2011-07-12
愛も美談もこの世限り・・・
<2010年、1月22日に書いた記事を転記します>
先生が帰り道のメールで「お年寄りに席を譲った」と書いてあった。
先に奥さんを座らせた旦那さんが立っていたと言う。
先生は旦那さんに席を譲った。
二人の様子を察すれば、まだまだ遠くまで帰るだろうということが、先生にはすぐにわかったらしい。
ここまでなら美談で終る話かもしれないよね。
でも先生はね、自分がもっと遠くまで帰らなくてはならない状況であったら、果たして快く席を譲れたか?と自分の心に問いかける人です。
それが人間の浅ましさへと繋がり、深く潜ってしまう人が先生です。
私は先生が深い海の底に潜ってしまうたびに悲しくなる。
私がもっともっと深くまで潜れるようになって、先生を引き上げたいと思うのに届かない時は、自分の存在を腹立たしく思う。
だから先生が何か考えると、私も真似て考えてみる癖がついた。
猿真似に等しい行為ではありながら、少しでも傍にいきたくて想像世界で真似てみる。
私が先生と同じ状況にあったら席を譲る・・・そこまでは一緒。
でも私は誰よりも呑気だから、こういう良い機会に出会えたことを有難いと思ってしまう。
感謝されることを求めるというよりは、笑顔が観たくてそうしてしまうのかもしれない。
それは道徳心がそうさせるものでもないし、倫理が心を動かしているわけでもない。
ただ単純にどこで学んだのか?それさえ記憶にないけれど、でも何かの拍子に学んだことの一つに、微笑み返しがあるような気がした。
嬉しかった気持ち、その時感じた喜びの記憶があるからこそ、同じような場面に出会うと再び喜びを求めて、幸福の反復を繰り返しているだけなのかもしれないと思った。
今日TVニュースをつけていたら、お年寄り夫婦が電車に轢かれてしまったと聞こえてきた。
線路内で84歳の妻が転んでしまい、妻を助けようとした91歳の夫も一緒に電車にはねられてしまったらしい。
あまりに痛ましい事故に胸が締め付けられる思いがした。
私ね…、同じ状況であれば、絶対先生を助けてしまう。
でもその時には何も考えることができなくて、だた先生の元に走っているだけなのだろうと思う。
でもね、先生が先の二人を助けようとした時に電車が近づいて来たとしたら、私は先生だけを抱えて逃げるかもしれないと思うと…、浅ましいのは私だと思ったよ。
その時、見えるものしか救えない…。
ううん、たとえ救いの手を差し延ばされても、私には先生しか見えないだろうと思う。
今、先生から夜のメールが届いた。
私が今書いていることと同じ話題に触れて書かれていた。
でも先生のメールの締めと、私がこれから書こうとすることは、少し違っていた(汗)
先生はそういう状況になったら「お前に来て欲しくない!」と言っていた。
だけど「生き残って欲しい」と言われても、その時の私に先生の意思は届かないと思う。
私はいつものように、思うまま、感じるままに行動してしまうだろうからね。
先生に叱られることの一つである、物事を深く考えず、すぐ行動してしまう癖が最後まで残るのかなぁ・・・。
癖ってね、意識しない習慣でもあるよね。
でもね愛であろうが美談であろうが、後になりどんなに慈悲深い涙を流してもらえたとしても届かない世界があの世です。
あの世に行くということは、この世とおさらばすることです。
だから・・・灰になるまで恋を・・・。
悲しいけれど求めるものに夢中になれるのも生きている限りでしかなく、私が先生を思えるのもこの世限り・・・。
ただそれだけのこと・・・。
それだけのことだから、先生と過ごす今がどんなものより価値ある財産なのだと思う。
美月より
最後まで読んでくれてありがとう(*^_^*)
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この恋を『最後の恋』と言い切る方々のブログには、
愛しい人への限りなく深い愛情が切々と綴られています。
お時間のある方は、こちらも合わせてお楽しみください。
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先生が帰り道のメールで「お年寄りに席を譲った」と書いてあった。
先に奥さんを座らせた旦那さんが立っていたと言う。
先生は旦那さんに席を譲った。
二人の様子を察すれば、まだまだ遠くまで帰るだろうということが、先生にはすぐにわかったらしい。
ここまでなら美談で終る話かもしれないよね。
でも先生はね、自分がもっと遠くまで帰らなくてはならない状況であったら、果たして快く席を譲れたか?と自分の心に問いかける人です。
それが人間の浅ましさへと繋がり、深く潜ってしまう人が先生です。
私は先生が深い海の底に潜ってしまうたびに悲しくなる。
私がもっともっと深くまで潜れるようになって、先生を引き上げたいと思うのに届かない時は、自分の存在を腹立たしく思う。
だから先生が何か考えると、私も真似て考えてみる癖がついた。
猿真似に等しい行為ではありながら、少しでも傍にいきたくて想像世界で真似てみる。
私が先生と同じ状況にあったら席を譲る・・・そこまでは一緒。
でも私は誰よりも呑気だから、こういう良い機会に出会えたことを有難いと思ってしまう。
感謝されることを求めるというよりは、笑顔が観たくてそうしてしまうのかもしれない。
それは道徳心がそうさせるものでもないし、倫理が心を動かしているわけでもない。
ただ単純にどこで学んだのか?それさえ記憶にないけれど、でも何かの拍子に学んだことの一つに、微笑み返しがあるような気がした。
嬉しかった気持ち、その時感じた喜びの記憶があるからこそ、同じような場面に出会うと再び喜びを求めて、幸福の反復を繰り返しているだけなのかもしれないと思った。
今日TVニュースをつけていたら、お年寄り夫婦が電車に轢かれてしまったと聞こえてきた。
線路内で84歳の妻が転んでしまい、妻を助けようとした91歳の夫も一緒に電車にはねられてしまったらしい。
あまりに痛ましい事故に胸が締め付けられる思いがした。
私ね…、同じ状況であれば、絶対先生を助けてしまう。
でもその時には何も考えることができなくて、だた先生の元に走っているだけなのだろうと思う。
でもね、先生が先の二人を助けようとした時に電車が近づいて来たとしたら、私は先生だけを抱えて逃げるかもしれないと思うと…、浅ましいのは私だと思ったよ。
その時、見えるものしか救えない…。
ううん、たとえ救いの手を差し延ばされても、私には先生しか見えないだろうと思う。
今、先生から夜のメールが届いた。
私が今書いていることと同じ話題に触れて書かれていた。
でも先生のメールの締めと、私がこれから書こうとすることは、少し違っていた(汗)
先生はそういう状況になったら「お前に来て欲しくない!」と言っていた。
だけど「生き残って欲しい」と言われても、その時の私に先生の意思は届かないと思う。
私はいつものように、思うまま、感じるままに行動してしまうだろうからね。
先生に叱られることの一つである、物事を深く考えず、すぐ行動してしまう癖が最後まで残るのかなぁ・・・。
癖ってね、意識しない習慣でもあるよね。
でもね愛であろうが美談であろうが、後になりどんなに慈悲深い涙を流してもらえたとしても届かない世界があの世です。
あの世に行くということは、この世とおさらばすることです。
だから・・・灰になるまで恋を・・・。
悲しいけれど求めるものに夢中になれるのも生きている限りでしかなく、私が先生を思えるのもこの世限り・・・。
ただそれだけのこと・・・。
それだけのことだから、先生と過ごす今がどんなものより価値ある財産なのだと思う。
美月より
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2011-07-27
嬉しいのに寂しい
さっき事務所から電話があった。
まあね仕事中の電話にロクなことがないから出たくなかったけど、出なくて済むものでもないから出てやった(笑)
以前、私が伺っていたお客様から電話があったと報告されて、現在の担当者のクレームかと思ったら、[長い間ありがとうございました〕と私に伝えてくださいとだけ言って電話を切ったらしい。
高齢の方で商品を使う必要がなくなったのでキャンセルしたらしいけど、商品をお届けする私達に感謝あっても、お客様にお礼を言われるのは有り難すぎるよね。
でもね、しばらくお会いしていないのに、覚えていていただけたことが嬉しかった。
ブドウ農家の老夫婦は二人とも偏屈者で無愛想だったよ。
だけどね、いつしか来るのを待っていてくれるようになった。
取れたて新鮮ブドウは美味しくて、疲労が見え隠れするこの季節にはとても有り難い。
広い土地を売ってお金持ちなのに、昔ながらのケチだから自分達は作ったブドウを食べないのに、ブドウ畑に連れて行ってくれて「あんたの好きな分だけ食べていいよ」と言ってくれた。
今、木になってる植物を口に直接運ぶんだもん、美味しくない訳ないよねo(^-^)o
私は遠慮するのが苦手で、相手から頂いた言葉は完全鵜呑みにしちゃう素直な性格だから、唇が紫に色付くほど好きなだけ食べちゃう。
美味しいものを食べさせてもらうと、途端に嬉しくなって懐いちゃう。
猫女と言われるのはそのせいかな…(^_^;)
「おはよー」と声をかけると、「おっ!慰問にきたね!」と毎回、来るのを楽しみにしてくれてたけど(訪問ですとは言うけどね…)、帰る時は「気を付けて運転しなさいよ」とキツく言われて帰った。
今さっき、お礼の電話を入れてみた。
おじいさんは死んじゃっていて、おばあさんは病院に入院することになったと、会ったことのない娘さんが電話の向こうで教えてくれた。
今度、ブドウの絵を添えたお手紙を書こうと思っています。
小さなご縁をいただいて、大きな感謝をいただきました。
先生…私、嬉しいのにチョッピリ寂しい気持ちだよ。
人の心って複雑だね(>_<)
美月
まあね仕事中の電話にロクなことがないから出たくなかったけど、出なくて済むものでもないから出てやった(笑)
以前、私が伺っていたお客様から電話があったと報告されて、現在の担当者のクレームかと思ったら、[長い間ありがとうございました〕と私に伝えてくださいとだけ言って電話を切ったらしい。
高齢の方で商品を使う必要がなくなったのでキャンセルしたらしいけど、商品をお届けする私達に感謝あっても、お客様にお礼を言われるのは有り難すぎるよね。
でもね、しばらくお会いしていないのに、覚えていていただけたことが嬉しかった。
ブドウ農家の老夫婦は二人とも偏屈者で無愛想だったよ。
だけどね、いつしか来るのを待っていてくれるようになった。
取れたて新鮮ブドウは美味しくて、疲労が見え隠れするこの季節にはとても有り難い。
広い土地を売ってお金持ちなのに、昔ながらのケチだから自分達は作ったブドウを食べないのに、ブドウ畑に連れて行ってくれて「あんたの好きな分だけ食べていいよ」と言ってくれた。
今、木になってる植物を口に直接運ぶんだもん、美味しくない訳ないよねo(^-^)o
私は遠慮するのが苦手で、相手から頂いた言葉は完全鵜呑みにしちゃう素直な性格だから、唇が紫に色付くほど好きなだけ食べちゃう。
美味しいものを食べさせてもらうと、途端に嬉しくなって懐いちゃう。
猫女と言われるのはそのせいかな…(^_^;)
「おはよー」と声をかけると、「おっ!慰問にきたね!」と毎回、来るのを楽しみにしてくれてたけど(訪問ですとは言うけどね…)、帰る時は「気を付けて運転しなさいよ」とキツく言われて帰った。
今さっき、お礼の電話を入れてみた。
おじいさんは死んじゃっていて、おばあさんは病院に入院することになったと、会ったことのない娘さんが電話の向こうで教えてくれた。
今度、ブドウの絵を添えたお手紙を書こうと思っています。
小さなご縁をいただいて、大きな感謝をいただきました。
先生…私、嬉しいのにチョッピリ寂しい気持ちだよ。
人の心って複雑だね(>_<)
美月
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2011-07-31
私を受け入れて・・・
私を受け入れて…
どんなに広く愛されても私は真の幸福を味わうことがなかった。
ただ私が欲しかったものは、私の全てをありのまま受け入れてくれるたった一人の恋人だった。
今日のBSでアンデルセンに付いて番組をやっていた。
番組の最後しか見れなかったけど、赤い靴の結末が昔と今で違うのは、作者アンデルセンが許可したのかな?と思ったら、頭の中がアンデルセン一色になってしまった。
ハンス・クリスチャン・アンデルセン
人魚姫を書いた人は、なんて淋しい思いをこの作品に描いたのだろうと子供ながらに思った。
何かを失ったとしても、愛する人の傍にいたいと思った人魚姫。
博愛を受けながら、それでも最後は泡となって消えてしまう。
愛することが苦しいと…、まるで作者が語っているようだった。
なぜならそこには救いが描かれていたからで、彼は常に愛されたい(救われたい)と思っているのだと思った。
マッチ売りの少女は死(無)を幸福への希望とし、赤い靴は浮かれた自分を恥じながら、無になることで罪を相殺しようとしたのかもしれない。
だからね、赤い靴の少女は、踊りながら消息不明となったのでは物語は壊れてしまう。
足を斬られ不自由な体となり、自分の犯した罪を反省することで天に召されて幸福を得る。
これがアンデルセンの望みだったとしたら、物語を逸脱するのはとても惨いことのような気がした。
容姿のコンプレックスに加えて、孤独を好む人柄、そして独特の世界観が彼を恋愛から遠ざけたのかもしれない。
その他、白鳥の王子、親指姫にしても醜い存在を登場させることで、自分の抱えるコンプレックスを知ってもらいたかったのではないか?と思った。
アンデルセンが70歳で亡くなった時、王子や各国の大使、子供から年配者、浮浪者に至るまでが葬式に参列して大騒ぎになった。
彼はこの事実を見ることが出来なかったけれど、もし?他者として葬儀に参列したとしたら、果たして幸福としたのだろうか?
これほどまで世界中で愛読されていたにもかかわらず、彼は三度失恋をした。
ラブレター代わりに自分の生い立ちから各国を旅した記録、童話作家としてデビューした理由、初恋に敗れた悲しさなどを綿々と綴って送った。
極度の心配性もあり、彼の奇行が相手にとって相応しいものではなかったのかもしれないよね…。
でも私はこんなラブレターを一生に一度でいいからもらってみたいと思う。
そこに愛の言葉が繰り返し書かれていなくても、こんなラブレターを送ってくれる人の感性に惹かれてしまうと思う。
巡りあわせなど、ホントに不思議なものだよね(^^)v
そう思うと彼が愛する人に心から愛され満たされたら、そこからどんな作品が生まれたのだろうと思うと残念なんだよね。
きっと幸福だけを綴った作品は、他の作品より群集に愛されないかもしれない。
貧困、階級格差によって切なさを共有できるものが少ないだろうからね。
彼が幸福を書くとなればグリム童話のような俗説を交えた物語ではなく、完全な創作世界だと私は自分勝手に思っているから(笑)、天国でも地獄でもない私たちの知らない未知なる現世の幸福物語が描かれたかもしれないし、それとも作品を書かなくなってしまうかもしれないけれど、書かないことで事実を伝える感情もあるかもしれないよね。
もちろん彼が一人の女性から愛された上で、もっと多くの愛を望んだとしていいと思う。
だけどね…どんなに大勢に愛されたとしても、ありのままの自分を受け入れてもらえないと自分自身が悟ってしまうほど切ないものはないと思う。
占いは統計だとしたら、出会いは確率に近い。
だけどね…どちらか一方的な出会いでは、縁は成立しないのかもしれないね。
私は先生を好きと思う気持ちより多く、先生に出会えて良かったといつも思ってる。
もちろん出会いそれだけに意味があるとは思っていないけれど、この小さな偶然がなかったら、私は先生に気持ちを伝える機会に出会えなかったと思うと、先生が私と同じ時代に生まれてきてくれて本当に嬉しいと、そこまで思いが広がるよ。
子供の頃体験した切なさも無邪気さも、誰にも語らないまま終わってしまった気がするし、幸福がある種の恐怖をうむことを知らなかったことも知ることができた。
一人では狭かった世界がどんどん広がるんだから、毎日楽しくないはずないよね。
私は楽しいことが大好きだから、先生の傍にいられる今を大変嬉しく思っています。
美月(^_^)v
どんなに広く愛されても私は真の幸福を味わうことがなかった。
ただ私が欲しかったものは、私の全てをありのまま受け入れてくれるたった一人の恋人だった。
今日のBSでアンデルセンに付いて番組をやっていた。
番組の最後しか見れなかったけど、赤い靴の結末が昔と今で違うのは、作者アンデルセンが許可したのかな?と思ったら、頭の中がアンデルセン一色になってしまった。
ハンス・クリスチャン・アンデルセン
人魚姫を書いた人は、なんて淋しい思いをこの作品に描いたのだろうと子供ながらに思った。
何かを失ったとしても、愛する人の傍にいたいと思った人魚姫。
博愛を受けながら、それでも最後は泡となって消えてしまう。
愛することが苦しいと…、まるで作者が語っているようだった。
なぜならそこには救いが描かれていたからで、彼は常に愛されたい(救われたい)と思っているのだと思った。
マッチ売りの少女は死(無)を幸福への希望とし、赤い靴は浮かれた自分を恥じながら、無になることで罪を相殺しようとしたのかもしれない。
だからね、赤い靴の少女は、踊りながら消息不明となったのでは物語は壊れてしまう。
足を斬られ不自由な体となり、自分の犯した罪を反省することで天に召されて幸福を得る。
これがアンデルセンの望みだったとしたら、物語を逸脱するのはとても惨いことのような気がした。
容姿のコンプレックスに加えて、孤独を好む人柄、そして独特の世界観が彼を恋愛から遠ざけたのかもしれない。
その他、白鳥の王子、親指姫にしても醜い存在を登場させることで、自分の抱えるコンプレックスを知ってもらいたかったのではないか?と思った。
アンデルセンが70歳で亡くなった時、王子や各国の大使、子供から年配者、浮浪者に至るまでが葬式に参列して大騒ぎになった。
彼はこの事実を見ることが出来なかったけれど、もし?他者として葬儀に参列したとしたら、果たして幸福としたのだろうか?
これほどまで世界中で愛読されていたにもかかわらず、彼は三度失恋をした。
ラブレター代わりに自分の生い立ちから各国を旅した記録、童話作家としてデビューした理由、初恋に敗れた悲しさなどを綿々と綴って送った。
極度の心配性もあり、彼の奇行が相手にとって相応しいものではなかったのかもしれないよね…。
でも私はこんなラブレターを一生に一度でいいからもらってみたいと思う。
そこに愛の言葉が繰り返し書かれていなくても、こんなラブレターを送ってくれる人の感性に惹かれてしまうと思う。
巡りあわせなど、ホントに不思議なものだよね(^^)v
そう思うと彼が愛する人に心から愛され満たされたら、そこからどんな作品が生まれたのだろうと思うと残念なんだよね。
きっと幸福だけを綴った作品は、他の作品より群集に愛されないかもしれない。
貧困、階級格差によって切なさを共有できるものが少ないだろうからね。
彼が幸福を書くとなればグリム童話のような俗説を交えた物語ではなく、完全な創作世界だと私は自分勝手に思っているから(笑)、天国でも地獄でもない私たちの知らない未知なる現世の幸福物語が描かれたかもしれないし、それとも作品を書かなくなってしまうかもしれないけれど、書かないことで事実を伝える感情もあるかもしれないよね。
もちろん彼が一人の女性から愛された上で、もっと多くの愛を望んだとしていいと思う。
だけどね…どんなに大勢に愛されたとしても、ありのままの自分を受け入れてもらえないと自分自身が悟ってしまうほど切ないものはないと思う。
占いは統計だとしたら、出会いは確率に近い。
だけどね…どちらか一方的な出会いでは、縁は成立しないのかもしれないね。
私は先生を好きと思う気持ちより多く、先生に出会えて良かったといつも思ってる。
もちろん出会いそれだけに意味があるとは思っていないけれど、この小さな偶然がなかったら、私は先生に気持ちを伝える機会に出会えなかったと思うと、先生が私と同じ時代に生まれてきてくれて本当に嬉しいと、そこまで思いが広がるよ。
子供の頃体験した切なさも無邪気さも、誰にも語らないまま終わってしまった気がするし、幸福がある種の恐怖をうむことを知らなかったことも知ることができた。
一人では狭かった世界がどんどん広がるんだから、毎日楽しくないはずないよね。
私は楽しいことが大好きだから、先生の傍にいられる今を大変嬉しく思っています。
美月(^_^)v
2011-08-04
真昼の初夜
42歳のまだまだ寒さ深い季節、初めて先生に抱かれた日のことを書いておこうと思います(*^_^*)
先生に初めて抱かれた日は、ランチにハヤシライスを食べました。
その店は、ハヤシライスが美味しいと有名だそうですが、私は食べ終わった後のことを想像すると緊張してしまい、流し込めるほど柔らかい牛肉も喉を通りませんでした。
お店を出てから、先生が予約してくださったホテルまで二人で歩きました。
私は自分が途中で逃げてしまわないようにと、先生の腕にしがみ付いて歩きました。
もちろん先生に抱かれることが嫌なのではないのです。
それは先生に恋焦がれるようになってから、待ち望んでいたことでもあるのです。
愛を求めれば、遅からず性にも欲がでてきます。
性の世界には遊びもあるのかもしれません。
でも私は愛すれば愛するほど、お互いの肉体の価値が高まるものでありたいと思っていました。
そんなSEXを味わってみたい・・・。
愛する男に抱かれながら色付く女になりたいと、年を追うごとに願望だけが強くなります。
でも世間の風潮で言えば、「おばさんが抱いてもらえるだけありがたいと思え!」が主流となっているようで、求められること=性処理便所と呼ばれているような気がしてしまったりね。
日常では背筋を伸ばし良い女を気取っていても、内面では貧しい心が不安感を誘うのです。
幸福になりたいと願っていながら、一歩踏み出す勇気がなかなか出ない。
でも心にまっすぐ問えば、どんなに惨めな姿を晒しても、幸福への望みを捨てたくはないと思うのです。
久しく男性に見せていなかった裸体を真っ昼間に晒すと思うと、もし?その場で先生の欲情を満たす女でないと判断されてしまったら、私はその後、どうすればいいのか?と思いました。
きっと先生は、そう感じた瞬間、私をその場で抱くことはしなかったでしょうね・・・。
先生が飢えた雌猫一匹の無意味な性欲の為に、自らの肉体を汚す人ではないと、薄々感じていました。
この年で一度キリで切れてしまう性交は、生涯処女で過ごすより辛く感じると思います。
でも正直なところ何度か恋愛してきても、男性の性の深さまで知るまでには至らず、ただ課題をこなしてきただけで、その先の学びはありませんでした。
その日限りとわかっていながら女を抱くのも男性の中に眠る優しさかもしれませんが、でもお情けを頂いて思いやられる女心はより複雑となります。
ホテルの部屋に入り、二人でTVを観ながら長い時間、静かに過ごしました。
他愛もないお喋りに花は咲かないけれど、頬だけが赤く火照ってしまって、私は「おてもやん」みたいなホッペをしていたかもしれません。
ここでどちらかがシャワーを浴びにいけば、流れにまかせて次の段階に進めるのでしょうが!?、私には、それを伝える勇気もありませんでした。
結局、二人ともシャワーを浴びず、裸になりました。
カーテンを閉めることもなく、明るい光を浴びながら、とても自然に服と一緒に心のベールも脱げたと思います。
でも先生なら、シャワーを浴びず・・・そのままがいいと思いました。
ううん、離れてしまう独りの時間が怖かったのかもしれません。
そして私は恐る恐る先生の腕の中へと・・・。
その時、先生が私の肌を丁寧に撫でながら「もったいないなぁ・・・」と言ってくださいました。
この時以降、先生から肉体の評価を高めてもらったことはありませんが、私はこの言葉が聞けて本当に嬉しかった。
再び女としての命を与えられた喜びに震えました。
本当にたった短い一言でしたが、私には今もかけがえのない言葉となっています。
だってね、私は自分の肉体の醜さに耐えられず、性を封印してしまった女だから・・・。
でも今、思い出しても不思議なのは、先生と体を重ねた瞬間、まるでお互いの肌が吸い付き合うようにじわじわと馴染んでいく心地良さは、一体なんだったのでしょうね!?
まだ「愛」と呼ぶにはほど遠い、淡い恋の始まりでした。
もちろん今も交わるほどに深まる肉棒への愛しさはありますが、でもパズルのピースがピタッと収まるように、子宮の奥深くにしっくりと嵌り込んだ肉棒の感触は、もしかしたら?シンデレラのガラスの靴以上の愛証を感じたのかもしれません。
美 月
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先生に初めて抱かれた日は、ランチにハヤシライスを食べました。
その店は、ハヤシライスが美味しいと有名だそうですが、私は食べ終わった後のことを想像すると緊張してしまい、流し込めるほど柔らかい牛肉も喉を通りませんでした。
お店を出てから、先生が予約してくださったホテルまで二人で歩きました。
私は自分が途中で逃げてしまわないようにと、先生の腕にしがみ付いて歩きました。
もちろん先生に抱かれることが嫌なのではないのです。
それは先生に恋焦がれるようになってから、待ち望んでいたことでもあるのです。
愛を求めれば、遅からず性にも欲がでてきます。
性の世界には遊びもあるのかもしれません。
でも私は愛すれば愛するほど、お互いの肉体の価値が高まるものでありたいと思っていました。
そんなSEXを味わってみたい・・・。
愛する男に抱かれながら色付く女になりたいと、年を追うごとに願望だけが強くなります。
でも世間の風潮で言えば、「おばさんが抱いてもらえるだけありがたいと思え!」が主流となっているようで、求められること=性処理便所と呼ばれているような気がしてしまったりね。
日常では背筋を伸ばし良い女を気取っていても、内面では貧しい心が不安感を誘うのです。
幸福になりたいと願っていながら、一歩踏み出す勇気がなかなか出ない。
でも心にまっすぐ問えば、どんなに惨めな姿を晒しても、幸福への望みを捨てたくはないと思うのです。
久しく男性に見せていなかった裸体を真っ昼間に晒すと思うと、もし?その場で先生の欲情を満たす女でないと判断されてしまったら、私はその後、どうすればいいのか?と思いました。
きっと先生は、そう感じた瞬間、私をその場で抱くことはしなかったでしょうね・・・。
先生が飢えた雌猫一匹の無意味な性欲の為に、自らの肉体を汚す人ではないと、薄々感じていました。
この年で一度キリで切れてしまう性交は、生涯処女で過ごすより辛く感じると思います。
でも正直なところ何度か恋愛してきても、男性の性の深さまで知るまでには至らず、ただ課題をこなしてきただけで、その先の学びはありませんでした。
その日限りとわかっていながら女を抱くのも男性の中に眠る優しさかもしれませんが、でもお情けを頂いて思いやられる女心はより複雑となります。
ホテルの部屋に入り、二人でTVを観ながら長い時間、静かに過ごしました。
他愛もないお喋りに花は咲かないけれど、頬だけが赤く火照ってしまって、私は「おてもやん」みたいなホッペをしていたかもしれません。
ここでどちらかがシャワーを浴びにいけば、流れにまかせて次の段階に進めるのでしょうが!?、私には、それを伝える勇気もありませんでした。
結局、二人ともシャワーを浴びず、裸になりました。
カーテンを閉めることもなく、明るい光を浴びながら、とても自然に服と一緒に心のベールも脱げたと思います。
でも先生なら、シャワーを浴びず・・・そのままがいいと思いました。
ううん、離れてしまう独りの時間が怖かったのかもしれません。
そして私は恐る恐る先生の腕の中へと・・・。
その時、先生が私の肌を丁寧に撫でながら「もったいないなぁ・・・」と言ってくださいました。
この時以降、先生から肉体の評価を高めてもらったことはありませんが、私はこの言葉が聞けて本当に嬉しかった。
再び女としての命を与えられた喜びに震えました。
本当にたった短い一言でしたが、私には今もかけがえのない言葉となっています。
だってね、私は自分の肉体の醜さに耐えられず、性を封印してしまった女だから・・・。
でも今、思い出しても不思議なのは、先生と体を重ねた瞬間、まるでお互いの肌が吸い付き合うようにじわじわと馴染んでいく心地良さは、一体なんだったのでしょうね!?
まだ「愛」と呼ぶにはほど遠い、淡い恋の始まりでした。
もちろん今も交わるほどに深まる肉棒への愛しさはありますが、でもパズルのピースがピタッと収まるように、子宮の奥深くにしっくりと嵌り込んだ肉棒の感触は、もしかしたら?シンデレラのガラスの靴以上の愛証を感じたのかもしれません。
美 月
最後まで読んでくれてありがとう(*^_^*)
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2011-08-12
今日という日が好き
<2010年3月4日に書いた記事です>
今日は、朝から「君に読む物語」のDVDを観てしまった。
最近、ずっと観たいと思っていた。
でも落ち着いて観たくて、時間を作ることに少し精を出した。
そうでないと感動が薄れてしまうようで、ある意味、我慢をしていたのかもしれない。
ほんの少しの休息、それでも私には最高の時間だった。
このところ、ずっと忙しい毎日を過ごしていた。
初めての道、初めて出会う人・・・
出会いが全て美しいものとは思えないほど、心に傷を負っていたのかもしれない。
本当なら今の気持ちを先生に直接、伝えたいと思ってる。
気持ちを掲示する場所は、少し違っているのかもしれないけれど、でも届けたい思いがあるのだから、今、思う気持ちを書いておこうと思った。
以前なら、もう少し仕事中にも余裕があった先生だけど、職場の異動も伴い、最近は忙しくて思うように話すことができなかった。
ううん、それは私だけが勝手にそう思っていたことに、今日、気がついたよ。
それを教えてくれたのは、先生と菜の花だった。
寂しいと思うことに躊躇っていたのは、先生が選んだ選択だったからかもしれない。
でも全ての邪念を取り払い、私の心だけを語れば・・・もっと傍にいたいと思ってた。
時間の制約と社会の仕組みが邪魔をして、今ある気持ちが上手く伝えられない。
花を観ても、風を感じても素直に語れなくなってしまっていたのかなぁ。
蛍光灯の下の先生に、少しでも季節の移り変わりを告げたくても、白い画面に映るのは、きっと言葉の配列に過ぎないような気がしてた。
忙しい先生の邪魔をしたくないから、静かに雲を見送る。
でもね、先生を思う気持ちに移り変わりなく、思えば思うほど先生の空を恋しいと思ってしまう。
(どうして・・・言葉を選ぼうとするの?)
(「逢えない時間もいつも先生のことを思っている」と、それだけ素直に言えばいいだけのことだもん・・・)
ただ素直にね・・・そう言えばいいんだよね。
オルゴールのように短い曲であっても、繰り返し、繰り返し、何度も弾けばいいんだよね。
逢いたくて逢えない気持ちを抑える為に努力するのは、愚かな行為だということを誰よりもわかっているのだから・・・。
忙しさに心を亡くされてしまうほど、曖昧な愛し方しか出来ないのなら、それは愛じゃないと思っているのだから・・・。
もっと素直に伝えるべきだったと、今、思う。
それがリアルタイムでなくても、先生を思う気持ちを隠してしまえば、また、ただの人形に逆戻りしてしまうからね。
私の心に命を吹き込んでくれた先生を、もっともっと大切にしたい。
愛することで、感動することで、心に付いた僅かな泥まで洗い流してくれたみたいだよ。
「寂しい」と言ったら・・・「寂しいなぁ?」と言ってくれるかなぁ(^_^;)
「会いたい」と言ったら・・「ああ。逢いたいね!」とだけ言って欲しいと思っちゃう\(^o^)/
言葉を頼りに、今を生きる関係ではないと思っているからね・・・。
簡単文でも大人の私なら十分、理解出来るはずだから・・・。
ほんの短い時間であっても心を整理することが出来たら、また今日という日を歩けるような気がする。
PS・・・先生へ・・・
いつの日も 通うこの道 菜の花に
教えられしき 日々爛漫
私は今日という日が好き・・・。
先生と迎えられた今日があって、本当に良かったと思っているよ(*^^)v
美 月
今日は、朝から「君に読む物語」のDVDを観てしまった。
最近、ずっと観たいと思っていた。
でも落ち着いて観たくて、時間を作ることに少し精を出した。
そうでないと感動が薄れてしまうようで、ある意味、我慢をしていたのかもしれない。
ほんの少しの休息、それでも私には最高の時間だった。
このところ、ずっと忙しい毎日を過ごしていた。
初めての道、初めて出会う人・・・
出会いが全て美しいものとは思えないほど、心に傷を負っていたのかもしれない。
本当なら今の気持ちを先生に直接、伝えたいと思ってる。
気持ちを掲示する場所は、少し違っているのかもしれないけれど、でも届けたい思いがあるのだから、今、思う気持ちを書いておこうと思った。
以前なら、もう少し仕事中にも余裕があった先生だけど、職場の異動も伴い、最近は忙しくて思うように話すことができなかった。
ううん、それは私だけが勝手にそう思っていたことに、今日、気がついたよ。
それを教えてくれたのは、先生と菜の花だった。
寂しいと思うことに躊躇っていたのは、先生が選んだ選択だったからかもしれない。
でも全ての邪念を取り払い、私の心だけを語れば・・・もっと傍にいたいと思ってた。
時間の制約と社会の仕組みが邪魔をして、今ある気持ちが上手く伝えられない。
花を観ても、風を感じても素直に語れなくなってしまっていたのかなぁ。
蛍光灯の下の先生に、少しでも季節の移り変わりを告げたくても、白い画面に映るのは、きっと言葉の配列に過ぎないような気がしてた。
忙しい先生の邪魔をしたくないから、静かに雲を見送る。
でもね、先生を思う気持ちに移り変わりなく、思えば思うほど先生の空を恋しいと思ってしまう。
(どうして・・・言葉を選ぼうとするの?)
(「逢えない時間もいつも先生のことを思っている」と、それだけ素直に言えばいいだけのことだもん・・・)
ただ素直にね・・・そう言えばいいんだよね。
オルゴールのように短い曲であっても、繰り返し、繰り返し、何度も弾けばいいんだよね。
逢いたくて逢えない気持ちを抑える為に努力するのは、愚かな行為だということを誰よりもわかっているのだから・・・。
忙しさに心を亡くされてしまうほど、曖昧な愛し方しか出来ないのなら、それは愛じゃないと思っているのだから・・・。
もっと素直に伝えるべきだったと、今、思う。
それがリアルタイムでなくても、先生を思う気持ちを隠してしまえば、また、ただの人形に逆戻りしてしまうからね。
私の心に命を吹き込んでくれた先生を、もっともっと大切にしたい。
愛することで、感動することで、心に付いた僅かな泥まで洗い流してくれたみたいだよ。
「寂しい」と言ったら・・・「寂しいなぁ?」と言ってくれるかなぁ(^_^;)
「会いたい」と言ったら・・「ああ。逢いたいね!」とだけ言って欲しいと思っちゃう\(^o^)/
言葉を頼りに、今を生きる関係ではないと思っているからね・・・。
簡単文でも大人の私なら十分、理解出来るはずだから・・・。
ほんの短い時間であっても心を整理することが出来たら、また今日という日を歩けるような気がする。
PS・・・先生へ・・・
いつの日も 通うこの道 菜の花に
教えられしき 日々爛漫
私は今日という日が好き・・・。
先生と迎えられた今日があって、本当に良かったと思っているよ(*^^)v
美 月
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