2009-05-01
月の中の顔
今日の先生は大阪に出張中です。
いつもより先生との距離が離れていると思うと、それだけで寂しくなります。
ましてまだ「ホテルに着いた」とのメールはないし、もちろん男性の仕事ですから、今頃、出張先の方との酒席だとは思いますが・・・。
全世界にネットが繋がっている世の中になっても、恋しい人までの距離は昔とさほど変わりはないのかもしれません。
先生と私は週一度、逢えるようお互いに努力を重ねてきました。
遠距離恋愛中の方からすれば、週に一度、逢えるのは本来、贅沢な悩みなのかもしれません。
でもね・・・逢いたいと思い気持ちに、時間の感覚も距離も消えてしまいます。
私に翼があったら、今すぐ先生の所に飛んでいけるのに・・・。
と、今時の女子校生でも決して言わないような恥ずかしい願いだって、平気で浮かんできてしまいます。
それは日常生活を共にしていないから言えることだと、結婚経験のある方なら言うでしょうね(笑)
もちろん先生も私も既婚者同士ですので、大体の一般的結婚生活はそれなりに経験してきました。
だけど・・・今・・・この年になると・・・「至福の時」がとても大切に思えるようになりました。
一分でも一秒でも長く、愛する人の傍にいたい・・・。
人には寿命というものがあるそうですが、どんな事情であっても、先生と離れたくない・・・。
私は先生と共有する時間を、諦めることが出来ないだろうと思います。
先生は言います。
「だから時間の密度を濃くするんだよ」ってね・・・。
でも密度が濃くなればなるほど、先生の匂い香る空間が消えてしまったら寂しい。
どんなに愛する月に先生の笑顔を浮かべても、手が届かないのはもっと哀しい。
喧嘩をしてお互いに否定的な言葉を吐いたこともあるけれど、一度だって愛することに疲れたことはなく、この五年間、毎日、毎日、静かに積み重ねてきた思いがあるから、私は昨日よりも今日の方がもっと先生を好きになってる。
先生・・・メールを始めた頃に、私がふさげて「好きになったら命がけ・・」と書いたら、「ずっと傍にいるよ」って送ってくれたよね。
先生は愛を語ること自体、偽善だと言うけれど、私はどんな愛の告白より嬉しかったことを思い出します。
恋愛中の愛言葉など信じる事が出来なかった私が、初めて信じてみたいと思えたのが先生です。
こんなことが起こるのだから、人生は素晴らしいものであると思っています。
先生・・・・ 大阪の空にも月は浮かんで見えていますか?私の月には先生の顔に映っています。
美月
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いつもより先生との距離が離れていると思うと、それだけで寂しくなります。
ましてまだ「ホテルに着いた」とのメールはないし、もちろん男性の仕事ですから、今頃、出張先の方との酒席だとは思いますが・・・。
全世界にネットが繋がっている世の中になっても、恋しい人までの距離は昔とさほど変わりはないのかもしれません。
先生と私は週一度、逢えるようお互いに努力を重ねてきました。
遠距離恋愛中の方からすれば、週に一度、逢えるのは本来、贅沢な悩みなのかもしれません。
でもね・・・逢いたいと思い気持ちに、時間の感覚も距離も消えてしまいます。
私に翼があったら、今すぐ先生の所に飛んでいけるのに・・・。
と、今時の女子校生でも決して言わないような恥ずかしい願いだって、平気で浮かんできてしまいます。
それは日常生活を共にしていないから言えることだと、結婚経験のある方なら言うでしょうね(笑)
もちろん先生も私も既婚者同士ですので、大体の一般的結婚生活はそれなりに経験してきました。
だけど・・・今・・・この年になると・・・「至福の時」がとても大切に思えるようになりました。
一分でも一秒でも長く、愛する人の傍にいたい・・・。
人には寿命というものがあるそうですが、どんな事情であっても、先生と離れたくない・・・。
私は先生と共有する時間を、諦めることが出来ないだろうと思います。
先生は言います。
「だから時間の密度を濃くするんだよ」ってね・・・。
でも密度が濃くなればなるほど、先生の匂い香る空間が消えてしまったら寂しい。
どんなに愛する月に先生の笑顔を浮かべても、手が届かないのはもっと哀しい。
喧嘩をしてお互いに否定的な言葉を吐いたこともあるけれど、一度だって愛することに疲れたことはなく、この五年間、毎日、毎日、静かに積み重ねてきた思いがあるから、私は昨日よりも今日の方がもっと先生を好きになってる。
先生・・・メールを始めた頃に、私がふさげて「好きになったら命がけ・・」と書いたら、「ずっと傍にいるよ」って送ってくれたよね。
先生は愛を語ること自体、偽善だと言うけれど、私はどんな愛の告白より嬉しかったことを思い出します。
恋愛中の愛言葉など信じる事が出来なかった私が、初めて信じてみたいと思えたのが先生です。
こんなことが起こるのだから、人生は素晴らしいものであると思っています。
先生・・・・ 大阪の空にも月は浮かんで見えていますか?私の月には先生の顔に映っています。
美月
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2009-05-02
薔薇色の庭
先生は無事に大阪から帰ってきました。
えへへ!当たり前ですよね・・・(笑)
今週は2度逢えて、先生の腕にぶる下がって歩く空もまだまだ明るくて、私はそれだけで嬉しい気持ちになりました。
馴染みのおでん屋さんで楽しい時間を過ごし、その後はホテルへと・・・。
淫靡な世界を追々書いていきますね(笑)
私には幼い頃から家庭に出張という制度がなく、傍にいるはずの人がいないとなると、それだけで心配で心寂しくなります。
もちろん私と先生は同じ屋根の下で過ごしているわけではないので、 「どこにいても同じだろう!」と、あっさり言われてしまえばそれまでですが・・・(汗)
でもね、先生がそんなことを言う人だったら、私はずっと前に先生の傍から消えていただろうと思います。
もっと自由があれば、毎回先生の出張に着いていけるのになぁ~。
旅行キップ1人分浮いたら、色々なところを旅できるし、それにね、美味しいものも食べられるよね(^^♪
若い頃の出会いに求めることがなかった理想の男性像。
年を重ねながら、いろいろな人を観てきた分だけ、男性に求める価値もまた変わってきたような気がします。
でも本当なら、出会いに少々妥協すべき年齢になってしまったのかもしれませんね(^^ゞ
だけど「妥協など出来ないものは出来ない!」としてしまう頑固な私ですから、先生と出会えたのは奇跡以上に奇奇怪怪というべきかもしれません。
最近つくづく「願い」って、願っているといつかは叶うものだと思うことが多く、願いが叶わないのは『願』を粗末に扱ったり、自ら放棄してしまうからではないかな?と思うようになりました。
私は幼い頃から母に遺言のように言われてきた言葉があります。
今となっては本当に遺言になってしまいましたが・・・。
「大人になったらパパのような人を見つけてね・・・それが女の幸せだから・・・」
幼い頃の私はその意味の深さを知らず、人生レールを快速特急で爽快に走ろうとしていたのかもしれません。
けれど古びた客車は最新機種に追われ、第一線から退くことになります。
人生の折り返し地点を過ぎれば、新しきものも古きものへと変わっていくのです。
ローカル線の鉄錆びた線路をまじまじと見つめた時、私の隣には先生がいました。
先生と一緒にいると、幼い頃の懐かしい風景まで浮かんできます。
何も持っていなかった子供の頃・・・。
当たり前のように時間は流れ、笑いあり、涙ありの昭和30年代。
あの頃の私が本当に欲しかったものは、一体なんだったのかな?
本当はね…母のような可愛いお嫁さんになりたかった(^^♪
急ぎ過ぎて見えなくなってしまっていた景色を、私は先生の心の窓から見つけることが出来て幸福を感じています。
逢瀬の帰り道・・・
いつもなら別れの切なさに負けそうになりますが、昨夜のホームには彼を見送る女性の姿がありました。
無情にもホームにアナウンスが流れると、発車時間が迫ります。
時計を見ながら彼との別れを惜しみ涙ぐむ彼女を観ていると、私まで切なくなりました。
彼女の鼻はトナカイよりも赤くて、 決して美人には見えなかったけれど、そんな彼女を誰よりも愛おしそうに見つめる彼の眼差しが痛いほど眩しかった。
そして発車のベルが鳴り、彼は車内へと・・・。
扉が閉まりかけた瞬間・・・彼が電車から飛び降りてしまいました。
ピエロのようにおどけて照れる彼の胸をバシバシ叩きながら、彼女は大泣きしながら笑っていました。
幸せな二人に魅せられて、幸せってね、人様の幸せであっても、こんなにも心を豊かにしてくれるものだと感じました。
そして私を乗せた電車は走り出し、鬼の眼に涙一つです。
ホームに残った先生はとても小さくなっていくけれど、 それでも若い二人を温かく見つめて苦笑する先生の優しい顔を見つけることができて嬉しかった。
ネオンの虹が流れる街を眺めながら、「若いって素晴らしいね・・・」と先生にメールで伝えたら、「・・・俺も若いんだけど・・・」と相変わらずのおどけた返事が返ってきました。
(もうっ!まったくっ・・・先生ったらっ・・・)
だけどね、 先生は誰よりも私を笑わせるのが上手な人だと思っています。
この人で良かった・・・。
この人に出逢えて本当によかったと思う気持ちを、愛と訳してもいいですか?
そして・・・今・・・先生から一通の花便りが届きました。
長い休日を恨めしく思ってたいた私の乾いた心が、一瞬にして艶やかに咲き誇る薔薇色の庭になりました。
美月
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えへへ!当たり前ですよね・・・(笑)
今週は2度逢えて、先生の腕にぶる下がって歩く空もまだまだ明るくて、私はそれだけで嬉しい気持ちになりました。
馴染みのおでん屋さんで楽しい時間を過ごし、その後はホテルへと・・・。
淫靡な世界を追々書いていきますね(笑)
私には幼い頃から家庭に出張という制度がなく、傍にいるはずの人がいないとなると、それだけで心配で心寂しくなります。
もちろん私と先生は同じ屋根の下で過ごしているわけではないので、 「どこにいても同じだろう!」と、あっさり言われてしまえばそれまでですが・・・(汗)
でもね、先生がそんなことを言う人だったら、私はずっと前に先生の傍から消えていただろうと思います。
もっと自由があれば、毎回先生の出張に着いていけるのになぁ~。
旅行キップ1人分浮いたら、色々なところを旅できるし、それにね、美味しいものも食べられるよね(^^♪
若い頃の出会いに求めることがなかった理想の男性像。
年を重ねながら、いろいろな人を観てきた分だけ、男性に求める価値もまた変わってきたような気がします。
でも本当なら、出会いに少々妥協すべき年齢になってしまったのかもしれませんね(^^ゞ
だけど「妥協など出来ないものは出来ない!」としてしまう頑固な私ですから、先生と出会えたのは奇跡以上に奇奇怪怪というべきかもしれません。
最近つくづく「願い」って、願っているといつかは叶うものだと思うことが多く、願いが叶わないのは『願』を粗末に扱ったり、自ら放棄してしまうからではないかな?と思うようになりました。
私は幼い頃から母に遺言のように言われてきた言葉があります。
今となっては本当に遺言になってしまいましたが・・・。
「大人になったらパパのような人を見つけてね・・・それが女の幸せだから・・・」
幼い頃の私はその意味の深さを知らず、人生レールを快速特急で爽快に走ろうとしていたのかもしれません。
けれど古びた客車は最新機種に追われ、第一線から退くことになります。
人生の折り返し地点を過ぎれば、新しきものも古きものへと変わっていくのです。
ローカル線の鉄錆びた線路をまじまじと見つめた時、私の隣には先生がいました。
先生と一緒にいると、幼い頃の懐かしい風景まで浮かんできます。
何も持っていなかった子供の頃・・・。
当たり前のように時間は流れ、笑いあり、涙ありの昭和30年代。
あの頃の私が本当に欲しかったものは、一体なんだったのかな?
本当はね…母のような可愛いお嫁さんになりたかった(^^♪
急ぎ過ぎて見えなくなってしまっていた景色を、私は先生の心の窓から見つけることが出来て幸福を感じています。
逢瀬の帰り道・・・
いつもなら別れの切なさに負けそうになりますが、昨夜のホームには彼を見送る女性の姿がありました。
無情にもホームにアナウンスが流れると、発車時間が迫ります。
時計を見ながら彼との別れを惜しみ涙ぐむ彼女を観ていると、私まで切なくなりました。
彼女の鼻はトナカイよりも赤くて、 決して美人には見えなかったけれど、そんな彼女を誰よりも愛おしそうに見つめる彼の眼差しが痛いほど眩しかった。
そして発車のベルが鳴り、彼は車内へと・・・。
扉が閉まりかけた瞬間・・・彼が電車から飛び降りてしまいました。
ピエロのようにおどけて照れる彼の胸をバシバシ叩きながら、彼女は大泣きしながら笑っていました。
幸せな二人に魅せられて、幸せってね、人様の幸せであっても、こんなにも心を豊かにしてくれるものだと感じました。
そして私を乗せた電車は走り出し、鬼の眼に涙一つです。
ホームに残った先生はとても小さくなっていくけれど、 それでも若い二人を温かく見つめて苦笑する先生の優しい顔を見つけることができて嬉しかった。
ネオンの虹が流れる街を眺めながら、「若いって素晴らしいね・・・」と先生にメールで伝えたら、「・・・俺も若いんだけど・・・」と相変わらずのおどけた返事が返ってきました。
(もうっ!まったくっ・・・先生ったらっ・・・)
だけどね、 先生は誰よりも私を笑わせるのが上手な人だと思っています。
この人で良かった・・・。
この人に出逢えて本当によかったと思う気持ちを、愛と訳してもいいですか?
そして・・・今・・・先生から一通の花便りが届きました。
長い休日を恨めしく思ってたいた私の乾いた心が、一瞬にして艶やかに咲き誇る薔薇色の庭になりました。
美月
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2009-05-07
夫婦桜
先生と出会ってから、5回目の春を迎え今年も二人で桜を楽しむことが出来ました。
5年前・・・ある晩、メル友募集の一文に眼が止まりました。
それが先生との出会いでした。
男女の交わりを出会いに求めていたわけではなく、仮想世界…見えない相手だからこそ、なんでも腹を割って話せる人が欲しかったのかもしれません。
そして仮想世界から始まった二人は、いつしか現実世界の二人へと移行していきました。
「淡い恋心」
それは本物の先生に直接会う前(文中)から、始まっていたような気がします。
毎晩、メールを交し合い、それは今も途切れることなく続いますが、他の恋愛カップルのメールのやり取りを知ることはないけれど、でもね、きっと私達のメールはどこか普通と違っていたような・・・。
出会ったばかりの頃、先生からのメールに「いつか君は主人の元へ帰っていくだろう・・・・」と書いてありました。
「渡り鳥が海上で休む宿木、 疲れた翼を休めるため俺がいるんだよ」って・・・。
私はね、私が先生の宿木ではないか?と思って哀しくなりました。
もちろん今も家庭はあるけれど、心の居場所を見つけることが出来なくなってしまった私は、この海(先生の存在)がとても広く大きく感じられたからです。
思い悩む日々・・・
一人、輝く星空を見上げて車を飛ばし、長年通いなれた海へと向かったこともあります。
海に着いたら空と海が白けだし、次第に朝の空気へと変わっていく。
だけど、海はなにも変わってはいなかった。
ただいつもと同じ海がそこにあるだけでした。
そんな当たり前のことがわからない自分が、あまりにも馬鹿馬鹿しく思えて、可笑しくて涙が出てしまった。
結婚生活で得たものは?本当は最初から何も変わっていなかったことに気付きました・・・。
最初のまま・・・暦は月日を綴り・・・時計は時を刻むけれど、お互いに歩んでいる道が違うことに気付かないほど、相手が見えていなかったただけのことだと知れば、今を儚く思う感情は、大義名分欲しさに体裁よく、後付したものに他ならない・・・。
そのことを認めるべき時がやっと来たように思えました。
「大切な時間・・・」
今年も先生とお花見をしながら、花見客に物売る一組の夫婦の背中を見つめていました。
冷たい氷水に手を入れ、お酒を売る年配の妻の手は、山芋のようにごつごつと腫れあがって痛々しかった。
旦那は売れない菓子を並べては、忙しく働く妻を横目で見つめ、それでいて申し訳無い程度にダンボールを潰しては、妻と同じ時間を共有しているようにも思えました。
しっかり者の妻と役立たずな旦那・・・(笑)
だけどね、懸命に働く妻の背中を見ていたら、この女性にとっては、この旦那がいないと生きていけないほど大切な存在なのだと感じてきました。
この旦那がいるから・・・この妻がいるから・・・お互いの今がある。
これが本当の夫婦の形なのでしょうね。
私達は互いに語ることなく、しばらく二人の背中をじっと見つめていました。
私は先生と同じ景色が見えていることの喜びと、この夫婦に出会えた感動で無性に心が浮き立ってしまい、途中から一人ではしゃぎ始めて、いつものように先生に怒られてしまったけれど、人様の愛する亭主を馬鹿にしながらも、なぜか?心は和み癒されていく・・・愛に触れて・・・(^^ゞ
桜が五分ほど咲き、人々が七分咲きとなる並木道を黙って二人で手を繋ぎ、ネオンの街へと向かいました。
先生が言いました。
「お前、俺をあの旦那と同じだと思ってるだろうっ!!!」
「えへへ!・・・思ってるよっ・・・・だってね・・・先生ってね・・・・むふふっ・・・」
だってね、先生は偏屈者だけど・・・それに気が短いし・・・怒ると子供みたいになっちゃうし・・・。
それにね、もし?私がいなくなったら、桜を見つけるたびに鑑賞が感傷になってしまうと思うから・・・(^_^;)
桜の下には薄紅色の頬が似合うと思う。
こんな私でも先生は私が傍にいることを喜んでくれていると思うから、私は最期の一葉ならぬ永遠に枯れない姥桜のまま、先生の傍にいようと思っています。
そして・・・今日も花便りが届きました。
日々、薔薇の美しさに魅了されながらも、何より嬉しいと思うことは、薔薇を映しながら、私に送ろうと思ってくれる先生の思いやりの心です。
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5年前・・・ある晩、メル友募集の一文に眼が止まりました。
それが先生との出会いでした。
男女の交わりを出会いに求めていたわけではなく、仮想世界…見えない相手だからこそ、なんでも腹を割って話せる人が欲しかったのかもしれません。
そして仮想世界から始まった二人は、いつしか現実世界の二人へと移行していきました。
「淡い恋心」
それは本物の先生に直接会う前(文中)から、始まっていたような気がします。
毎晩、メールを交し合い、それは今も途切れることなく続いますが、他の恋愛カップルのメールのやり取りを知ることはないけれど、でもね、きっと私達のメールはどこか普通と違っていたような・・・。
出会ったばかりの頃、先生からのメールに「いつか君は主人の元へ帰っていくだろう・・・・」と書いてありました。
「渡り鳥が海上で休む宿木、 疲れた翼を休めるため俺がいるんだよ」って・・・。
私はね、私が先生の宿木ではないか?と思って哀しくなりました。
もちろん今も家庭はあるけれど、心の居場所を見つけることが出来なくなってしまった私は、この海(先生の存在)がとても広く大きく感じられたからです。
思い悩む日々・・・
一人、輝く星空を見上げて車を飛ばし、長年通いなれた海へと向かったこともあります。
海に着いたら空と海が白けだし、次第に朝の空気へと変わっていく。
だけど、海はなにも変わってはいなかった。
ただいつもと同じ海がそこにあるだけでした。
そんな当たり前のことがわからない自分が、あまりにも馬鹿馬鹿しく思えて、可笑しくて涙が出てしまった。
結婚生活で得たものは?本当は最初から何も変わっていなかったことに気付きました・・・。
最初のまま・・・暦は月日を綴り・・・時計は時を刻むけれど、お互いに歩んでいる道が違うことに気付かないほど、相手が見えていなかったただけのことだと知れば、今を儚く思う感情は、大義名分欲しさに体裁よく、後付したものに他ならない・・・。
そのことを認めるべき時がやっと来たように思えました。
「大切な時間・・・」
今年も先生とお花見をしながら、花見客に物売る一組の夫婦の背中を見つめていました。
冷たい氷水に手を入れ、お酒を売る年配の妻の手は、山芋のようにごつごつと腫れあがって痛々しかった。
旦那は売れない菓子を並べては、忙しく働く妻を横目で見つめ、それでいて申し訳無い程度にダンボールを潰しては、妻と同じ時間を共有しているようにも思えました。
しっかり者の妻と役立たずな旦那・・・(笑)
だけどね、懸命に働く妻の背中を見ていたら、この女性にとっては、この旦那がいないと生きていけないほど大切な存在なのだと感じてきました。
この旦那がいるから・・・この妻がいるから・・・お互いの今がある。
これが本当の夫婦の形なのでしょうね。
私達は互いに語ることなく、しばらく二人の背中をじっと見つめていました。
私は先生と同じ景色が見えていることの喜びと、この夫婦に出会えた感動で無性に心が浮き立ってしまい、途中から一人ではしゃぎ始めて、いつものように先生に怒られてしまったけれど、人様の愛する亭主を馬鹿にしながらも、なぜか?心は和み癒されていく・・・愛に触れて・・・(^^ゞ
桜が五分ほど咲き、人々が七分咲きとなる並木道を黙って二人で手を繋ぎ、ネオンの街へと向かいました。
先生が言いました。
「お前、俺をあの旦那と同じだと思ってるだろうっ!!!」
「えへへ!・・・思ってるよっ・・・・だってね・・・先生ってね・・・・むふふっ・・・」
だってね、先生は偏屈者だけど・・・それに気が短いし・・・怒ると子供みたいになっちゃうし・・・。
それにね、もし?私がいなくなったら、桜を見つけるたびに鑑賞が感傷になってしまうと思うから・・・(^_^;)
桜の下には薄紅色の頬が似合うと思う。
こんな私でも先生は私が傍にいることを喜んでくれていると思うから、私は最期の一葉ならぬ永遠に枯れない姥桜のまま、先生の傍にいようと思っています。
そして・・・今日も花便りが届きました。
日々、薔薇の美しさに魅了されながらも、何より嬉しいと思うことは、薔薇を映しながら、私に送ろうと思ってくれる先生の思いやりの心です。
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theme : ★☆灰になるまで恋を・・・★☆彡
genre : アダルト
2009-05-10
母恋月・・・(前編)
時計が12時を過ぎ、母の日になりました。
そして今宵は満月の夜です。
私の座る位置からも月が朧気に輝いて見えています。
母へのカーネーションの色が赤から白に変わってから、15回目の母の日となりました。
幼い頃の思い出・・・。
東京の空にも月にはありました。
京急の電車が走る、小さな駅にも賑わう商店街がありました。
小さな町でありながら、沢山の人で賑わい人々の生活の基盤となりながら、どこかテーマパークのような要素を兼ね備えた街。
幼い頃の思い出を人様に語ることなど、以前の私では思ってもみなかったことですが、幼かった頃の記憶を蘇らせ、こうして語れるまでになれたのは他でもない、先生の存在があるからだと思っています。
幼い頃の先生も似たような町で育ったからかもしれませんが、私達は出会う前から同じ景色が見えていたような気がします。
商店街には色々なお店がありました。
私は商店街の真ん中に位置する小さな靴屋の娘として産まれました。
住まいは狭い路地を入った店の裏手にありました。
商店街には幾つも細長い路地があり、人々の住居スペースとなっていました。
玄関一つ、トイレ一つ、もちろんお風呂は銭湯通い、台所も共有スペースの4世帯が住むアパートの六畳一間が、私達家族の住まいでした。
今で言えば一軒屋に4世帯が寄り添って暮らす、マッチ箱ほどの小さな世界でした。
父は茨城の田舎から17歳で上京すると、靴屋の丁稚となりました。
丁稚時代に暮らしていた部屋は、窓の無い3畳に3人で住んでいたと聞かされた時は、農家の本家で育った父がこんな暗く狭い部屋で暮らすなど、さぞかし多くの苦労があっただろうと思います。
それでも父は夢である自分の店を持つ為、懸命に修行に励みました。
けれど「丁稚の身で給金をもらえるだけでもありがたいと思え・・・」と平気で言うような親方の元では、誰よりも早く腕をあげたところで、到底、自分の店など持てません。
父はたまの休日を利用し浅草の問屋街で仕入れた品を闇で売り、小遣いは殆ど使わず、僅かな給金を貯めては闇金融を始めたそうです。
それでは満足行かず、仕入れた品物を田舎で売りさばきながら、売れた代金で作物を買い付け、また作物を生産させてブローカーまがいの商売までしてお金を貯めたそうです。
毎日、過酷な労働の中で、父の唯一の楽しみは、母の勤める店に通うことでした。
母は親戚の叔母の経営しているおでん屋を手伝っていました。
兄弟11人、家族の多い貧しい暮らしの中で育った母。
母のすぐ下の妹は父親の妹(叔母)の元に貰われて行き、豊かな暮らしを送ります。
兄弟達は誰もが「私が(俺が)貰われっ子になりたかった」と親の前で平気で言うくらいですから、貧しさが心を蝕み、誰もが切なさの境地に達していたのだろうと思います。
でも母だけは、「おかあちゃんの傍がいい」と思ったそうです。
母は成長するに連れ器量良しとなると、おでん屋の看板娘となり、叔母さんにもお客様にとても可愛がられたそうです。
と、母は言っていましたが、 私の知る限りこの叔母は、舌切りスズメの話に出てくる悪いおばあさんよりもっともっと意地悪で悪毒見えました。
母は幼い頃から歌が上手で踊りも好きだったそうです。
長年、土佐周りの一座で生計を立てていた祖父方の影響かもしれませんが、普段は人を押しのけて話すことを嫌う母でしたが、芸事になると途端に人が変わったようになり、動じることもありません。
おでん屋と言っても酒場である以上、男性からの誘いも多く、十代の母には好ましい仕事ではなかったようですが、叔母から出してもらう三味線、長唄、踊りの稽古賃が、当時の母にとっては捨てがたかったのでしょうね。
叔母が稽古賃を出したのも母の為と言うより商売だと思うのですが、でも私の母は人の心の裏側を探る人ではなく、稽古に行く時間が嬉しくて、叔母に感謝していたそうです。
おでんや店ではいつも着物を着て、三味線を弾き、長唄を唄う母。
そんな母に惹かれた父は、毎晩のように通うようになったそうです。
けれど店を立ち上げる資金を貯める身にとって、毎晩の酒代はかなりの痛手です。
だから父がいつも決まって注文するのは、ビール一本とおでんのがんもとちくわぶだけだったそうです。
母の元に通うには金銭的苦労もありましたが、父のライバルは多く、銀行員、大会社に勤めるサラリーマン、公務員と、どの人も結婚条件にはもってこいの好青年ばかり。
父は給金が入ると問屋街で買った珍しい菓子を叔母の元へこまめに付け届けをして、やっと店のカウンターの一番奥の常連指定席(母の前)に座れるようになるまでには、相当の時間と苦労があったようです。
それでも母は、父が店に来たその日から、ずっと父が好きだったそうです。
叔母にわからないように、こっそり付き出しの量を増やしたり、一番、汁の沁みている、がんもをこっそり隠して出したり・・・。
そして父も同じ・・・。
叔母の付け届けとは別に、おあいそする機会を見計らって、こっそり母だけに雷おこしや煎餅を渡す。
お互いに惹かれあっているのがわかりすぎるのに、それでも父は自分の店を持つ目処が立つまでは、一切の愛を告げることなく、黙って母を見つめる日々だったそうです。
だけど母にも父の心が観えていたのでしょうか?
父との約束など何一つないのに、それでも叔母に勧められる男性とのデートで、どんなに美味しいものを食べさせてもらっても、観たかった映画に誘ってもらっても、心は晴れることなく父の顔だけが浮かんでくる。
何度も持ちかけられる豊かな縁談話にも、母の心は動かされることなく、ただ父だけを信じ、その日を待っていたそうです。
母の夢は、父のお嫁さんになること。
父の努力の介あって、目出度く靴屋を出すことことが出来ました。
そして父にとって店以上に念願だった愛する人をお嫁さんに迎えることが出来ました。
母の花嫁道具は大きなアルミ鍋一つでした。
家が貧しかったので、兄弟達もまともな結婚式を挙げることができなかったそうです。
父の生まれ育った家は旧家で、何代に亘り町長を勤めた家でもありました。
父は母が親戚達に恥ずめを受けないようにと、資金を出して立派な結婚式を挙げたそうです。
開店と結婚式を同時に貯めたのですから、並大抵の努力ではなかったと思います。
でも母は父の苦労を一切知らずにいたそうですが…。
弱音や愚痴を吐かない父だから、いつも冗談ばかりいって母を笑わせます。
そのくせ「お前は呑気でいいなぁ~」というのが父の口癖でしたが、でも父は母の笑顔を見るためなら、どんなことだってできる人でした。
父は今でも「それだけが俺の自慢だ」と豪語しています。
本来の父は頑固者です。それにとても厳しい人だし、怠け者が大嫌い。
でも父にとって母だけは、いつも特別な存在でした。
母は嫁入り道具の鍋をとても大切にし、得意のおでんを煮込みます。
父の大好きながんもとちくわぶを煮るためにね。。。
父と母はいつも一緒に店に出ていました。
母はとてもヤキモチ妬きな人で、父が女性客と楽しそうに話をしていると、プイッとそっぽを向いて外に出て行ってしまいます。
女房思うほど亭主モテずでありながら、それに母の方が何倍も男性客からモテるのに、子供のように拗ねる母を誰よりも愛おしいと感じていた父。
昔「うるせいやつら」という漫画がありましたね。
私には母がラムちゃんそっくりに思えたものです。
だからと言って母が女性客に嫌われるか?と思えばそうでもなく、お客様はみな地元の人ですので、誰もが母の純粋さに微笑を捧いでくれるほど、日々愛を確かめあう二人に共感してくれていたのだろうと思います。
だけどね、こんなこと・・・我が家だけの特別なことではなく、商店街に暮らす周りの夫婦もみな同じようなものでした。
どこの店に行っても夫婦を愚痴りあい、惚気合い、笑い合い・・・そして、心和み・・・暮らす街。
皆ふるさとを遠く離れた小さな街で、たまたま出会った他人同士が肩を寄せ合い生きていく、そんな優しい街でした。
一緒に店を持つ、共に商売をする者にとって衣食住、金銭、時間、そのどれをとっても二人の共有財産であるのです。
だから商売人夫婦は、心中する覚悟がないと一緒にはいられません。
ただ人と暮らすだけなら、同じアパートの一つ屋根に住む偽家族とも暮らせますが、共に生きるということは、愛する者同士がお互いを信じあい、愛することで満たされていくのです。
貧しさや苦しみに耐える日があっても、共有する時間が心の豊かさとより、日常生活をより豊かにしていくのが、本当の夫婦のあり方なのでしょうね。
ある日、心貧しき人が「愛では飯が食えない」と母に言いました。
けれど普段内気な母が引き下がることなく「愛がなくてはご飯もいらない」と言いました。
母は父の傍にいられるだけで、本当に幸せだったのだろうと思います。
何度も大病を患う父でした。
母はそのたびに父を失うことの恐ろしさに心を震わせ、「私の命以上にパパが大切」だと言いました。
「人にはどれほどの寿命があるか?わからないけれど、でも分けられるのなら、パパにあげたい…」と何度も願ったそうです。
そして誰よりも母を思う父は、「俺にもしも?のことがあったら、お前がママを守ってくれ・・・」 と病の度に言いました。
父の言葉が命令だったのか?それとも願いだったのか? 幼い私にはよくわからなかったけれど、私が初めて店番を手伝ったのは、幼稚園の時からでした。
私には3つ違いの弟と九つ違いの弟がいます。
本来なら男である弟に申し付ける事を、私に言うなんて納得はいきません。
「お前は人より少し賢い。その辺のへなちょこ男に負けるはずがないのだから、俺が居なくなったらお前が家族を守れ・・・・」
男として生きる道は、どんな生き方であるべきなのでしょうね。
でも男以上に賢く生きなくては、そう・・・私には守るべき者達がいるのだから・・・と思い込まされるのですから、私は父に洗脳されてしまったのかもしれません。
つづく・・・
FC2 大人の恋愛 人生最後の恋愛
そして今宵は満月の夜です。
私の座る位置からも月が朧気に輝いて見えています。
母へのカーネーションの色が赤から白に変わってから、15回目の母の日となりました。
幼い頃の思い出・・・。
東京の空にも月にはありました。
京急の電車が走る、小さな駅にも賑わう商店街がありました。
小さな町でありながら、沢山の人で賑わい人々の生活の基盤となりながら、どこかテーマパークのような要素を兼ね備えた街。
幼い頃の思い出を人様に語ることなど、以前の私では思ってもみなかったことですが、幼かった頃の記憶を蘇らせ、こうして語れるまでになれたのは他でもない、先生の存在があるからだと思っています。
幼い頃の先生も似たような町で育ったからかもしれませんが、私達は出会う前から同じ景色が見えていたような気がします。
商店街には色々なお店がありました。
私は商店街の真ん中に位置する小さな靴屋の娘として産まれました。
住まいは狭い路地を入った店の裏手にありました。
商店街には幾つも細長い路地があり、人々の住居スペースとなっていました。
玄関一つ、トイレ一つ、もちろんお風呂は銭湯通い、台所も共有スペースの4世帯が住むアパートの六畳一間が、私達家族の住まいでした。
今で言えば一軒屋に4世帯が寄り添って暮らす、マッチ箱ほどの小さな世界でした。
父は茨城の田舎から17歳で上京すると、靴屋の丁稚となりました。
丁稚時代に暮らしていた部屋は、窓の無い3畳に3人で住んでいたと聞かされた時は、農家の本家で育った父がこんな暗く狭い部屋で暮らすなど、さぞかし多くの苦労があっただろうと思います。
それでも父は夢である自分の店を持つ為、懸命に修行に励みました。
けれど「丁稚の身で給金をもらえるだけでもありがたいと思え・・・」と平気で言うような親方の元では、誰よりも早く腕をあげたところで、到底、自分の店など持てません。
父はたまの休日を利用し浅草の問屋街で仕入れた品を闇で売り、小遣いは殆ど使わず、僅かな給金を貯めては闇金融を始めたそうです。
それでは満足行かず、仕入れた品物を田舎で売りさばきながら、売れた代金で作物を買い付け、また作物を生産させてブローカーまがいの商売までしてお金を貯めたそうです。
毎日、過酷な労働の中で、父の唯一の楽しみは、母の勤める店に通うことでした。
母は親戚の叔母の経営しているおでん屋を手伝っていました。
兄弟11人、家族の多い貧しい暮らしの中で育った母。
母のすぐ下の妹は父親の妹(叔母)の元に貰われて行き、豊かな暮らしを送ります。
兄弟達は誰もが「私が(俺が)貰われっ子になりたかった」と親の前で平気で言うくらいですから、貧しさが心を蝕み、誰もが切なさの境地に達していたのだろうと思います。
でも母だけは、「おかあちゃんの傍がいい」と思ったそうです。
母は成長するに連れ器量良しとなると、おでん屋の看板娘となり、叔母さんにもお客様にとても可愛がられたそうです。
と、母は言っていましたが、 私の知る限りこの叔母は、舌切りスズメの話に出てくる悪いおばあさんよりもっともっと意地悪で悪毒見えました。
母は幼い頃から歌が上手で踊りも好きだったそうです。
長年、土佐周りの一座で生計を立てていた祖父方の影響かもしれませんが、普段は人を押しのけて話すことを嫌う母でしたが、芸事になると途端に人が変わったようになり、動じることもありません。
おでん屋と言っても酒場である以上、男性からの誘いも多く、十代の母には好ましい仕事ではなかったようですが、叔母から出してもらう三味線、長唄、踊りの稽古賃が、当時の母にとっては捨てがたかったのでしょうね。
叔母が稽古賃を出したのも母の為と言うより商売だと思うのですが、でも私の母は人の心の裏側を探る人ではなく、稽古に行く時間が嬉しくて、叔母に感謝していたそうです。
おでんや店ではいつも着物を着て、三味線を弾き、長唄を唄う母。
そんな母に惹かれた父は、毎晩のように通うようになったそうです。
けれど店を立ち上げる資金を貯める身にとって、毎晩の酒代はかなりの痛手です。
だから父がいつも決まって注文するのは、ビール一本とおでんのがんもとちくわぶだけだったそうです。
母の元に通うには金銭的苦労もありましたが、父のライバルは多く、銀行員、大会社に勤めるサラリーマン、公務員と、どの人も結婚条件にはもってこいの好青年ばかり。
父は給金が入ると問屋街で買った珍しい菓子を叔母の元へこまめに付け届けをして、やっと店のカウンターの一番奥の常連指定席(母の前)に座れるようになるまでには、相当の時間と苦労があったようです。
それでも母は、父が店に来たその日から、ずっと父が好きだったそうです。
叔母にわからないように、こっそり付き出しの量を増やしたり、一番、汁の沁みている、がんもをこっそり隠して出したり・・・。
そして父も同じ・・・。
叔母の付け届けとは別に、おあいそする機会を見計らって、こっそり母だけに雷おこしや煎餅を渡す。
お互いに惹かれあっているのがわかりすぎるのに、それでも父は自分の店を持つ目処が立つまでは、一切の愛を告げることなく、黙って母を見つめる日々だったそうです。
だけど母にも父の心が観えていたのでしょうか?
父との約束など何一つないのに、それでも叔母に勧められる男性とのデートで、どんなに美味しいものを食べさせてもらっても、観たかった映画に誘ってもらっても、心は晴れることなく父の顔だけが浮かんでくる。
何度も持ちかけられる豊かな縁談話にも、母の心は動かされることなく、ただ父だけを信じ、その日を待っていたそうです。
母の夢は、父のお嫁さんになること。
父の努力の介あって、目出度く靴屋を出すことことが出来ました。
そして父にとって店以上に念願だった愛する人をお嫁さんに迎えることが出来ました。
母の花嫁道具は大きなアルミ鍋一つでした。
家が貧しかったので、兄弟達もまともな結婚式を挙げることができなかったそうです。
父の生まれ育った家は旧家で、何代に亘り町長を勤めた家でもありました。
父は母が親戚達に恥ずめを受けないようにと、資金を出して立派な結婚式を挙げたそうです。
開店と結婚式を同時に貯めたのですから、並大抵の努力ではなかったと思います。
でも母は父の苦労を一切知らずにいたそうですが…。
弱音や愚痴を吐かない父だから、いつも冗談ばかりいって母を笑わせます。
そのくせ「お前は呑気でいいなぁ~」というのが父の口癖でしたが、でも父は母の笑顔を見るためなら、どんなことだってできる人でした。
父は今でも「それだけが俺の自慢だ」と豪語しています。
本来の父は頑固者です。それにとても厳しい人だし、怠け者が大嫌い。
でも父にとって母だけは、いつも特別な存在でした。
母は嫁入り道具の鍋をとても大切にし、得意のおでんを煮込みます。
父の大好きながんもとちくわぶを煮るためにね。。。
父と母はいつも一緒に店に出ていました。
母はとてもヤキモチ妬きな人で、父が女性客と楽しそうに話をしていると、プイッとそっぽを向いて外に出て行ってしまいます。
女房思うほど亭主モテずでありながら、それに母の方が何倍も男性客からモテるのに、子供のように拗ねる母を誰よりも愛おしいと感じていた父。
昔「うるせいやつら」という漫画がありましたね。
私には母がラムちゃんそっくりに思えたものです。
だからと言って母が女性客に嫌われるか?と思えばそうでもなく、お客様はみな地元の人ですので、誰もが母の純粋さに微笑を捧いでくれるほど、日々愛を確かめあう二人に共感してくれていたのだろうと思います。
だけどね、こんなこと・・・我が家だけの特別なことではなく、商店街に暮らす周りの夫婦もみな同じようなものでした。
どこの店に行っても夫婦を愚痴りあい、惚気合い、笑い合い・・・そして、心和み・・・暮らす街。
皆ふるさとを遠く離れた小さな街で、たまたま出会った他人同士が肩を寄せ合い生きていく、そんな優しい街でした。
一緒に店を持つ、共に商売をする者にとって衣食住、金銭、時間、そのどれをとっても二人の共有財産であるのです。
だから商売人夫婦は、心中する覚悟がないと一緒にはいられません。
ただ人と暮らすだけなら、同じアパートの一つ屋根に住む偽家族とも暮らせますが、共に生きるということは、愛する者同士がお互いを信じあい、愛することで満たされていくのです。
貧しさや苦しみに耐える日があっても、共有する時間が心の豊かさとより、日常生活をより豊かにしていくのが、本当の夫婦のあり方なのでしょうね。
ある日、心貧しき人が「愛では飯が食えない」と母に言いました。
けれど普段内気な母が引き下がることなく「愛がなくてはご飯もいらない」と言いました。
母は父の傍にいられるだけで、本当に幸せだったのだろうと思います。
何度も大病を患う父でした。
母はそのたびに父を失うことの恐ろしさに心を震わせ、「私の命以上にパパが大切」だと言いました。
「人にはどれほどの寿命があるか?わからないけれど、でも分けられるのなら、パパにあげたい…」と何度も願ったそうです。
そして誰よりも母を思う父は、「俺にもしも?のことがあったら、お前がママを守ってくれ・・・」 と病の度に言いました。
父の言葉が命令だったのか?それとも願いだったのか? 幼い私にはよくわからなかったけれど、私が初めて店番を手伝ったのは、幼稚園の時からでした。
私には3つ違いの弟と九つ違いの弟がいます。
本来なら男である弟に申し付ける事を、私に言うなんて納得はいきません。
「お前は人より少し賢い。その辺のへなちょこ男に負けるはずがないのだから、俺が居なくなったらお前が家族を守れ・・・・」
男として生きる道は、どんな生き方であるべきなのでしょうね。
でも男以上に賢く生きなくては、そう・・・私には守るべき者達がいるのだから・・・と思い込まされるのですから、私は父に洗脳されてしまったのかもしれません。
つづく・・・
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2009-05-12
母恋月・・・(後編)
父には幼い頃から厳しく育てられました。
本来は誰よりも優しい家族思いの父でしたが、商人根性を仕込むとなると、相手が子供であろうが大人であろうが関係ありません。
けれど、幼い頃の経験があって今の私の日常生活に役立っているのですから、若い頃の苦労は買ってでもしろ!というのは名言中の名言ですね。
私が商売を覚えるようになったのは、母には幼い頃から勉学という環境がなく、「頭を使う暇があるなら、体を使って稼げ」と言われ育って育ったからだと思います。
漢字も読めない、計算も出来なかった母を、父が心配するのも仕方の無いことでした。
時代は移り変わり 靴を買うのは大きな町の高級店へと人々が移行すると、店は靴屋ではなく安呆けたサンダル屋と化していきました。
このまま店を続けていけば、いずれは資金が底を付き 借金だけが加算でいく一方です。
商店街の真ん中に落ちる夕陽に染まる母の笑顔が灰色に変わり始めると、父は大切な者達を守る為、店を閉める覚悟を決めたようです。
ある晩、銭湯の帰りに母と二人で晩秋の月を眺めて歩きました。
「おかあちゃん・・・」 母が月を見上げて呟きました。
母の眼に潤んだ月が写って見えました。
「ママ、哀しいの?」
「ううん・・・哀しくないよ」
「そう…ならいいけど…」
それから、しばらく無言のまま二人で月を見上げて歩いていると、母がポツリポツリと話し出しました。
「あのね、今、月の中におかあちゃんの顔が見えたの・・」
「へぇ?どんな顔してたっ?」
「うん、それがね、おかあちゃんの顔が途中からパパの顔になった」
「えっ!パパは死んでないでょ・・・」
「うん、パパは月にはならないの。 だけど私は月になりたいなぁ? 月になればね・・・ ・・・ 」
その後の言葉はよく聞こえませんでした。
いつもこんな調子で訳のわからないことを突然いう母でしたので、またおかしなことを言い出したと思い、あえて真意を聞き直すこともしませんでした。
いつもそう・・子供のように甘える母、私は誰よりも父に甘ったれて生きてる母が嫌いでした。
それに母は持病に喘息があっても、今まで大きな病気一つしたことがないのです。
そんな母が父より先に逝くわけがないと思っていました。
私は父の願いである母の為に頑張っているのに、ありもしない妄想の中の悲恋話にまで付き合わされるなんて、いくら大切な家族であっても、母は呑気過ぎる。
だから、女という生き物は嫌い・・・。
誰かに依然しなくては、生きられない女など野良猫にも劣ると思っていました。
それでも母は私がイライラしていることに気付くことなく、「●●ちゃんが大人になったら、パパのような人と結婚してね・・・」と諭し、月の光を背に受けた月光観音のように、それはそれは慈悲深い涙を独り勝手に流しています。
でもね涙に気を取られた私を平気で置いけぼりにして、スイスイ歩き出す母の身勝手さは、他に類を見ない自分勝手女だと思いました。
(でも何故母は、こんなにも愛されてるのに涙を流すのかな?)
母は急に振りると、私に言いました・・・。
「私ね・・・幸せだなぁ・・・と思ってるの。パパに出会えて本当に幸せだなぁ~といつも思ってるのよ」
「だからね、きっと死んだおかあちゃんも同じかな~と思って…。ちっとも働かないおとうちゃんだから苦労ばかりの人生だっけど、でもおかあちゃんはおとうちゃんのことが好きだったから、最期まで家族の為に頑張ってこれたんだと思う」
男に勝る女になれ!と父に教えられている私に、いまさら無力な独りの女に「女の人生」は男によって満たされるものだと教えられても理解できません。
お陰で私は大人になっても男女の愛に纏わる理論がわからず、 先生に出会うまで母の言葉の深い意味さえ見つけられないまま、ただ呆然と人生の矛盾の中を彷徨っていたのかもしれません。
この日の記憶が消えてから、月は何度も静かに生まれ変わり、59歳の若さで父の元から去って逝った母。
まるで予想外の出来事に、自分の命の時間を父に分けてあげたいと何度も願った母の思いが、神に届いてしまったのではないか?とさえ思いました。
何もかもが許せなかった。
でも一番、許せなかったのは、私の心の貧しさでした。
だから母への思いは、誰にも語れませんでした。
もちろんそっと聞かれたら、そっと話しだそうと思う気持ちはいつもありました。
でも誰も聞いてはくれませんでした。
母のことも、懐かしい商店街のこともね…。
今ある環境に私の過去など必要ありません…。
でも過去から現在、そして未来へと道は繋がっていると思うと、せめて愛する人くらいには、知って欲しい思い出もありますよね。
母が入院先の病室から眺めた月は、どんな形をしていたのかな?
きっと毎晩、独り月を見上げては父を思い、溢れる涙が頬を濡らしていたでしょうね。
何度、父の名を呼び、何度、父に逢いたいと、月に縋ったことでしょうね。
結局、私は何一つ守ることが出来なかったけれど、先生と出会えて始めて母の言っていた「女としての幸せ」を知ることが出来ました。
今、空を見上げれば、母恋月には母の笑顔が映っています。
カーネーションの花言葉。。。
赤は「純 愛」、そして白は「私の愛は生きている」とあります。
きっと母の愛も、父の中で生き続けていることでしょうね。
母の日に母はなくても、母を思う気持ちに変わりありません。
月が母の顔から先生の顔へと変わりました。
私を翳す月の光が、今夜はやけに潤んで見えます。
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本来は誰よりも優しい家族思いの父でしたが、商人根性を仕込むとなると、相手が子供であろうが大人であろうが関係ありません。
けれど、幼い頃の経験があって今の私の日常生活に役立っているのですから、若い頃の苦労は買ってでもしろ!というのは名言中の名言ですね。
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漢字も読めない、計算も出来なかった母を、父が心配するのも仕方の無いことでした。
時代は移り変わり 靴を買うのは大きな町の高級店へと人々が移行すると、店は靴屋ではなく安呆けたサンダル屋と化していきました。
このまま店を続けていけば、いずれは資金が底を付き 借金だけが加算でいく一方です。
商店街の真ん中に落ちる夕陽に染まる母の笑顔が灰色に変わり始めると、父は大切な者達を守る為、店を閉める覚悟を決めたようです。
ある晩、銭湯の帰りに母と二人で晩秋の月を眺めて歩きました。
「おかあちゃん・・・」 母が月を見上げて呟きました。
母の眼に潤んだ月が写って見えました。
「ママ、哀しいの?」
「ううん・・・哀しくないよ」
「そう…ならいいけど…」
それから、しばらく無言のまま二人で月を見上げて歩いていると、母がポツリポツリと話し出しました。
「あのね、今、月の中におかあちゃんの顔が見えたの・・」
「へぇ?どんな顔してたっ?」
「うん、それがね、おかあちゃんの顔が途中からパパの顔になった」
「えっ!パパは死んでないでょ・・・」
「うん、パパは月にはならないの。 だけど私は月になりたいなぁ? 月になればね・・・ ・・・ 」
その後の言葉はよく聞こえませんでした。
いつもこんな調子で訳のわからないことを突然いう母でしたので、またおかしなことを言い出したと思い、あえて真意を聞き直すこともしませんでした。
いつもそう・・子供のように甘える母、私は誰よりも父に甘ったれて生きてる母が嫌いでした。
それに母は持病に喘息があっても、今まで大きな病気一つしたことがないのです。
そんな母が父より先に逝くわけがないと思っていました。
私は父の願いである母の為に頑張っているのに、ありもしない妄想の中の悲恋話にまで付き合わされるなんて、いくら大切な家族であっても、母は呑気過ぎる。
だから、女という生き物は嫌い・・・。
誰かに依然しなくては、生きられない女など野良猫にも劣ると思っていました。
それでも母は私がイライラしていることに気付くことなく、「●●ちゃんが大人になったら、パパのような人と結婚してね・・・」と諭し、月の光を背に受けた月光観音のように、それはそれは慈悲深い涙を独り勝手に流しています。
でもね涙に気を取られた私を平気で置いけぼりにして、スイスイ歩き出す母の身勝手さは、他に類を見ない自分勝手女だと思いました。
(でも何故母は、こんなにも愛されてるのに涙を流すのかな?)
母は急に振りると、私に言いました・・・。
「私ね・・・幸せだなぁ・・・と思ってるの。パパに出会えて本当に幸せだなぁ~といつも思ってるのよ」
「だからね、きっと死んだおかあちゃんも同じかな~と思って…。ちっとも働かないおとうちゃんだから苦労ばかりの人生だっけど、でもおかあちゃんはおとうちゃんのことが好きだったから、最期まで家族の為に頑張ってこれたんだと思う」
男に勝る女になれ!と父に教えられている私に、いまさら無力な独りの女に「女の人生」は男によって満たされるものだと教えられても理解できません。
お陰で私は大人になっても男女の愛に纏わる理論がわからず、 先生に出会うまで母の言葉の深い意味さえ見つけられないまま、ただ呆然と人生の矛盾の中を彷徨っていたのかもしれません。
この日の記憶が消えてから、月は何度も静かに生まれ変わり、59歳の若さで父の元から去って逝った母。
まるで予想外の出来事に、自分の命の時間を父に分けてあげたいと何度も願った母の思いが、神に届いてしまったのではないか?とさえ思いました。
何もかもが許せなかった。
でも一番、許せなかったのは、私の心の貧しさでした。
だから母への思いは、誰にも語れませんでした。
もちろんそっと聞かれたら、そっと話しだそうと思う気持ちはいつもありました。
でも誰も聞いてはくれませんでした。
母のことも、懐かしい商店街のこともね…。
今ある環境に私の過去など必要ありません…。
でも過去から現在、そして未来へと道は繋がっていると思うと、せめて愛する人くらいには、知って欲しい思い出もありますよね。
母が入院先の病室から眺めた月は、どんな形をしていたのかな?
きっと毎晩、独り月を見上げては父を思い、溢れる涙が頬を濡らしていたでしょうね。
何度、父の名を呼び、何度、父に逢いたいと、月に縋ったことでしょうね。
結局、私は何一つ守ることが出来なかったけれど、先生と出会えて始めて母の言っていた「女としての幸せ」を知ることが出来ました。
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カーネーションの花言葉。。。
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