優しさの欠片・・・(美 月)
昨日は先生に逢いに行きました・・・となると毎度のことながら記事を書けない私ですが、目を離すと、すぐにサボり癖がでてしまう。
『これこそ自由っ!!!』と言うと、また眉毛を▲▲にして怒る先生に、日々お尻を叩かれて、なんとか書けている私でもあります(*^_^*)
「牛に引かれて善光寺参り」とは良く言ったもので、思いがけないご縁で引かれて行く道、または辿り着ける場所というものがあるのかもしれませんね(笑)
書きたいことは沢山あるし、お喋りは誰よりも得意だけれど、でもね、文章にすることは苦手です。
漢字を知らない私だから、変換時に、まどろっこしくなってしまう時もあります。
特殊機能として、音声で自動書記ができたらなぁ?などと思っていますが、まだ一般化はされていないのかな?
それとも動画にして『語るブログ』もいいかなぁ?・・・などと、すぐに手を抜く方法ばかり考えてしまう怠け者の私です。
でもブログから声が出たら、不都合な人もいるよね(笑)
だけど今まで文章を読めなかった人に、話なら聞いてもらえるようになるかもしれないよね。
ラジオのように・・・毎日、私が勝手にお喋りしてるだけでも、聞いてくれる人がいるかな?と思うとね・・・もっと世界を広げていきたいと思う。
それは日々、孤独と戦っている人がいることを知っているからかもしれない。
でも私は何でも夢みるだけのことで、夢の途中(現実の階段)がすっかりと抜けちゃう癖がありますが、語りたいと思うなら・・・『ブログで表現するのも同じだろう!!!』と先生に言われるだろうことくらいは、わかってるんだよぉ?(^^♪
こうして訪れてくれる人がいることは、どんな形であれ、人を大切に思う心があるのなら、自分の伝えたい意思をしっかりと書いていこうと思うのが、筋ってもんだよねっ(^_-)-☆
だけど叱ってくれる人がいることは有難いことだと思ってるよ。
でも取りあえず、一度は捻くれてみるけれど(笑)、でもね年も半ばとなると、叱ってくれる人がいなくなってしまうからね。
私は営業職でもあるから、日々、競う人達を見ているけれど、意地や執念だけで負けず嫌いを消化している人は、競う糧を失ってしまうと、非常に弱いんだよね。
女性は特にそういう性質を持っていて、競うほど燃えるのかな!?
それは恋愛にも言えることかもしれないけれど、ライバルがいると燃えるでしょっ(笑)
でも不思議と、素直に譲られると、なぜか?余る・・・。
分け合えば余り・・・取り合えば足りぬ・・・。
私は今も昔も五人家族だから、なんでも上手に分けないと死闘となってしまうけれど、でも昔から感じていたことは、割り切れない数の方が、不思議と物も心も余るんだよ。
昔だから・・・メインディッシュの無い惣菜だらけの食卓だった。
1人盛りとなるものは、魚料理、カレーライス、シチュー、その程度だったかな。
後はね、大皿から自分の食べられる分だけを取って食べた。
本当は1人ずつ盛ったら足りない量だったのかもしれないけれど、でもね、一緒に食べる人の速度に合わせて食べてみたり、わがままな食べ方は、教えられなくてもしなかったように思う。
だけどね、母という人は今思うと優しい人で、ちゃんとそれぞれの家族の好きな物を知っているから、その家族の好きなおかずの日は、きっと多めに食べたがるだろうと、一つ余計に入れてくれていた。
その逸品が私にはおでんの玉子だったし、今も二個食べの習性は変わらない・・・(*^^)v
昨夜も先生とおでんを食べに行ったけれど、お母さんは私が玉子を二個食べることをちゃんと知っていてくれるから、他のお客様から注文があっても、味の染みた煮玉子を除けて出す。
私は玉子の注文が入るたびにドキドキしてしまうのだけれど、お母さんはニコッとしながら、ちょこっと意地悪顔して私の顔を覗いて見る。
先生の好物のツブガイも同じ・・・。
でも先生曰く、ツブガイは先生の為にあるらしいよ・・・(笑)
確かに先生の顔を見てから、初めてその日のおでんの具材にあげるツブガイなんだけど、でもありったけ全部を食い尽くさなくてもねっ・・・(^_^;)
ツブガイは下ごしらいとして、別鍋でさっと煮てから、おでん鍋に入れて味を染み込ませる。
出来上がるまでには時間がかかるから、途中でおでん鍋を覗いた人は、ツブガイがあるものだと思って注文するのだけれど、その頃には、ツブガイ全部が先生の胃の中で泳いでいます。
他からツブガイの注文が入る度に、お母さんに二人揃って「どうもすいません」と頭を下げる奇妙な常連客ですが、でもね、いつもお母さんは「一番、美味しく食べてくれる人に、食べてもらうのが一番だからね」と言ってくれる。
それも他のお客様に聞こえるほど大きな声で言うのだから、わがまま振りを公表されているようなものだけれど、でもね好きな物を頬張ってる顔を、喜んで見てくれる人がいることが嬉しいんだよね。
お母さんの心に近づきたいと思うし、越えてみたいとも思うけれど、でもね私が競う人、越えたいと思う人は大好きな人だから、近づく喜びを楽しみながらも、どこか悲しみが付きまとうことがある。
勝ちたいのに負けてもらいたいくない人・・・それが父の存在であったのかもしれない。
だけど私が描いた虚像としての父の姿ではなく、心から愛する人ならば、過去を引きずることもなく、今ある姿を愛すればいいのだと思えるようになったのは、先生を通して観えてきた世界です。
以前にも書いたけれど、私が好きな「きみに読む物語」と言う作品は、まさにその姿が描かれているのだけれど、実際として読んだ時は、私にはまだまだ漠然とした世界だったような気がする。
年齢の高い人と接するうちに見えてきたものがあって、頭で学んだものは記憶の片隅には残っていても、思い出すにはキーワードを用いらなければ、頭の引き出しから出してくるのに、かなりの時間がかかってしまう。
けれど何度も繰り返し、体験して身に付いたものは、たとえ記憶を失っても習慣化されいて、しっかりとその人の中で、生き残っているような気がすることが多い。
私の母は心を穏やかにするはずの薬が災いして、次第に記憶が薄れていってしまった。
母は記憶を忘れることを拒み続け、最後は人間に、もっとも強烈な印象を植えつける「恨み」という感情を使ってまで、ゾンビ薬と戦っていたのだろうと思う。
薄れる行く記憶の中でも、父のことだけは忘れたくなかったのだろうね。
それが今ならわかるようになったよ・・・(*^_^*)
そんな母の心を知らず、心で何度、恩知らずだと罵った私は、本当はね、ずっと懺悔したかったのかもしれない。
けれど母はこの世にはいないし、神を持たない私には、懺悔する場所さえ見つけられなかった。
先生以外は、誰も知らない私の心の貧しさ・・・。
けれど他人に言えば、きっと優しい言葉で諭してくれるだろうことはわかっていた。
私がそうしてきたようにね・・・(^_^;)
先生に母のことを話せるようになったのも、暫く経ってのことだったけれど、その時の私は、優しく受け入れてもらいたかったのではなく、誰かに本気で叱って欲しかったんだと思う。
「もういい・・・」先生が言ってくれた一言で、私は救われた。
それは思い方一つかもしれないけれど、でもね先生と出会って、泣いたり、笑ったり、喧嘩をしているうちに、誰よりも先生を信頼している私に気が付いた。
それは特別な出来事から与えられたものではなく、何気ない先生との日常から得た物が、今の私の財産となっているような気がするんだよ。
でも最近の先生は「もっと頭を使え!」と五月蝿いっ・・・(^_^;)
まあね「お前は何を考えてるんだ?」とは星の数ほど言われてきたけれど、それでも、この頃は、益々、「頭を使え!」と口五月蝿くなっているような気がするのは私だけかなぁ?(笑)
思えば出会ってから丸五年分、お互いに年を取ったからね。
多少の口五月蝿さには慣れてきたけれど、サザエさんのお父さんと一緒で、とってもお茶目なところもある先生だから、許してあげようと思う。
と書かなくて良いことを書くから・・・また眉毛▲▲になるんだけどね・・・。
先生、これも読んでいただく方へのリップサービス、ご愛嬌ですからね、怒らない怒らないっ(^_-)-☆
叱られること・・・それを愛の鞭と取るか?可愛さ余って憎さ百倍と取るか?の選択は、私次第であるけれど(笑)、でもね、私に身に付けられた習慣としての記憶では、どちらも同じ・・・先生の優しさの欠片なのだろうと思ってる。
美月より(^_-)-☆
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