最後のマッチ・・・(美月)
先日、アンデルセンの話を書いた時に過去の記事を思い出したので貼っておきます。
クリスマスを迎えると思い出す、マッチ売りの少女の話。
初めて読んだ時から、最後のシーンが戦慄過ぎて、未だに感想文が書けない。
もちろん天国に夢を託して幸せになれるほど、観えない世界に希望を抱いている訳ではないけれど、でもね、冷たい地面の上で独り野垂れ死んだとしても、最後にあったかいものが感じられたら幸せだろうと思っていた。
昨日は午前中仕事をこなし、午後はささやかなクリスマスの買出しの為、大型ショッピングモールに独りで出かけた。
そこにクリスマスイベントでメジャーデビューしながら、メージャーになれないバンドが出ていた。
男性二人、女性一人で結成されたバンド、男女のツインボーカルに惹かれ、暫し足を止め聞き入ってしまった。
大きなクリスマスツリーの前で歌われた「サイレントナイト」、3人の見つめる先には、まるで星が輝いているように見えた。
その澄んだ歌声を聴いていたら、なぜか?とても今の自分が恥ずかしくなった。
今を穏やかに過ごす為に捨てているものがあることは知っている。
守るべきものを守る為には、今が必要であるのだろうと思いながら、どこかで虚しさを感じてるくせに、そうでありながら信念を貫くことさえしない、牙を抜かれた虎に成り下がっている自分がいた。
きっと年齢を重ねてきた人なら、皆、同じだろうね、と言ってくれる人がいるかもしれないね。
でもね、私にとっての今の私って、ちょこっと出来すぎなんだよね。
いつも偉そうなことばかり書いているけれど、本当はね、人を敬えるほど心から人々の幸福を願えているのか?といえば嘘に近いような気がするし、それほどまで精神的に大人になれている訳ではないと思う。
一皮剥いたら、子供の頃のまんまなんだよね。
辛い事があったら逃げ出したいと思うし、逃避したいと思う。
昔はね、算盤塾をサボって、夕方の神社に逃げ込んだ。
神社の境内の裏には、小さな竹やぶがあった。
小学生が身を隠す場所として神社を選ぶなんて、少しオカルトチックであったけれど、私はお化けなどちっとも怖くなかった。
それ以上に生きている人間の方がよっぽど怖くて、笹が風に揺れる音がざわめいて聞こえた。
もし?その時に小さく丸めた背中を後ろから優しく抱きしめられたら、私は神隠しであろうとそのまま着いていってしまったかもしれないなぁ(^^ゞ
でもね幸運なことにそうはならず、その代わりに竹やぶの隙間から月だけ見えた。
月はね、ずっと幼い頃に私が持っていた鏡の世界と同じように心を映す秘密道具だった。
鏡の中と外で、私は二人の私といつも話をしていた。
もちろん誰にも裏と表があるだろうけれど、私の場合は極端に違う個性が同時に育ってしまったのかもしれない。
もう独りの私は暗い思想の持ち主で、きっと誰からも嫌われるだろうと思っていた。
でもどちらが本物だったかと言えば、鏡の中の私が表の私を映し出していたのかもしれないけどね。
それを隠そうとしていたのかもしれないけれど、それはね、子供の頃に誰もが持つ感情の一つなのかもしれないと、今は思うようになったよ。
でもね、本当はもう独りの私も同じように愛してもらいたかったんだろうね。
そう思うと、私はずっと愛を求めて彷徨ってきたことになるのかなぁ・・・。
毎年クリスマスの夜になると、幸せについて考えさせられてしまうのは、マッチ売りの少女のせいかもしれない。
最後のマッチの炎の中に彼女に見えたものが幸福への階段だとしたら、私の瞳が求めるものは先生の微笑みだと思う。
PS・・・母の誕生日は昭和11年1月1日です。
でも本当はね、昭和10年12月25日に生まれました。
暮れ押し迫る頃は誰もが忙しくて、出生届けを出しに行くのも面倒だったのか?
当時としてはあまり珍しい事ではなかったようですが、母の誕生日は摩りかえられてしまいました(^^ゞ
親の思いとしては(祖父母)、女の子は一つでも若い方が嫁に行く時に有利だろうと思ってくれたらしいのですが、母にとってはどちらでも良かったそうです。
どちらにしてもこの世に生を受けたことで父に出会えたのだからね(*^_^*)
知らない町を旅してみたいから、先生と旅してみた(前編)
昨日は先生と都内を旅してきました。
世間はゴールデンウィークと晴天が重なってか?観光地のある駅は、大変、込み合っていました。
先生との旅はいつも摩訶不思議な世界なのですが、昨日もいつもと変わらず先入観という重たい荷物を一切持たない手ぶらな旅でした。
ただ人々が普通に生活する街をゆっくり散策してみると、曲がりくねった道の先には予想を超えたお宝が沢山眠っています。
博物館に飾られた歴史とは違い、匂いのする建造物との出逢いは感動です。
先生と歩きながら『果たして旅って何だろう?』と考えていた。
ガイドブックに載っていない場所を歩くとなると、いつもながらの珍道中ですが(^_^;)、でもね先生と歩いていると不思議と腹が立つことが少ないんだよね。
人は予想もできない出来事に出会った時、自分の存在を有利なものに仕立ててようとするのかな!?
旅行先で喧嘩をしている家族(夫婦)をよく見かるけれど、ハネムーン離婚が一時騒がれたのと同様に、サプライズを期待する割には、ハプニングに弱いのも人間だよね(汗)
先生との旅は出発に起点おいて到着までを辿る旅とは違って、出会う出来ごと全てなんでもありだから、格別に面白いのかもしれない。
まあ、どこへ行っても丸ごと異邦人の私ですが。。。。(^^ゞ
最近、旅もね、メーク(make)だと思うようになりました。
お化粧もそうですが、どんな世界を作っていくか?それが楽しみの一つでもある気がする。
誰かの意見に左右されて受け取る感動は物足りなくて、いつもどこかにオリジナリティーを求めてしまうのは、貧乏人根性が板に付いているからだろうと思っています(笑)
まだまだ豊かではなかった子供の頃、けれど本当はね「これ欲しい」と言ったら買ってもらえんるだろうなぁ?と、心のどこかでは思っていた。
もし?それでも買ってくれないのなら、思いっきり駄々を捏ねて困らせようと思ったかもしれないけれど、でもね、私の小さな望みを叶えたことで両親の苦労を増やすのは嫌だった。
だからね、どんなものにも自分の世界を創ってしまうことで、誰も持ってないお宝をいっぱいに増やそうと思えたのかもしれない。
京成線、曳舟・・・。
高層ビルと隣り合わせにある下町の暮らしを垣間見た。
駅の真向かいには、昭和30年代に誰もが夢を競って描いただろう公団住宅が立っていた。
四畳半一間で家族と肩を寄り添い暮らしていた東京人にとって、3DKでお風呂付と言ったら夢の住宅だったに違いないと思う。
1000人に3人程の当選確率の中で夢を手にした家族達も、今は皆、高齢者となっているのかもしれないなぁ。
時折吹く強風に煽られながら、物干しにしがみ付くように干された洗濯物を見ていてそう思った。
上海では万博が行われることで市民生活に規制があるらしいけれど、東京スカイツリーのお膝元となるこの街も、洗濯物の干し方に規制が敷かれるのかな?と思ったら、馬鹿馬鹿しいほど愚かな規制だと思ってしまった。
私としては中国の人が自分の生きてる街をパジャマで歩いて何が悪い!と思ってしまうけれど、旅人が札束振って観光客でござる!という意識を持っている以上、それぞれの国の持つ豊かな文化に触れることはできないだろうと思う。
その街を訪れ、人に触れ、時の流れを知る、これも旅の楽しみだと思う。
旅人はその町に吹く風にそっと触れらたらいいと思うし、町って言うのはね、生活している人がいるから街になるのだろうからね。
そのうち『東京下町丸ごと博物館計画』となってしまうのか?と思うと、元東京人としては、ちょこっと悲しいけれど、「その土地を愛する人達がいる限り、街は存続し続けることが出来るのだろう」と先生に言われて、ちょっぴり元気を取り戻した。
旅の途中で、一人の男性が廃墟(立ち退き)となった住宅地の一角に忍び込んだのを目撃した。
先生と私は、じっと路地の先を眺めていた。
懐かしくも物悲しい風景に、私は必死になって何かを探そうとした。
でもついさっきまでケンケンパをしながら遊んでいた子供達は、どこにも見つからなかった。
夕ご飯のカレーの甘辛い匂いも、安っぽい植木鉢もなくなった玄関先のポストには、元の住人の名前だけが家族の軌跡を物語っていた。
「悲しむことはないんだよね・・・」そう自分に言い聞かせる。
「皆、立ち退きの代償はちゃんと貰っているんだよね・・・」と先生に聞いた。
先生は黙って「うん」と頷いて、そっと手を繋いでくれた。
あのね、仕方ないことだってわかっているんだよ。
私だって大人だし、汚いことだってしたし、人を見捨てたことだってある。
だけどね、追いてけぼりに去れたポストだけが、この路地の最後の瞬間を見届けるのか?と思うと、遠い記憶を思い出し、ちょっぴりセンチな気持ちになった。
東京スカイツリーを恨めしそうに眺めるかように、銭湯の煙突からは黒い煙がモクモクと立ち上っていた。
この煙が絶え消えることのないように・・。
そう願うのは旅人だからではなく、貴重な日本の文化財産の一つに触れる機会を与えられた者の一人として、後世に伝承していきたいものの一つであり、私の心を今も奮い立たせる潤滑油が銭湯の明かりだからかもしれない。
きゃあ~、すごい大袈裟だよね、我ながらそう思う(笑)
「この銭湯が売りに出たら買いたいっ!!!」と先生に言った。
もちろん!先生に買ってもらうつもりで言ったんだけどね(*^^)v
次回のお話は、先生、大絶賛の京成線、立石に今も昭和の香りがそのまま残る「呑んべ横丁」へと続きます。
美月
最後まで読んでくれてありがとうm(__)m
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tag : 東京スカイツリー
知らない町を旅してみたいから、先生と旅してみた(後編)
先生と昭和の残り香を嗅いできました。
「忘れ形見」と言った方がいいのかな!?
この一角を散策している時に出会った年配の方々が、名残惜しそうにカメラのシャッターを仕切りに押す姿を見ていて、『形見』という言葉が浮かんできてしまいました。
旅はここから始まりました。
今回、ブログに掲載するにあたり、果たして私ごとき旅人がこの地を淡々と語って良いものか?と悩んだくらい、 感慨深い横丁でした。
先生の背ではどこの店も頭を低くしなくては入れない間口、看板の文字は左から書かれていて、横丁全体の外観を眺めれば、波打って歪んだ屋根がこの横丁の古さを語りかけてきました。
きっと呑んべ横丁の隣にある仲見世商店街で買い物をした客が、帰りに一杯引っ掛けて帰るのかな?
どの店も長居をするほどゆったりした席のない、マッチ箱が横並びになっているような店の並びから感じました。
訪れた日はDEEPな町探検マニアも結構来ていて、食い入るような視線で横丁を写真に収めていましたが、年配の方々のツアーは、それとは違ってどこか寂しげに見えました。
多分、パソコン教室でデジカメ機能習得するお仲間なのかな?
年配者の手には持ち主と不釣合いな高級デジタルカメラが握られていて、それがあまりにも古びた横丁とアンバランスな気がしました。
アナログだっていいのにね・・・現像液の匂い染み付いた白黒写真だっていいのにね。
生き残る者は時代の流れに添いながら、その姿、形を変えて生きる。
そして消え行く者は、その原型を留めたまま時代に葬られるのか?と思うと、まるで思い出の形見分けをしてもらっているように思えて仕方なかった。
もちろんそう思ってしまうのは、傲慢な感性であり、悲観的な考え方であると思っています。
でも皆さん揃っている時はとても楽しそうにツアーを満喫していた個々の人であっても、私がカメラを構えた隣で懸命に最新式機械と戦っていた老婦人の瞳に物悲しさを感じてしまっただけに、感情が複数に割れしてしまい、カメラを持つ手が揺れました。
ふとみると、先生が居ない…私は急いで先生を探しました。
なぜか?この中にいることが急に怖くなったのです。
一軒、一軒の店を眺めていると、狭い通路を大勢の人が行き交う姿が浮かんできました。
幻の中に生き残る人間の足跡に触れてしまったような気がします。
店先で喧嘩をしている人、酔っぱらって罵声を上げている人、スタイルとは不釣合いな高いヒールを履いているホステスさんに絡みつく客に、流しのギターに涙する人・・・。
でも、私のカメラには決して映ることのない人々の影とざわめき。
今まで当たり前に傍にあったものがなくなってしまう悲しみはとても深く、それゆえに私は今まで人と深く交わろうとしなかったのかもしれません。
ううん、愛交わる喜びが失う悲しみに勝るものだという事を、ただ知らなかっただけなのかもしれない・・・。
でもね換気扇辺りにこびり付く漕げた油の匂いと、トイレに蔓延る異臭が、私をしっかりと今も生きるこの場所に戻してくれました。
人が生きている生活臭をハッキリと感じるのは、この場所が人工的に造られた異質世界ではなく、人の情が育てた世界であり、今もその存在を残している横丁だと思うと、前回の記事で書いた廃墟への思いとはまた違った旅情を感じました。
街の各所に掲げられた再開発反対の旗を見ると、この場所を生きたまま過去の物にしようとする動きがあることも事実のようです。
存在していたものが消えてしまう物悲しさに加え、大切な物を失ってしまう悲哀が心に漂う街。
それは私が子供の頃に観ていた商店街に落ちるオレンジ色の夕陽と同じなのかもしれません。
美月
最後まで読んでくれてありがとうm(__)m
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曼珠沙華
白く輝く月の下 体擦り寄せ恋する虫に 秋の調べと線香の煙。
彼岸花・・・曼珠沙華が咲いています。
曼珠沙華は墓守の花とも言われますが(茨城出身の父から聞きました)、調べたら沢山の名前が付いている花でした。
あれだけの美しい器量を持ちながら、死人花(しびとばな)、地獄花(じごくばな)、幽霊花(ゆうれいばな)、剃刀花(かみそりばな)、狐花(きつねばな)、捨子花(すてごばな)、はっかけばばあと呼ばれてしまうなんて可哀想。
日本では不吉であると忌み嫌われることもあるそうですが、美しさの中にも毒をもって生きる花の定めが、人々にそう呼ばせてしまうのかもしれませんね。
二年前の秋、先生と晩婚旅行気分で歩いた湯河原の川辺で、ひっそりと咲く曼珠沙華を見つけました。
季節外れの黒アゲハが曼珠沙華に寄り添うように舞っていました。
曼珠沙華の花言葉「想うはあなた一人」というけれど、この花は誰を思って咲いているのでしょうね。
真っ赤な炎で我が身を染めながら それでも愛しい人を慕い続ける女の情念のように見えました。
美月
愛は木漏れ日のように・・・
真に無礼な発言だと思いますが、若い頃にTVで美智子様を拝見させていただきながら、美智子様は長生きされることはできないのでは…と心配いたしました。
それでも大きなご病気もなく、77歳のお誕生日をお迎えになられたこと大変嬉しく思います。
そして天皇皇后両陛下が優しく寄り添うお姿を、いつまでも拝見させていただきたいと心より願っております。
そんな想いから、今夜は2009年5月3日に書いたものを貼ろうと思います。
二年前の記事ですが、今もあまり大人しく(大人らしく)なっていないですね(^^ゞ
『愛は木漏れ日のように…』
昨夜のTVで天皇皇后両陛下ご結婚50周年記念の特別番組を放映していましたね。
50周年を迎えられた日のお二人のインタビューを思い出し、再びあの日の感動が蘇ってきました。
皇室という世界に特別な思いを抱くことがなかった私ですが、このたび記念日という形でお二人の軌跡を触れる機会を与えられ、身分を越えた美しい男女の愛の形に心が震えてしまいました。
美智子様へ・・・
美智子様にお便りを書こうなどと、本来では届く宛てもなく(汗)、けれど多くの方に感じた思い(感動)を伝えたくて、記事にしたため書いてみたいと思います。
私のような者が語らせて頂くには、あまりにも身分不相応であることは十分わかっておりますが、それでも語りたいと思う気持ちに勝てない私の我侭をどうぞお許しください。
大好きな方のお傍で金婚式をお迎えになられたこと、心よりお祝い申し上げます。
「結婚してよかった」と思ったときのエピソードには、お二人だけの時間に少し触れることができて、心温まる思いでいっぱいになりました。
(春、こぶしの花が取りたくて、木の下でどの枝にしようかと迷っておりました時に、陛下が一枝を目の高さまで下ろしてくださって、そこに欲しいと思っていた通りの美しい花がついておりました。 うれしくて、のちに歌にも詠みました)
(赤坂のお庭は、蜘蛛(くも)の巣が多く、陛下は道々、蜘蛛の巣をはらうための確か寒竹だったか、葉のついた細い竹を2本切っておいでになると、その2本を並べてお比べになり、一方の竹を少し短く切って渡してくださいました。 ご自分のよりも軽く、少しでも持ちやすいようにと思ってくださったのでしょう。今でもその時のことを思い出すと胸が温かくなります)
TVでお二人の姿を拝見していたら、なぜか?涙が自然と溢れてきてしまい、仕事中の先生に半べそかきながら、メールしたことを思い出します。
最近、涙もろくなってしまって時には少々困ることもありますが、物ごとが素直に見えるようになれたことで気付けることも多くなり、年を重ねることも素晴らしいことであると思えるようにもなりました。
私にも先生との何気ない日常の感動秘話が沢山あります。
池に群生する蓮の花を傘の枝で翳してくれたこと・・・。
アヒルに餌をあげながら、はしゃぐ私をじっと見つめてくれていたこと・・・。
桜吹雪を見上げ夜空に二人で影絵を書いた日のことも、両手いっぱいのカサブランカを抱えて歩いた朧月夜も、鮮明に記憶されています。
青い空、白い雲、風が緩やかな日もあれば、ダークグレイの雲の下に鮮烈な閃光を落とす夏の夕。
紅葉眩しい清秋に朧月を重ねてみれば、コートのポッケに二つの手が合い交り、寒さを凌いで新たな春に思いを寄せる。
美智子様のように淑やかに感謝の気持ちを言葉に託してみたいけれど、ほんのちょっぴりの恥ずさが邪魔をして、文字で誤魔化してばかりの私です(汗)
だけど私の観るもの感じるものを、先生は同じように感じてくれているだろうと思えています。
人の心を信じることは、簡単そうで実はとても難しいことだと思います。
でもそう思える今を、何より幸せだと思っています。
だけどあまり幸せ過ぎると、この幸せが当然であろうようにも思えてしまい、いつか離れなくてはいけない日が来ると思うだけで、先生の傍にいる時間をもっと欲しいと思ってしまいます。
それは贅沢な願いだとはわかっていますが、でも…でもね、自分の心に嘘をついてしまったら、先生にも嘘をついてしまうようで哀しくなるから、わがままだとは思いますが、私のひとりごと…そっと聞いてくださいね。
昨夜のおでん屋さんの具材には、先生の大好物のつぶ貝がありました。
つぶ貝を美味しそうに頬張りながら、先生が私に言いました。
「俺が死んだ時は・・・つぶ貝を・・・・」
私には途中までしか聞こえません。
ううん、本当は先生の言葉を遮るように、そっぽを向いて聞こえなかった振りをしました。。
(だって、そんなことを面と向かって聞いてしまったら、つぶ貝を観るたびに思い出されて悲しくなるでしょ)
先生がいない世の中なんて、どんなに沢山の思い出を持っていたとしても満たされない。
愛する人が傍にいる喜びに勝るものは、この世に存在しないと思っているからね。
でもいつかその時が来たら、先生のことだから私が腑抜けババアにならないように、沢山の宿題を残していってくれるような気がします。
残された者に生きるための課題を置いてこの世を去る、それもまた愛の形のひとつなのかもしれませんね。
だけど、元々学ぶことが何より苦手な私です。
宿題の答えを解いたら、やっぱり褒めてもらったり叱られたりしなくては、きっと長続きしないでしょうね。
それ以上に答えを見つたことで、先生がいない今を現実のものと確証しなくてはならないのなら、答えを出す意欲もなくなります。
私は誰よりも強い女でした。泣かない、追わない、一人上手が自慢でした。
でも先生に出会ってからというもの、今まで隠れていた弱心が顔を出してしまい、愛するが故の哀しみの深さを知りました。
でも傲慢な愛は自己を愛する心であり、信愛は木漏れ日のように控えめでありながら温かく心に捧ぐ光となるのでしょうね。
まだまだ日々、お忙しいお体とは思いますが、一日でも長く陛下のお傍にいられるよう、心安らかな時間をゆっくりとお過ごしいただけたらと心より願っています。
今日の私の喜びですが、先生から花便りが届いたことです。
薔薇は好きな花の一つでした。
でも先生の育てた薔薇は、どの花よりも美しく映って見えます(*^_^*)
美月
最後まで読んでくれてありがとう
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