものだから仲が良くて良いけれど、ある程度の年月が経つとまたその近くに埋められるのだと思ったら、いつの間にか爪先立ちしながら、静かに軽く立っていた。
私が静かなのを良いことに、夏を生き抜いた墓場の薮蚊が容赦なく刺してきた。
気が狂ってしまうほどの痒みに襲われたけれど、それでも私はじっと黙って動かなかった。
私の弟は生まれもっての大馬鹿者だから、同じ場所にいても何にも感じないらしい(^_^;)
命枯れてしまう前に儚く鳴く蝉を見つけては喜んでいたけれど、私は父が幼い頃に体験した怖い話まで思い出して恐ろしくなった。
しっとりと降る雨の夜には、墓場の近くでよく人魂を見たらしい。
「この季節になると、人魂と彼岸花がこっそり人目を忍んで話しているように見えた」とまるで作家気取りで文章を弄り、母と私を脅かしたことがある。
もちろん父は脅かすつもりではなく、人魂の青光は年中見ていたと言っていた。
その時から私の曼珠沙華への思いは、死者の話し相手、墓守花になったことは間違いないよね(怒)
先生と仲良く歩いた湯河原の川辺で、ひっそりと咲く一輪の曼珠沙華を見つけた時に、ふと!遠い日の記憶を思い出した。
この花の下にも静かに眠っている人がいるのだろうか?
そしてこの花に亡き人への情を託しただろう人も、もうこの世には居ないのだろうと思ったら、堪らなく切なくなった。
私は先生の背中を小走りで追いかけた。
そして腕にしっかりとしがみ付き、どんなことがあっても離れたくないと思った。
妖艶でありながら、ひっそりと咲く曼珠沙華。
曼珠沙華の花言葉「想うはあなた一人」という。
美月
トラックバック
コメントの投稿
Powered by FC2 Blog
Copyright © 灰になるまで恋を・・・FOREVER All Rights Reserved.