2011-12-17
年の瀬は梅の後で…
毎年のことながら、週末の道路が混み始めてきた。
スィートホームを彩るイルミネーションは、去年より減ったものの人目を憚り輝いてる。
百円寿司屋でパートをしてる友達が、パーティーパックの注文はないかと訪ねてきた。
手提げ袋を持った宗教家グループが、一軒一軒家のチャイムを鳴らし、救いを求める人々に幸福との出会いを届けようと寒空の下を歩いてる。
八年付き合った彼と今年の夏に別れた友達は、恋に未練はないけれど一人ぼっちのクリスマスは寂しいと嘆いてた。
12月になると先生の仕事も忙しくなってきた。
先週も遅くまで残業していたし忘年会のお誘いも多いし、何より疲れてる様子が気にかかる。
仕事中にも関わらず、くだらないメールを送れたのに今は少し控えている。
先生の忙しそう顔が浮かんできて、メールを開いても打たずにそのまま閉じてしまう。
それが普通なのだろうと思うけれど、でも控えることが配慮になっているのか?わからない。
先生が飲み会の帰りに「お前に逢いたい」と送ってくれた。
胸の奥がジンと熱くなった。
とても嬉しかった…でも対象人物が自分でありながら、先生が逢いたい人に逢えないのは可哀想だと思った。
だけど辺りを見ると「年末=特別」という意識が伝わってくる。
思い通りに時間を使えない特別な時期が年末だと、大人の誰もが言っているように聞こえる。
私はというと、忘年会の殆どをランチタイムにしてしまい、会社の忘年会も新年会を兼ねてやろうと決めてしまった。
忘年会シーズンはどこも時間の制限があり、時間になれば容赦なく出されてしまう。
特別、長居したいわけではない。
だけど時間に縛られて飲むお酒ほど、味気ないものはないと思う。
超過料金を払うから、このまま置いてくれといっても通用しない。
わがままなのはわかっているけれど、二次会を予約しておいてまで飲み続けたい気分になれる飲み仲間は今はいない。
今年も30日まで仕事をして、晦日と正月三が日は飯炊きばかりで楽しい日は少ない。
私は今から今年残り1日の逢瀬と、仕事始めの日を楽しみにしてる。
平凡な日常かもしれないけれど、何もない訳じゃない。
先生に逢える日常が私は好きだから、逢える日を楽しみに待っている。
来年の話をすると鬼が笑うというけれど、笑うなら笑えばいいよね。
だけど鬼はクリスマスや正月を楽しめない人を笑ったりはしないと思うよ。
一人ぼっちや異質さを差別することはしないし、貧しさや醜さを否定することもない。
人間失格のレッテルを貼るのは、同じ血を持つ人間同士なのだからね。
季節の行事に思いを寄せるのも、そこに喜びであるからで、特別な日だけに与えられる褒賞とは違う。
私は先生と愛でる桜が好き。
薄紅色の花びらが、光の加減に色艶めいて先生を喜ばせてくれるから…。
「桜は俗だ」と出会った年の春に先生が言った。
桜を一輪コップに浮かべ静かに眺めて飲む酒を、花見と呼ぼうと次の年は言っていた。
満開の花の下、夜空に桜の影を描き、しっぽり沈む二人酒。
桜花を見るつもりが陽気にはしゃぐ花見客をツマミに酒を飲み、春の訪れを楽しむ人々の笑顔が消えることのない世の中を願って桜並木をゆっくり歩くこの頃。
いつしか桜時計(桜時間)を持つようになった先生と一緒に、桜の季節から新たな年が始まるようになってからというもの、桜を見上げる度に心が清まる。
今年も二人仲良く年を重ねられる喜びと、いつか暮れる日を迎えることの切なさが、複雑に絡み合う新たな年の幕開けに桜の暦はしっくりくる。
艶やかに咲き誇り潔ぎよく散る桜に恥ずかしくない生き方をしたいと思う。
日の丸が桜模様に変わっても、人の思いは同じなのかもしれないね。
美月
スィートホームを彩るイルミネーションは、去年より減ったものの人目を憚り輝いてる。
百円寿司屋でパートをしてる友達が、パーティーパックの注文はないかと訪ねてきた。
手提げ袋を持った宗教家グループが、一軒一軒家のチャイムを鳴らし、救いを求める人々に幸福との出会いを届けようと寒空の下を歩いてる。
八年付き合った彼と今年の夏に別れた友達は、恋に未練はないけれど一人ぼっちのクリスマスは寂しいと嘆いてた。
12月になると先生の仕事も忙しくなってきた。
先週も遅くまで残業していたし忘年会のお誘いも多いし、何より疲れてる様子が気にかかる。
仕事中にも関わらず、くだらないメールを送れたのに今は少し控えている。
先生の忙しそう顔が浮かんできて、メールを開いても打たずにそのまま閉じてしまう。
それが普通なのだろうと思うけれど、でも控えることが配慮になっているのか?わからない。
先生が飲み会の帰りに「お前に逢いたい」と送ってくれた。
胸の奥がジンと熱くなった。
とても嬉しかった…でも対象人物が自分でありながら、先生が逢いたい人に逢えないのは可哀想だと思った。
だけど辺りを見ると「年末=特別」という意識が伝わってくる。
思い通りに時間を使えない特別な時期が年末だと、大人の誰もが言っているように聞こえる。
私はというと、忘年会の殆どをランチタイムにしてしまい、会社の忘年会も新年会を兼ねてやろうと決めてしまった。
忘年会シーズンはどこも時間の制限があり、時間になれば容赦なく出されてしまう。
特別、長居したいわけではない。
だけど時間に縛られて飲むお酒ほど、味気ないものはないと思う。
超過料金を払うから、このまま置いてくれといっても通用しない。
わがままなのはわかっているけれど、二次会を予約しておいてまで飲み続けたい気分になれる飲み仲間は今はいない。
今年も30日まで仕事をして、晦日と正月三が日は飯炊きばかりで楽しい日は少ない。
私は今から今年残り1日の逢瀬と、仕事始めの日を楽しみにしてる。
平凡な日常かもしれないけれど、何もない訳じゃない。
先生に逢える日常が私は好きだから、逢える日を楽しみに待っている。
来年の話をすると鬼が笑うというけれど、笑うなら笑えばいいよね。
だけど鬼はクリスマスや正月を楽しめない人を笑ったりはしないと思うよ。
一人ぼっちや異質さを差別することはしないし、貧しさや醜さを否定することもない。
人間失格のレッテルを貼るのは、同じ血を持つ人間同士なのだからね。
季節の行事に思いを寄せるのも、そこに喜びであるからで、特別な日だけに与えられる褒賞とは違う。
私は先生と愛でる桜が好き。
薄紅色の花びらが、光の加減に色艶めいて先生を喜ばせてくれるから…。
「桜は俗だ」と出会った年の春に先生が言った。
桜を一輪コップに浮かべ静かに眺めて飲む酒を、花見と呼ぼうと次の年は言っていた。
満開の花の下、夜空に桜の影を描き、しっぽり沈む二人酒。
桜花を見るつもりが陽気にはしゃぐ花見客をツマミに酒を飲み、春の訪れを楽しむ人々の笑顔が消えることのない世の中を願って桜並木をゆっくり歩くこの頃。
いつしか桜時計(桜時間)を持つようになった先生と一緒に、桜の季節から新たな年が始まるようになってからというもの、桜を見上げる度に心が清まる。
今年も二人仲良く年を重ねられる喜びと、いつか暮れる日を迎えることの切なさが、複雑に絡み合う新たな年の幕開けに桜の暦はしっくりくる。
艶やかに咲き誇り潔ぎよく散る桜に恥ずかしくない生き方をしたいと思う。
日の丸が桜模様に変わっても、人の思いは同じなのかもしれないね。
美月
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