2013-04-08
久しぶりに…
先生の言葉を最後に、このブログを閉じている間も、時折読み返しては自分を戒めてる。
8月に誕生日を迎えて五十歳になったけれど、自分の立場も弁えず、まるで幼き子供が訳もわからず駄々を捏ねるような真似をしてしまったことを反省する為にもね。
それでも先生は許してくれた。
それからも色々なことがあった。
一定時間の中にも現実がいっぱい詰まりすぎて、少しだけ早く年を取ってしまったような気がする。
先生の奥様は去年の夏、突然、大切なご家族とお別れしなければならなくなった。
愛する人を失う悲しみに触れ、先生や子供達の気持ちを思うと胸の奥が締め付けられる。
秋には先生が食道癌の手術をし、早期発見だったこともあり一週間の入院生活の後、元気になったけれど、それでも先生の身体にほんの小さな変化を見つけると、何かあるのではないかと心配になる。
今年の桜を先生と一緒に見れたことが嬉しかった。
いつもの年より早咲きの桜を追いかけるように、上野の山も例年通りの賑わいを見せ、花冷えに肩を寄せ合い酒を酌み交わす人々の宴は、桜に勝るほどの勢いで活気づいていた。
色々なことがあった昨年だったけれど、カップ酒の熱燗をちびりちびり飲みながら、今年も二人で桜を観ることができて本当に嬉しかった。
開花を心待ちし、それでいて散って行く儚さや潔さに人生を重れば泣きたくなるほど切なくなる。
特別、年齢を意識しながら日々過ごしているわけではないけれど、でもね、この桜をあと何回、観れるかと思うと風に揺れ落ちる花びら一つも尊いものに思えてくる。
寂しさなんてね…、人と交わる喜びを知らなければ、知らずに済んだ感情なのかもしれない。
だからね、寂しさを感じられる人は愛に触れたことがあるんだよね、そして失った悲しみを知っている。
桜を見上げて微笑む人がいて桜の下で涙する人がいても、限りある時を一心に生きる桜なら許してくれるような気がした。
地上の灯りが照らされた明雲が影絵のように美しく桜を投影していた。
幾重にも重なり合う枝が、もう二度と離れないとしっかり抱き合う男女の姿に見えてしまうのは、私の心を映してしまうからでしょうか…。
「来年も一緒に観れるといいね」
「ああ、観れるだろう…」
そう言ったのもつかの間、今、先生は私の傍にいない。
出会ってからずっと大切にしてもらったのに、私は自分が情けなくて仕方ない。
先生の人生の決断を気持ちよく後押しできなかったのは、なぜだろう?
長年勤めた会社を辞めるというのは、それ相当の覚悟があったよね。
私の仕事の何倍も責任のある仕事を任されていた先生だから、きっと何十倍も疲れていたのだろうね。
エリート人生を知らない私にとって、あまりにも破壊力のある決断に心がよろめいてしまった。
もちろん私にとって先生の履歴が重要なのではなく、先生がどんな職業であっても、先生の頭の中に詰まっている知識と才能に感動したと思う。
でもね、なんでも先生の言葉の引用になってしまうけれど、お互いの過去の道筋があって出会えたのだからと言ってもらえると、高学歴、高収入で先生自慢するわけではなくて、先生が歩んできた道がこんなのもお粗末な私に繋がっていたなんてラッキーだなぁ~と思うと宝くじに当たったよりも嬉しくなってしまったんだよね。
確かに宝くじの一等は魅力的だけど、でも先生を買えないのなら価値がないもんね。
それなら地道に働いた方がいいよね。
あっ、話が飛んでしまった。
私の悪い癖、いつまで立っても直らないね。
どんなに忙しい時でも、どんな状況であっても、先生は以前と変わらないペースで逢いに来てくれていた。
疲れているからたまにはゆっくりとした休日を過ごして…と言えなかったし、先生に逢いたい気持ちが優先していえなかった言葉がたくさんある。
それも先生は許してくれていた。
だけど、男性の家事と仕事の両立は難しいと感じていた。
もちろん女性も同じように両立している人も沢山いるだろうけれど、でも少しずつ要領を得て今があるのとは違って、何もかも初体験の連続だったと思う。
このブログを久しぶりに書こうと思ったのはね…、
先生と過ごした幸せな時間を、このまま何ごともなかったように子供達に真実を隠して死んでいくのは嫌だと思ったから…。
それではあまりにも虫が良すぎるでしょ。
主人とのこともそうだけど、子供達には話したいことがいっぱいある。
ただね、ずっと前に先生が言ってくれたの、少なくてもあと10年は子供達に黙っていた方がいいって…。
丁度10年目にあたる年は一番下の息子が高校卒業で、上二人の子供達であれば色々なことを受け止められる年齢になるということだよね。
きっと話したら嫌われてしまうだろうね。
でもね、先生の支えがあったから、この9年間、子供たちと笑顔で接することが出来たんだよね。
そうでなければ…今の幸せはないといっても過言ではないよ。
頑張って…頑張って…心を繕ったっても女優さんじゃないんだもん、ドラマのように短いサイクルで違う人を演じられるわけではないしね。
先生から十一面観音の話を聞いた時、母親の私、早熟な私、先生を大好きな私…、色々な私がいるのだと気付かされた。
一人の人間が単純にひとつの顔しか持っていないと考える方が間違いだと言われて、色々な顔は一つの本質があって、それが置かれた環境によって枝分かれして現れてくると教えてもらった。
※十一面観音はその深い慈悲により衆生から一切の苦しみを抜き去る功徳を施す菩薩であるとされている。
だからね、先生に色々な私を受け入れてもらえたことで、十一面観音のように穏やかな顔になれた。
私が泣いていたら、怒ってばかりいたら、人を妬む心のまま子供達に接していたら、きっと今の子供達の笑顔はこの世にはない。
そう思うと、先生は父であり、母でもある人なんだよね。
私は誰よりも尊敬する先生に対して酷いことをしてしまったのだから罪深い、子供達に真実を告げる罪も深いね。
自分の産んだ子供を一人では守れなかった親としての情けなさ。
どうしても先生に逢いたくて、少しでも長く傍にいたくて、母としての心置き去りにして出かけていく薄情な女。
その他にも、昔のこと、今のこと、子供達に話していないことがいっぱいある。
だから良いことも悪いことも書き残して、私という人間を知ってもらいたいと思うんだよね。
これも自分勝手な生き方だと思う。
でも最近、自分を満足させることができなくなっていた。
会話に言葉が続いてこないんだよね。
言語能力が著しく低下していて、まるっきり単語が出てこない。
元々活字の配列の苦手な脳みそが腐ってしまっているのかもしれない。
先日、父のところに見舞いに行った際(背骨を骨折して自宅療養中)、83歳になる父が外にでれず刺激を受けない生活を2ヶ月続けていたためボケてきたのではないか?と心配して、テレビから出てくる言葉を拾って漢字の練習をしていると言い、スーパーのチラシの裏の白紙に間違った単語を何度も書いているのを見せられて、励まされるどころか…またまた自分の不甲斐なさに落ち込んでしまった。
今年になって先生にも何度か指摘されたけれど、私はダメな人間なのだと感じてる。
それでも今日、末の息子の入学式に出席するにあたり、指定された駐車場に車を止める際、突風が吹き荒れる中でも根を張り頑張っている桜の木を見つけて、これではいけないとやっと少し思えるようになってきた。
桜の花びらは散り始め、ところどころ若葉が芽吹き始めていた。
「だから年は取りたくない…」
艶やかに咲き潔く散る桜のように生きたいと思っていた若い頃の私が、今の私を観たらきっと面と向かって言ってしまうだろうね。
先生は寝る間も惜しんで自分の時間を作ろうとしていたのに、私はちょこっと眠りすぎてしまった。
最近、また夜更かしができるようになった。
子供の頃から夜が好きなんだよね。
暗闇が静けさを強調してくれるから誰にも邪魔されることはないしね。今日はあと少しすると明け方に跨り月が上ってくる。
春の夜空が好き。乙女座が春の星座だからかな・・・。
自分勝手に希望の星と名づけているんだけどね、乙女座のスピカの澄んだブルーとアルクトゥルスのオレンジ色を並べて夫婦星と言われているけれど、先生と私は乙女座だから余計に輝いて見えてしまうのかな。
今日はあと少しすると明け方に跨り月が上ってくる。
消えかかる薄い三日月に数日後の新月の時を知らされると限りある光に切なさを感じる。
晴れても雲っても、月だけはいつも空の向こうで私を待っていてくれているような気がするのは、先生と出会ってから感じたことだった。
先生に出会えなければ知ることもなかったことが沢山あるのは幸せなことだけれど、一人ぼっちは寂しいことも知ってしまったんだね。
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8月に誕生日を迎えて五十歳になったけれど、自分の立場も弁えず、まるで幼き子供が訳もわからず駄々を捏ねるような真似をしてしまったことを反省する為にもね。
それでも先生は許してくれた。
それからも色々なことがあった。
一定時間の中にも現実がいっぱい詰まりすぎて、少しだけ早く年を取ってしまったような気がする。
先生の奥様は去年の夏、突然、大切なご家族とお別れしなければならなくなった。
愛する人を失う悲しみに触れ、先生や子供達の気持ちを思うと胸の奥が締め付けられる。
秋には先生が食道癌の手術をし、早期発見だったこともあり一週間の入院生活の後、元気になったけれど、それでも先生の身体にほんの小さな変化を見つけると、何かあるのではないかと心配になる。
今年の桜を先生と一緒に見れたことが嬉しかった。
いつもの年より早咲きの桜を追いかけるように、上野の山も例年通りの賑わいを見せ、花冷えに肩を寄せ合い酒を酌み交わす人々の宴は、桜に勝るほどの勢いで活気づいていた。
色々なことがあった昨年だったけれど、カップ酒の熱燗をちびりちびり飲みながら、今年も二人で桜を観ることができて本当に嬉しかった。
開花を心待ちし、それでいて散って行く儚さや潔さに人生を重れば泣きたくなるほど切なくなる。
特別、年齢を意識しながら日々過ごしているわけではないけれど、でもね、この桜をあと何回、観れるかと思うと風に揺れ落ちる花びら一つも尊いものに思えてくる。
寂しさなんてね…、人と交わる喜びを知らなければ、知らずに済んだ感情なのかもしれない。
だからね、寂しさを感じられる人は愛に触れたことがあるんだよね、そして失った悲しみを知っている。
桜を見上げて微笑む人がいて桜の下で涙する人がいても、限りある時を一心に生きる桜なら許してくれるような気がした。
地上の灯りが照らされた明雲が影絵のように美しく桜を投影していた。
幾重にも重なり合う枝が、もう二度と離れないとしっかり抱き合う男女の姿に見えてしまうのは、私の心を映してしまうからでしょうか…。
「来年も一緒に観れるといいね」
「ああ、観れるだろう…」
そう言ったのもつかの間、今、先生は私の傍にいない。
出会ってからずっと大切にしてもらったのに、私は自分が情けなくて仕方ない。
先生の人生の決断を気持ちよく後押しできなかったのは、なぜだろう?
長年勤めた会社を辞めるというのは、それ相当の覚悟があったよね。
私の仕事の何倍も責任のある仕事を任されていた先生だから、きっと何十倍も疲れていたのだろうね。
エリート人生を知らない私にとって、あまりにも破壊力のある決断に心がよろめいてしまった。
もちろん私にとって先生の履歴が重要なのではなく、先生がどんな職業であっても、先生の頭の中に詰まっている知識と才能に感動したと思う。
でもね、なんでも先生の言葉の引用になってしまうけれど、お互いの過去の道筋があって出会えたのだからと言ってもらえると、高学歴、高収入で先生自慢するわけではなくて、先生が歩んできた道がこんなのもお粗末な私に繋がっていたなんてラッキーだなぁ~と思うと宝くじに当たったよりも嬉しくなってしまったんだよね。
確かに宝くじの一等は魅力的だけど、でも先生を買えないのなら価値がないもんね。
それなら地道に働いた方がいいよね。
あっ、話が飛んでしまった。
私の悪い癖、いつまで立っても直らないね。
どんなに忙しい時でも、どんな状況であっても、先生は以前と変わらないペースで逢いに来てくれていた。
疲れているからたまにはゆっくりとした休日を過ごして…と言えなかったし、先生に逢いたい気持ちが優先していえなかった言葉がたくさんある。
それも先生は許してくれていた。
だけど、男性の家事と仕事の両立は難しいと感じていた。
もちろん女性も同じように両立している人も沢山いるだろうけれど、でも少しずつ要領を得て今があるのとは違って、何もかも初体験の連続だったと思う。
このブログを久しぶりに書こうと思ったのはね…、
先生と過ごした幸せな時間を、このまま何ごともなかったように子供達に真実を隠して死んでいくのは嫌だと思ったから…。
それではあまりにも虫が良すぎるでしょ。
主人とのこともそうだけど、子供達には話したいことがいっぱいある。
ただね、ずっと前に先生が言ってくれたの、少なくてもあと10年は子供達に黙っていた方がいいって…。
丁度10年目にあたる年は一番下の息子が高校卒業で、上二人の子供達であれば色々なことを受け止められる年齢になるということだよね。
きっと話したら嫌われてしまうだろうね。
でもね、先生の支えがあったから、この9年間、子供たちと笑顔で接することが出来たんだよね。
そうでなければ…今の幸せはないといっても過言ではないよ。
頑張って…頑張って…心を繕ったっても女優さんじゃないんだもん、ドラマのように短いサイクルで違う人を演じられるわけではないしね。
先生から十一面観音の話を聞いた時、母親の私、早熟な私、先生を大好きな私…、色々な私がいるのだと気付かされた。
一人の人間が単純にひとつの顔しか持っていないと考える方が間違いだと言われて、色々な顔は一つの本質があって、それが置かれた環境によって枝分かれして現れてくると教えてもらった。
※十一面観音はその深い慈悲により衆生から一切の苦しみを抜き去る功徳を施す菩薩であるとされている。
だからね、先生に色々な私を受け入れてもらえたことで、十一面観音のように穏やかな顔になれた。
私が泣いていたら、怒ってばかりいたら、人を妬む心のまま子供達に接していたら、きっと今の子供達の笑顔はこの世にはない。
そう思うと、先生は父であり、母でもある人なんだよね。
私は誰よりも尊敬する先生に対して酷いことをしてしまったのだから罪深い、子供達に真実を告げる罪も深いね。
自分の産んだ子供を一人では守れなかった親としての情けなさ。
どうしても先生に逢いたくて、少しでも長く傍にいたくて、母としての心置き去りにして出かけていく薄情な女。
その他にも、昔のこと、今のこと、子供達に話していないことがいっぱいある。
だから良いことも悪いことも書き残して、私という人間を知ってもらいたいと思うんだよね。
これも自分勝手な生き方だと思う。
でも最近、自分を満足させることができなくなっていた。
会話に言葉が続いてこないんだよね。
言語能力が著しく低下していて、まるっきり単語が出てこない。
元々活字の配列の苦手な脳みそが腐ってしまっているのかもしれない。
先日、父のところに見舞いに行った際(背骨を骨折して自宅療養中)、83歳になる父が外にでれず刺激を受けない生活を2ヶ月続けていたためボケてきたのではないか?と心配して、テレビから出てくる言葉を拾って漢字の練習をしていると言い、スーパーのチラシの裏の白紙に間違った単語を何度も書いているのを見せられて、励まされるどころか…またまた自分の不甲斐なさに落ち込んでしまった。
今年になって先生にも何度か指摘されたけれど、私はダメな人間なのだと感じてる。
それでも今日、末の息子の入学式に出席するにあたり、指定された駐車場に車を止める際、突風が吹き荒れる中でも根を張り頑張っている桜の木を見つけて、これではいけないとやっと少し思えるようになってきた。
桜の花びらは散り始め、ところどころ若葉が芽吹き始めていた。
「だから年は取りたくない…」
艶やかに咲き潔く散る桜のように生きたいと思っていた若い頃の私が、今の私を観たらきっと面と向かって言ってしまうだろうね。
先生は寝る間も惜しんで自分の時間を作ろうとしていたのに、私はちょこっと眠りすぎてしまった。
最近、また夜更かしができるようになった。
子供の頃から夜が好きなんだよね。
暗闇が静けさを強調してくれるから誰にも邪魔されることはないしね。今日はあと少しすると明け方に跨り月が上ってくる。
春の夜空が好き。乙女座が春の星座だからかな・・・。
自分勝手に希望の星と名づけているんだけどね、乙女座のスピカの澄んだブルーとアルクトゥルスのオレンジ色を並べて夫婦星と言われているけれど、先生と私は乙女座だから余計に輝いて見えてしまうのかな。
今日はあと少しすると明け方に跨り月が上ってくる。
消えかかる薄い三日月に数日後の新月の時を知らされると限りある光に切なさを感じる。
晴れても雲っても、月だけはいつも空の向こうで私を待っていてくれているような気がするのは、先生と出会ってから感じたことだった。
先生に出会えなければ知ることもなかったことが沢山あるのは幸せなことだけれど、一人ぼっちは寂しいことも知ってしまったんだね。
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