帰るコール・・・(美 月)
商売をしていたこともあってか?母は毎日、化粧をしていました。 薄化粧ではありますが、リキッドのアイラインを引く時の母は女としての艶に満ちていて、私はその時ばかりは声をかけることも出来なかったくらいです。
色白の肌に黒髪、ふっくらとした頬に赤い口紅・・・。母を失ってからも私は母を見ることが出来ます。
娘が生まれた時に両親から貰った雛段を飾る時、お内裏様の隣で幸せそうな顔をしたお雛様を観ると、なぜか?母を思い出します。
人は何か物を選ぶときに自分に似ているものに惹かれるのか?お雛様も皆、顔が違っていて、お客様のお宅でも何度かお雛様を見せていただいたことがあるけれど、みんなその家に合ったお雛様の顔に見えるから不思議です。
私は残念なことに子供の頃はちっとも母に似ていなかった。
父に似てエラが張っているし、目も凹んでる。 睫は母より長いけれど、母のような通る鼻筋はないし、それにね、一番、違ったのは・・・私はソバカスがあることが何よりのコンプレックスだった(笑)
昔、ソバカスロコタンというお人形があった。そしてキャンディーキャンディーのキャンディーもソバカスがあった。 世間はソバカスが可愛いと言う!だけど大嫌いなソバカスを褒められると逃げ出したくなった(笑)
だけどね、コンプレックスなんて自分が思うほど他人は意識していないのだけれど、私にとっては人生を悲観するほど重大な問題だった(^^ゞ
一年に何度も無い休みの日でも母は化粧をしていた。 母は銭湯に行っても顔は洗わず、薄化粧をほんのり残したまま帰る人で、誰に見せることがなくても常に綺麗でいたいと思っていたんだよね。
それは生まれ持った美意識であったかもしれないけれど、母は父に映る自分を意識していたことをずっと後から知った。 母が入院中に、父と私とで連絡をしないまま見舞いに行ったことがある。その時、「こんな顔をパパに観られるのが恥ずかしい・・・」と母が拗ねたことがあった。平日、父と二人で時間の都合を合わせて母を喜ばせてあげようとしたのに・・・二人ともがっかり(^_^;)
別にね、父にとって母が美しくあろうがなかろうが、そんなことは関係なかったのだけれど、母にとっての父は、夫としての存在ではなく、何年経っても男だったのだろうと思った。
看護婦さんに聞いたら、母は父が来る日は朝から忙しかったらしい。 病院で髪をカールすることは出来ないから前髪だけをピンカールして白粉を塗り口紅を引く。
母は妻として父に逢いたかったのではなく、女として父の傍にいたのだろうと思うし、入院中、父に逢いたいと言い続けたけれど、「家に帰りたい」とはさほど言わなかった母の心が今なら少しわかるような気がする。
母の時間が止まってから幾度も季節は巡り、私は母の生きてきた時の流れに寄り添いながら今を生きているような気がします。 そう思えるようになったのも先生に出会い、そして女として愛する人のいる幸せを知ることが出来たからだと思っています。
だけどね、女を美しくしたいのなら・・・男もいつまで経っても男であるべきなのかもしれないね(^_-)-☆
そして、人と同じ年令にならなくてはわかり知れない心情があることを知りました。
特に女は体調の変化に伴う情緒であったり、それぞれの家族の年齢に合わせた行動パターンに対応しきる生活を虐げられるのですから、心の小さな歪みが与える精神的ダメージは、男性以上かもしれません。
もちろん男性も社会という乾いた砂漠を黙々と歩んでいくのだから、時に孤独感に襲われて男の威厳を求めて別の世界を彷徨うこともあると思います。
夫婦という舟を持ちながら孤独の川を漂ううちに、いつしか舟は2漕に分かれて流れていく。
静かに遠ざかって行く舟にどちらかが飛び移って行かないのは、岸を離れた時点から目指す海が違っていたことをそこで初めて知るからかな?
結婚という漠然とした幸福神話…「愛一限り」と自信を持って言えないことを悲しむよりも辛いことなどないはずなのに、今日もどこかで沢山のピエロが我を忘れて踊ってる。 だけど誰も笑わない幸せ芝居…ピエロを見ても笑えないのは、ピエロが鏡に映った自分だと知るのが怖いからかもしれないね。
私は仕事で新築の家に出向くことも多く、真新しい家の中で幸せそうな家族の笑顔を目の当たりにすると、この幸せがずっと続けくようにと願ってしまう。
家を買うことを目標に家族が一丸となって協力してきた家族に崩壊が少ないけれど、金銭的な背景や老後までの生活設計として家を買わざる負えない状況に至って家を購入した家族にとっては、家が人を食らってしまう。
人が物に振り回されるなんてね・・・愚かなことだと思うよ。 だから私はまだ家を買いたい気持ちにならないのかなぁ・・・(笑) まあね、父の持論でもあるけれど、家はお金を生まないから商売人は家に金を賭けるくらいなら商売に金を賭けろ!と言い続け、今も借家暮らしをしているくらいの人です。
それにね、最近思うのだけれど、全てが条件通りに行かなくても多少の妥協があれば家を建てるのはそうそう難しいことではないけれど、心の居場所としての家作りは、お金を稼ぐ以上に大変なことだと思う。
先生はいつも「帰るよ」と仕事が終ると帰るコールをしてくれます。
「帰る」がカエルの絵文字になったりするお茶目な日もあります。
実はね、絵文字のカエルは先生です。先生はカエルに似ていて、情事の後、ベッドでだらんと伸びきった手足も、きょとんと私を見る表情もどこかカエルに似て見えて可愛いっ\(^o^)/
私はね…本物カエルは壊してしまいそうで怖くて触れないけれど、ずっと昔からカエルグッツが好きでカエルの全身で出来たリュクサックを見つけた日には、あまりの可愛さに抱っこして一緒に眠ってしまうほどでした。 まあね、昔から変な生き物に惹かれてしまう習性があるのかもしれません(笑)
特に喧嘩の後などは、久しぶりに貰う先生からの帰るコールが嬉しくて、本当はもっと話したいことがあるのに、のんべんだら?りとした取り留めのないメールになってしまう時もあります。
先生と離れて暮らしているのを淋しいと思う。
だって先生は誰よりも怒ったりおどけたりと忙しい人だから、いつも一緒にいたら楽しいでしょっ・・・たったそれだけのことだけどね(笑) もちろんそれは叶わぬ願いだけど・・・でもね先生に「帰るよ」って言われると、先生が私のところに帰って来てくれるような気がしてしまって「気をつけて帰って来てね!」と言ってしまう私です(^_-)-☆
そんな思いで書いた記事が「熱海の夜」でした。
無事に帰って来て欲しい・・・お互いに別の家庭を持ちながらも先生が自宅に帰ることに切なさを感じることなく先生の帰りを待てるのは、頂いたコメントの中にもありましたが(電話が二人の逢瀬の時間)、私には先生と交わす毎晩のメールの一通ずつに心の棲家があるのかもしれません。
美 月
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「順流の時を共に・・」・・・(美 月)
本当は書こうと思えば書けるのかもしれないけれど(笑)、書いたところで「先生大好き!」と繰り返し書いても読んでいる人はちっとも面白くないだろうと思うので書かない私です(*^_^*)
昨日は先生と更年期について話をしました。
ここ五年間を遡ると、先生は季節性鬱に陥る傾向があって季節の変わり目には体調を崩します。すごく怒りっぽい時もあるし、ひどく寂しそうな時もあります。
私(女)の更年期はもちろんのこと、男性の更年期についても話し合いました。
「順流の時を共に生きる・・」
時の流れに従うことも生きる上には必要であって、今を受け止め今を一緒に生きられる喜びを先生と分かち合いたい。
先生と私は生まれた日から同じ分だけ時を刻んできたのだから、私が疲れる年齢になれば先生も疲れが見え隠れする年齢であっても当然です。
世の中も開けてきて女性が心療内科に通うことを否定的に見る人は少なくなりました。
私の知り合いの女性達もご主人との不仲が原因で通っていたけれど、先生の治療は「だったら別れてしまいなさい!」とあっさり言われるそうです。
えっ…それって治療???
まるで年期の入ったおばさん占い師か?尼寺の和尚様の仰ることを医学博士の看板を掲げた先生が言うなんてね(笑)
だけどね…患者さんにとったら誰かに話すことで心の整理をしてるのだから、聞いてくれるだけでいいんでしょうね。 本当は面と向かって話す相手が違うことを知っているけれど、それを話し合える仲ではないことが一番のストレスの引き金となってしまうのかな…。
だからこの先はもちろん元気が一番だけど、元気がない時はね、二人でゆったりとした時間を過ごし心と体の回復をはかることも必要となっていくことでしょうね。
未来より長い過去を持つ年齢になり、失っていくものに切なさを感じるようにもなりました。
だけど…私は切なさを隠す必要がないようにも思うようになりました(*^^)v
人生は儚いと誰もが知ってる人間だからこそ、切なさもあっていいのだと思います。
先生と離れていると切なくて、先生と一緒にいればいるほど別れの時は切なくなる。それはね…一緒に暮らしていたって同じことのように思います。
先生は私が悲しいと言っても人と比べて我慢を虐げることもしないし、私の寂しさの正体を探って否定的箇所を突きつけるようなこともありません。 だから私にとっては切なさも先生との共有財産なのかもしれませんね。
幼い頃には人と比べて図る相対的幸福に、疑問を感じて人にたてばかりついていました。
あの人よりまし、この人より劣る。 あの人この人、私はだあれ?
私は私以上でも私以下でもありません。 私はやっぱり私です(^_-)-☆
私が私らしく生きることでわがままだと思われしまうこともありますが、私は人真似が苦手なのだろうと思います。
この手の自己中心的世界観を持つタイプは、自分を追い込むことをしないので鬱にはなりにくいだろうと思っていますが、もちろん多少なりとも大人だから、人に寄り添うことで円滑に物事を消化することも出来るようになりました…(^_^;)
女も男の更年期をありのまま受け止めます。
そして・・・男にも女の心と体を徹底的に教え込みます(笑)
それは愛も性も同じこと…。
お互いに知らないことがあることで人間関係に不具合が生じるなら、一つでも多くを知って深く深く交じり合いたい。
愛することで満たされるセックスは、極楽巡礼への旅切符です。
美月より(^_^)v
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夫婦漫才・・・(美 月)
特別、感性が鈍ってきたとは思わないけれど、書きたいものと書くものが違ってきたような気がして、ちょこっとジャンルでも変更しようかな??とも思ったりしてる(*^_^*)
・・・・・・などと、私ごときが書くと偉そうでしょ!?・・先生っ(^_-)-☆
今夜はね、夫婦漫才みたいなおもろい世界が書きたくなった。
それは結婚という誓約の中の夫婦ではなく、もっと自由な関係(コンビ漫才のような・・・)世界を書いてみたいと思ってる。
私は父の影響もあってか?子供の頃から落語や漫才が好きで、その中でも唄子・啓介の夫婦漫才も大好きな一組だった。
「このエロガッパ!」 「エッ?鳳啓助デゴザイマス」 「ポテチン」 「大きな口」とお互いにお互いを貶しあう中にも、あのぴったりと息の合った間合いは、稽古だけでは決して得ることができないお互いの感性の統合があるような気がしていた。
出会ったばかりの頃、先生が私のことを「貧乳女っ!」と言ったことがあって、カァ~っ!と頭に血が上ってそっぽを向いたことがあったけれど、でもね、その時、先生から「長い付き合いをするなら貧乳、粗チンっ!と言い合える関係にならなくてはいけない!」と言われたことがあるんだよね(^^ゞ
あのね・・・先生ぇ・・・。
だけどねっ!この年になっての恋愛って失われた美しい記憶を追い求めたりするものでもあるでしょ!?
釣った魚に餌をやらない男と釣られたからには梃子でも動かない女・・・。
それが今、世に言う夫婦であってね、恋愛関係では多少成り褒めあうことも必要じゃないのかなぁ(笑)
まあね、先生は元々恋愛に興味はなく、女に媚を売る時間があったら本を読むか?小説を書くか?一時の気の迷いやまやかしの舞台で踊るようなピエロではないことくらい、出会ってすぐの頃だって多少なりとは感じていたけれどね。 でもね、実は私もそう思っていました\(^o^)/
世の中には夫の代りだっているだろうし、恋人の代りだっているだろうね。
男も女も五萬といる世の中だからね。 多少の妥協があれば、それなりの恋愛だって出来るし、結婚だって出来るだろうね。
だけどね、何もこの年になってから、妥協してまで人に寄り添って生きなくてもいいと思うんだよ。
人生47年分・・・生き方くらいは学んできた。
だけど「夫婦善哉」のミヤコ蝶々・南都雄二にも言えることだけれど、たとえ夫婦という関係に別れを告げてもコンビ解消とならなったのは、コンビとしては同性、異性問わず、自分の脇に立てる役を他に見つけることができないことを知っていたからだと思う。
私が描いた理想の夫婦像はもちろん両親の姿でもあったけれど、「目指す夫婦とは何か?」との原点となっているのが、唄子・啓介の「おもろい夫婦」のようなおもろい世界だったのかもしれない。
番組は熟年夫婦を毎回2組招いて京唄子・鳳啓助の名コンビが結婚の馴れ染めから夫婦の悩み事までおもしろおかしくインタビューしながら進行していく。 笑いあり、涙あり、エロさあり、それが素人ならではのボケと突っ込みと合い交われば、誰にも真似の出来ないその日限りの最高の舞台となって描かれていくんだよね。
そして番組のエンディングには農村地で夫の挽く荷台に妻が乗り、赤ん坊に授乳するシーンが流れる。 「夫婦おもろきかな、おもろきかな…。」と啓介の書いたテロップが写しだされていた。
これがね、妙?にじんわりと来てしまって、乳房の中に夫婦愛が見えてくるんだから、私はこんな世界を演出できる啓介の感性って見かけは本当にどこから見てもエロガッパであっても(笑)、その感性は真に素晴らしいと思ったし(笑)、夫婦って、やっぱりおもしろくなくっちゃ夫婦じゃないんだなぁ?と思った。 それは今でも思ってることだけどね(*^^)v
と言うもの、私はこんなおもろい夫婦を実際に知っているから、余計に感じるのかもしれない。
もちろん私の両親もかなりおもろい夫婦だったけれど、私の育った商店街には、商店街に常駐のテキヤさん(おでん、焼き芋、焼き鳥、たこ焼き)も多く店を出していた。
うちの店の隣は大家さんがやっていた下着屋さんを閉めてから、日替わりでいろんなテキヤさんが店を出していた。 それは七味唐辛子、あさり、飴細工、りんご飴、ポンポン焼き、地方から来る行商の人達も沢山いて、私は毎日プロの技とその職ならではの口上を目の当たり見聞きすることができたことは、今でも貴重な財産だと思ってる(*^_^*)
テキヤの中でもたこ焼きに対する思いは熱く、私は商店街のテキヤ夫婦のたこ焼き以上の味に、この先も出会えると思えないほど、そのたこ焼きは美味しかった。
たこ焼き屋のおじさんは良い人なんだけどね、酒好きでヤクザ上がりだから、喧嘩でちょくちょく警察のお世話にはなるし、奥さんに対しても気に入らないと客がいようが物を投げたりする。
だけどね、それでいて誰よりも奥さん自慢で「俺はかあちゃんがいなかったら、とっくの昔にあの世へ行ってるよ」とまったく矛盾したことを平気で言う人だった。
私は二人のことを「おじちゃん」「おばちゃん」と呼んでいて学校から帰ると、いつも温かいたこ焼きをただで貰って食べていた。 うちの店から電気と水道を貸してあげていたから、言い換えれば私は大家さんちの娘さんになるからだよねぇ?(*^^)v
だけどね、この夫婦は不真面目であっても商売にたいしては真面目で、お客さんに冷たいたこ焼きは絶対に出すことはなかった。
「冷めたたこ焼きなんて、人間の食えるもんじゃないっ!」と二人して口裏を合わせて言うほどの睦まじさ(笑) 客足の増える夕方になると、ある程度の作り置きはするけれど、決してプラケースにたこ焼きを盛っては置かない。
それにね、すぐその場で食べる人と、家に持って食べる人とでソースの分量を分けていたからね。
ソースの刷毛を三度返し塗りする時はその場で食べる人。 四度塗りは持ち帰る人。
誰も知らないことだったけれど、でもねその秘密に気づいた日は、まるで天下を取ったくらい気持ちが良かったよ・・・1人でウキウキしちゃった(笑)
たかがたこ焼き・・・されどたこ焼きです・・・。
店構えが食を提供するのではなく、腕が食を提供してこそ料理人の心粋ってもんだからね。
だから屋台と言えども味はとても研究されていて、うどん粉の中の微量なカレー粉と水の配分で成り立つ生地は、決して他に真似できるものではなかった。
そんな大事な企業秘密まであっさり暴露してしまう夫と、それでいて妻も負けず嫌いだから「真似されたってお客がたこ焼きって美味しい!と言って食べてくれたらそれでいいんだよ!」とあっさりと言ってしまう(^_^;)
私は商店街を離れてからもあのたこ焼きがどうしても食べたくて、遠い味の記憶を辿っては何度も挑戦したけれど、未だにあの味だけは出せない。
もしかしたらね・・・材料だけの問題ではなく、私にはお金を頂くということに欠けていて、商売人としての心粋が足りないのかもしれないと思う。 世の中には無償の恵みもあれば、利益によって与えられる満足もあるのだからね。
だけどこんな夫婦にお金が貯まるわけもなく、二人の子供(姉妹)はいつも寒い路上の上で寄り添いながら店を手伝っていたけれど、親の愛情はね、どこの子供よりも沢山貰っているだろうことは、二人の笑顔の数で知ることが出来たよ。
ある日・・・いつも気の強いおばちゃんが浮かない顔をしている時があった。
「どうしたの?」と聞いたらね・・・「おじちゃんもさすがに今度は、長く帰って来れないかもしれない」と言ってしょげていた(>_<)
たまたま喧嘩した相手が一般の人で、転んだ拍子に腕に怪我をしてしまったらしい。
おじちゃんは素人さんには手を出さない人だったらしいけれど(^^ゞ、たまたま相手が酔った勢いでヤクザ紛いの啖呵を切ったものだから、ついつい同業者だと思ったらしいんだけどね・・・(まあ、それもどうかと思うけれど・・・)
「それでおじちゃんどうしてる?」と聞いたら、おばちゃんは「おじちゃんには逢えない」と言った。
「どうして逢えないの?」と聞いたらね・・・「家族じゃないからまだ逢えない」と言っていた。
二人はね、正式な夫婦じゃなかったんだよね。 私もその時、初めて知ったよ。
おじちゃんはおばちゃんと出会う前から前科があって「産まれて来る子供が、前科もんの子では可哀想だ」とおじちゃんが籍を入れてくれなかったらしい。
おばちゃんも元々、瘋癲(ふうてん)に近い生活だったから、一般的な保障契約など求めることも考えなかったらしいけれど、でもね、二人は誰の眼にもちゃんと夫婦として映っていたし、二人の絆は誓いの言葉以上に強かったのだろうと今でも思う。
それから暫くしておじちゃんが帰ってきた。 それも頭を坊主に丸めてねっ(笑)
「たこ焼き屋の親父が本物の蛸になってどうする?」とおじちゃんに言ったら、今度ばかりはおばちゃんにこっぴどく怒られて、頭を丸めて詫びたらしいよっ(^^♪
だけどね、申し訳無さそうに照れて頭を掻くおじちゃんを見つめるおばちゃんは、とっても嬉しそうだったなぁ?。 やっぱりね、夫婦屋台の看板掲げているんだもん、二人揃って店は開けるもんだよね。
その時、「二人でおもろい夫婦に出たらっ?」と何気なしに言ったことを思い出す。
「夫婦で恥を晒すのは、ここだけで十分だっ!」とおじちゃんが言ったら、おばちゃんはケラケラ笑っていたっけ。
「それなら私が二人におもろい夫婦の称号を渡すよ」と言って、私は初めてたこ焼き代を払った。普段は絶対に私からはお代を受け取ってくれないのに、その日だけは夫婦で顔を見合わせた後に、おじちゃんが「よし!”」と言ってお金を受け取ってくれた(^_-)-☆
たこ焼きはね、二つ分来たよ(*^_^*)
一つはね、お代を頂いた分で・・・・もう一つは、いつものたこ焼き分だって・・・(笑)
こんな粋な会話ができる日常を、私はごくごく当たり前のように思っていた。
だけどね、それは同じ感性を持っていないと成立しない世界であったのだろうと思うと、昔がやけに愛おしく思えてきて、泣きたくなるほど懐かしくなる時がある。
だけどね、私は泣かない・・・。
先生と一緒にいると、私は昔のまま全てをありのまま観ていた頃の私でいられるよう気がするからだよね。 それは馴染みのおでん屋さんにいる時も感じてる。
だからね、時折???わがままやべらんめぇ?口調が出てしまったりするけれど、先生はね・・・まったく!とあきれた顔して笑ってくれてる。 先生の微笑の中に懐かしい故郷が今もあるんだよ。
人の心は変わるらしいね・・・そう言われたことがあるよ。
だけどね・・・人の心はそうそう変わるものではないんだよ。
心なんてね、そうそう変わるものではなく・・きっとね、最初から本性を隠していただけのことなのだろうね。 人は自分の非を認めることができないから、変わったのだと嘘を付く。
嘘を付くならね・・・永遠の嘘を付く覚悟が必要だということを知らない者に、嘘を付く資格がないことを知らないのかなぁ??
「愛してるっ?」てね・・・相手に問いただして聞くことではないんだよね。
千の言葉で愛を確認しあったからと言って、愛が永遠に継続するものでもないのだからね。
ずっとずっと後になってね・・・二人で思い出を振り返った時に、じんわりと心があったかくなるくらいで丁度いいと思う。
美月より(*^_^*)
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湯河原に行ってきました・・・(美 月)
昨日は先生と湯河原に日帰りプチ旅行に行ってきました。
ホントは予告してから出かけようとも思ったのだけれど(笑)、
もし?なんらかの事情で行けなかったらと思うと、弱虫だから書けなかった。
私ね、ずっと昔から何かに期待することが苦手なんだよね。
だから何でも自分で実行して決めてしまうのかなぁ・・・。
ううん、本当は誰よりも夢が膨らんで期待してしまうタイプだから、
もしも?夢が消えてしまった時には、誰よりも落ち込んでしまうからかな・・・。
幼い頃、家が商売をしていたので休日に家族で出かけることもなかった。
今でも憶えている一番の思い出は、家族で上野動物園に行った時のことかな。
母の作ったお弁当を満開の桜の下で食べていた・・・。
周りの人達を見たら、みんなも楽しそうに笑っていて、
これが幸せというものなんだろうとちょっぴり思った。
お弁当の中身はその家族によって、どこか似ていて、それでいて皆、違う。
それぞれの家族の好きな物がお弁当箱の片隅に詰まっているんだよね。
だけどね、小さな幸せが、ぎゅっ!と集まっているようで見ているだけで嬉しくなった。
私は先生とご飯を食べていると、いつも遠いあの日のことを思い出している。
どんな豪華な食事を食べさせてもらっても一緒に食べる人の笑顔が一番のおかずだからね。
「美味しいねっ!」って言ったら、「うん、美味しいなっ!」とこだまする食卓。
一緒に舌比べできる人がいれば、シャンデリアなんてなくたって、小さなちゃぶ台一つだって、世界の味を楽しめる美食空間となるのだろうね。
あっ!大変、話がずれてきちゃった・・・先生に怒られちゃうっ(^^ゞ
話を戻して・・・湯河原には取材を兼ねて行ってきました。
と言っても、それは先生だけのことで?、私はただ先生にべたべたデレデレしているだけだったけれど、でもね、先生の隣にずっといられたことが嬉しくて、今でも先生の匂いを体いっぱいで感じてる。
(きゃあ?私は先生が大好きなんだなぁ・・・。本当にそう思うもん・・・)
・・・・って、こんな当たり前の心中を文字にして書くことでもないけどねっ・・・。
でもね、たまには漫画の噴出しのような表現方法も文中にあってもいいよね(*^_^*)
昨日は先生と色んな景色を見て、色んな人を観察してきました。
寂れた温泉宿の下、今も変わらず流れる川淵を歩いての渓流散歩。
朽ちていくものあれば、変わらないものある時の中で、この地の遠き輝かしい昔の記憶を重ねれば、なぜか?心は無性に切なくなる。
新たな街の構想計画だけに勇むあまり、貴重な財産を失っていることに気がつかない世の中で、唯一変わらないものがあるとすれば、それはその地に生きる人々の心なのかもしれないね。
山と海を持つ湯河原の街は、長くくねった一本の道で繋がっていた。
山に住む人、海に住む人・・・。
バスに揺られて眺める景色に昔の風景を辿れば、同じ街でありながらそれぞれの生活スタイルを見つることができた。そして、この道がどんなに大切な生活経路となっていたのだろうかと思った。
先生と出かける旅は、いつも誰もが望んでは行かないような秘境の地に近いけれど(笑)、その瞬間だけはその地に思いを寄せて見る。 けれど先生と私は常に旅人であり、その地に深い思いを残すことなくその場を立ち去る。
私が観ている景色は、どんな場所に訪れたとしても風景を壁紙にして、その中に先生を埋め込んで見ているのだろうと思う。
だから先生がいなくなってしまえば、私の描く風景画は一生未完成のままになってしまう。
そう思えば思うほど・・・先生と過ごす今がとても大切な景色に思えてくるんだよね。
帰りの新幹線の中で身勝手な行為で込み合う席を占領していたおじいさんに出会った。
先生が「ああいう人の感性が俺には理解出来ない」と言ったところから、話は広い海へと流れて行き、なぜか?タイタニック物語へと変わっていった。
我先に命乞いをするもの・・・譲り合うもの・・・。
いざ途端場になって偏狂する人間の心ほど計り知れないものはない。
それは特別大事件でなく、小さな世界でも日々起こりえることで、良い時と悪い時では多少なり人の心の幅は違ってしまうものだろうと思う。
「もし?タイタニックと同じ状況になったら、俺なんて真っ先に死ぬだろうなあ?」と先生が言った。
私もそう思った。 先生は人を差し置いてまで救命ボートには乗らないと思う。
「先生が乗らないのなら、私も乗らない・・・」と言っちゃった(^^♪
たとえ女、子供が優先されてボードに乗れても私は乗らないし、「女だから乗れっ!」とただ攻められたら、私は「男だっ!」と食ってかかるだろうと思う。
先生は私を殴ってまでボートに乗せようとするだろうし、「俺の言うことを聞かない奴は嫌いだ!」と絶対に言うだろうけれど、でもね私が一番聞きたくない「お前なんて嫌いだ!」という台詞であっても、どんなに大切な先生の命令であっても、私は絶対に言うことを聞かないだろうと思ってる。
だから同じ甲板の上で一方では、みんなが死ぬか生きるか?と大騒ぎしているのに、先生と私はまったく違った次元で大喧嘩をしているだろうと思うよ(笑)
だからと言って、ただ何もしないで死ぬ気など一切ないからね。
私は先生と生きる為に頭と体を使って最大限の努力をするつもりだよ。
まあ、多分・・・頭を使うのは先生だろうと思うけどね。
それでも果てしなく暗い海上を漂ううちに、命尽きてしまうかもしれないよね。
自然の力に比べたら人の動力など高が知れている。
でもね大きな自然にも打ち勝つ力があるとすれば、決して諦めないド根性かもしれないなぁ(^^♪
だけどそうなったらそうなったで、先生はまたまた怒ると思う。
「だからボートに乗れ!と言ったんだ!」と言って、最後の最期まで私のやることにケチを付けると思うよっ(笑)
先生はね、口煩いっ(笑)・・・私のやること成すこと、本当にいつも良く見てると思う。
面白いものを見つけるとすぐに立ち止まってしまう私に、先生はいつも先回りして私の手を引いて見えなくするし、必ずと言って良いほど「無謀なことは止めろよ!」と窘めるっ!
だけどね「お前、しばらくおしっこしてないから行って来い!」とまで心配されると、私だってそこまで雛じゃないからねっ・・・おしっこくらいは自分でちゃんとわかるよ・・・(笑)
それも・・・何も駅を歩きながら言わなくてもいいよね(汗)・・・。
絶対に周りの人は、私が頭の足りない人だと笑わってると思うし、笑われてるところを何度も見たことがあるよ。 まあね、常にそれに近い行動をしていると言えば・・・確かにそうだけどねっ・・・(^_^;)
でもね愛する人を生かしたいと思う気持ちだけが愛なのではないんだよ。
残された人の苦しみを思う気持ちもまた、愛なのだと思うんだよ。
だから先生・・・私を置いていかないでね・・・私はいつでもどこでも先生と一緒がいいんだよ(*^_^*)
何の手立ても知らないまま介護に疲れて、愛する人を殺めてしまう事件を知るたびに、私は胸が締め付けられる思いがする。
知恵がないのが愚かなのか?お金が稼げない奴が悪いのか?
人は自分がそうならないように努力するけれど、でもね、もしも?自分が弱きものより少しでも上だと思っているならば、せめて小さな手助けをしてあげても良いと思うんだよ。
それはね、特別なことでなくてもいいんだよね。困っている人に「大丈夫?」って声をかけてあげるだけだって良いことだと思うんだよ。
世の中は政治を批判するけれど、でもね、今こうなってしまったのは自分達のせいでもあるよね。
ニュースを見て、世間を歩いて思うことは、どうしてだか?評論家ばかりがいっぱいになってしまって、生活しているはずの当事者がいなくなってしまったみたい。
そこに生きている人の声が届かない国に、明るい未来など来ないことくらいは、知ろうと思えば簡単にわかることだと思う。
政治が人を救うのではないよね・・・だったら、まず優秀な政治家を育てなくっちゃねっ!
どうせ国民の見えないところで使われてしまう税金なら、政治家養成学校を作ったらいいなぁ?。
志高い人なら誰でも入学できる学校。 世界観を学び、もちろん職業訓練もある。
さまざまな知識を得て経験を積んだ人だからこそ、人のお役に立てる人を育てる学校・・・・。
それがね・・・本来の学校という制度でないのかなぁ?!?
だけど制度だけが人を育てるのではなく、国民も明るい未来を育てなくてはいけないよね\(^o^)/
あれれ!今日の私って、壮大な浪漫思考かなぁ?? でもまたまた話が飛んでしまってるよね・・・。 先生、まどろっこしくてごめんなさい(^_^;)
話を元の場所に帰して・・・先生がね、タイタニックの話の後に言った。
「お前と毎日一緒にいたら、毎日、毎日、喧嘩ばかりしてるだろうな・・・」ってね・・・私もそう思ったよ(笑)
だって喧嘩をしてまで話したい人が先生だからね・・・。
殴り合いの喧嘩をしてまで、それでも何かを伝えたいと思える人が先生だからね\(^o^)/
道連れ・・・人が生きる道には、何千通りの順路があるのだろうけれど、私は先生の歩く道を一緒に歩いていきたい。 道の果てを目指すのではなく、いつも今ある道を先生と手を繋いで歩いていきたい。
PS・・・先生、私はおんぶお化けかもしれないよね。
「お前ほど重たい女はいないっ!」って、いつも先生は言うでしょっ!
私も「本当にそうだっ!」とちゃんと思っているんだよ(笑)
昔から重たい女は嫌われることくらい知っていた。
だから昔の私は誰よりも飛び切りの良い女だったと思うけれど・・・(^_^;)
だけどね、一度憑いたら死ぬまで離れない・・・
かなり性質の悪?いお化け女になっていると思ってる(^^♪
いたもめんみたいな先生にとっての私は、とっても重い女だろうけれど・・・
でもね、先生が疲れたら、私が先生をおぶって空を飛ぶからね!
でもね、玩具みたいな車で140kmで高速道路をぶっ飛ばすような無謀な飛び方はもうしないから・・・だから安心して私の上に跨り、思うまま感じるまま腰を振り続けてね\(^o^)/
美 月
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genre : アダルト
月と曼珠沙華・・・(美 月)
白く輝く月の下 体擦り寄せ恋する虫に 秋の調べと線香の煙。
彼岸花・・・曼珠沙華が咲いています。
先生と湯河原に行った時にも、川沿いに群生するシダの中にひっそりと咲く一輪の紅の花を見つけました。
私の記憶の曼珠沙華は墓守の花ですが、調べたら沢山の名前が付いている花でした。
あれだけの美しい器量を持ちながら、死人花(しびとばな)、地獄花(じごくばな)、幽霊花(ゆうれいばな)、剃刀花(かみそりばな)、狐花(きつねばな)、捨子花(すてごばな)、はっかけばばあと呼ばれてしまうなんて可哀想。
日本では不吉であると忌み嫌われることもあるそうです。
美しさの中にも毒をもって生きる花の定めが、人々にそう呼ばせてしまうのかもしれませんね。
私の少女時代、父の田舎である茨城県の協和町はまだ土葬が行われていました。
もちろんその当時であっても街中の人は火葬だったのだろうと思うけれど、小さな集落では昔ながらの葬儀がまだ残っていました。
初めての神式葬儀に戸惑いながら、映画のワンシーンのような情景にどこか非現実世界を観ているような気持ちになりました。
観るもの知るものの全てが不思議で、なんでも知りたがりの私はじっと座ってなど居られません。
私の生まれ育った街(商店街)には葬儀屋さんがあって沢山の葬儀を観てきたから、その違いに触れたことでより一層興味が沸いてしまったのかもしれませんが…。
実はこの話にも沢山の思い出があるけれど、書き始めたら浦島花子になってしまいそうなので、追々書いていこうと思っています(^^♪
神式の葬儀はとても新鮮で、祖父が亡くなった悲しみが揺らいでしまうほどでした。
と言うのも祖父とはいえ一年に一度程度しか逢わないので居なくなったような気がしなかった。
目の前に死体があっても、でも本物はどこかに隠れて私達を観ているような気がしました。
それにね、とても怖そうな人だったから「おじいちゃんっ♪」なんて気軽に甘えて膝に乗れるような関係ではなかったし、祖父は若い頃、切ったばかりの竹を踏んでしまい足首から下がなく義足を付けていたので、普段東京暮らしの孫だから、見慣れない義足を気にするだろうと思い、祖父が傍に寄せなかったのかもしれませんが、どちらにしても私には近づけないほど堅物なイメージがありました。
神式葬は線香の代りに洗米、つきたてのお餅を回して千切って食べたり、お焼香のかわりに玉串奉奠(たまぐしほうてん)をしたりと本当に不思議だった・・・。
その間に陸尺(ろくしゃく)という棺かつぎや墓穴を掘る人達が準備をしていました。
子供だったから詳しい事情はよくわからなかったけれど、山盛りのご飯を食べていた4人ほどのおじさんたちが、棺の担ぎ手なのだろうと思った。
葬式のときに「本膳」として精進料理が出てきて、なぜか?「ガンモドキ(雁もどき)」は弔問客に持ち帰ってもらっていました。
神輿に見立てたお棺を陸尺が担ぎ「ひつぎ回し」を庭で行います。
棺を三回か三回半左に回すのは死者の霊が戻ってこないように、方向感覚を狂わせるためだと父が教えてくれました。
でもね戻って来たいのなら、いつでも戻してあげたら良いのにね(笑)
あの世は行ったことのない人が勝手に創った桃源郷だから、本当は行きたくない人だっていると思うのに・・・。
この世を彷徨うことを虚しいというのなら、生きている人の中にも虚しさを感じている人は沢山いるよね。
だからせめて死んでからは、あの世で彷徨わないようにと思う気持ちは愛なんだろうけれど、やっぱり生きているうちに愛をいっぱい感じたいと子供ながらに思った。
一通りの儀式が済むと棺に向かって「まき銭」をします。
半紙にくるんだ小銭を遺族が参列者に向けて撒くのですが、これが私にはどうしても蒔けない!!!
風習として「まき銭」を拾って持ち帰ると縁起がいいとされていても、どうしてもお金が蒔けなかった。
だってね、実は昔、一円玉を靴のかかと修理に使う電動具で削ってしまった時に、父にものすごい勢いで怒られて、もう少しで玉川に沈められるところだった。
それ以来、私はお賽銭も投げなくなった。
ちなみに元々お賽銭を投げるのは良くないそうですが、初詣などでは大きな寺院や神社は遠くからでも投げさせるよねぇ~(笑)
それから沢山の鳩を空に飛ばしました。これは高価な為、オプションになるらしいけど…。
でもね、安心してね、鳩はちゃんと後で帰って来るそうです(^o^)/
薄青色の空に流れて消える白い雲。
赤とんぼを先頭に親しき者達が長い列をなし、田んぼの畦道を連なりながらゆっくりゆっくりと歩いてお墓に向かって行きました。
長い列が墓地に着く頃には、土場に大きな穴が掘られていました。
深い穴に棺を入れると、みんなで土を交互にかけ、最後は神輿で蓋をしてしまいました。
お墓の周りのあちこちには、沢山の曼珠沙華が咲いていました。
どうして花が大きな円を描いて咲いているのか?私にはとても不思議な光景で、近くの見知らぬ大人に聞いてみたら、彼岸花は毒のある花だから、土葬後は死体が動物によって掘り荒されるのを防ぐためだと教えてくれました。
辺りを見回すと、私の周りにも沢山の曼珠沙華が大きな円を描いて咲いていました。
えっ!死体の上に立っていることになるよね。
土葬には墓と墓に境がなく申し訳無さそうに墓石が立ってはいても、土中のどこもかしこも墓場となっているらしいのですが、みんな親戚みたいなものだから仲が良くて良いけれど、ある程度の年月が経つとまたその近くに埋められるのだと思ったら、いつの間にか爪先立ちしながら、静かに軽く立っていた。
私が静かなのを良いことに、夏を生き抜いた墓場の薮蚊が容赦なく刺してきた。
気が狂ってしまうほどの痒みに襲われたけれど、それでも私はじっと黙って動かなかった。
私の弟は生まれもっての大馬鹿者だから、同じ場所にいても何にも感じないらしい(^_^;)
命枯れてしまう前に儚く鳴く蝉を見つけては喜んでいたけれど、私は父が幼い頃に体験した怖い話まで思い出して恐ろしくなった。
しっとりと降る雨の夜には、墓場の近くでよく人魂を見たらしい。
「この季節になると、人魂と彼岸花がこっそり人目を忍んで話しているように見えた」とまるで作家気取りで文章を弄り、母と私を脅かしたことがある。
もちろん父は脅かすつもりではなく、人魂の青光は年中見ていたと言っていた。
その時から私の曼珠沙華への思いは、死者の話し相手、墓守花になったことは間違いないよね(怒)
先生と仲良く歩いた湯河原の川辺で、ひっそりと咲く一輪の曼珠沙華を見つけた時に、ふと!遠い日の記憶を思い出した。
この花の下にも静かに眠っている人がいるのだろうか?
そしてこの花に亡き人への情を託しただろう人も、もうこの世には居ないのだろうと思ったら、堪らなく切なくなった。
私は先生の背中を小走りで追いかけた。
そして腕にしっかりとしがみ付き、どんなことがあっても離れたくないと思った。
妖艶でありながら、ひっそりと咲く曼珠沙華。
曼珠沙華の花言葉「想うはあなた一人」という。
美月
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