2011-08-18
最後のマッチ・・・(美月)
《2009年 12月25日の記事です》
先日、アンデルセンの話を書いた時に過去の記事を思い出したので貼っておきます。
クリスマスを迎えると思い出す、マッチ売りの少女の話。
初めて読んだ時から、最後のシーンが戦慄過ぎて、未だに感想文が書けない。
もちろん天国に夢を託して幸せになれるほど、観えない世界に希望を抱いている訳ではないけれど、でもね、冷たい地面の上で独り野垂れ死んだとしても、最後にあったかいものが感じられたら幸せだろうと思っていた。
昨日は午前中仕事をこなし、午後はささやかなクリスマスの買出しの為、大型ショッピングモールに独りで出かけた。
そこにクリスマスイベントでメジャーデビューしながら、メージャーになれないバンドが出ていた。
男性二人、女性一人で結成されたバンド、男女のツインボーカルに惹かれ、暫し足を止め聞き入ってしまった。
大きなクリスマスツリーの前で歌われた「サイレントナイト」、3人の見つめる先には、まるで星が輝いているように見えた。
その澄んだ歌声を聴いていたら、なぜか?とても今の自分が恥ずかしくなった。
今を穏やかに過ごす為に捨てているものがあることは知っている。
守るべきものを守る為には、今が必要であるのだろうと思いながら、どこかで虚しさを感じてるくせに、そうでありながら信念を貫くことさえしない、牙を抜かれた虎に成り下がっている自分がいた。
きっと年齢を重ねてきた人なら、皆、同じだろうね、と言ってくれる人がいるかもしれないね。
でもね、私にとっての今の私って、ちょこっと出来すぎなんだよね。
いつも偉そうなことばかり書いているけれど、本当はね、人を敬えるほど心から人々の幸福を願えているのか?といえば嘘に近いような気がするし、それほどまで精神的に大人になれている訳ではないと思う。
一皮剥いたら、子供の頃のまんまなんだよね。
辛い事があったら逃げ出したいと思うし、逃避したいと思う。
昔はね、算盤塾をサボって、夕方の神社に逃げ込んだ。
神社の境内の裏には、小さな竹やぶがあった。
小学生が身を隠す場所として神社を選ぶなんて、少しオカルトチックであったけれど、私はお化けなどちっとも怖くなかった。
それ以上に生きている人間の方がよっぽど怖くて、笹が風に揺れる音がざわめいて聞こえた。
もし?その時に小さく丸めた背中を後ろから優しく抱きしめられたら、私は神隠しであろうとそのまま着いていってしまったかもしれないなぁ(^^ゞ
でもね幸運なことにそうはならず、その代わりに竹やぶの隙間から月だけ見えた。
月はね、ずっと幼い頃に私が持っていた鏡の世界と同じように心を映す秘密道具だった。
鏡の中と外で、私は二人の私といつも話をしていた。
もちろん誰にも裏と表があるだろうけれど、私の場合は極端に違う個性が同時に育ってしまったのかもしれない。
もう独りの私は暗い思想の持ち主で、きっと誰からも嫌われるだろうと思っていた。
でもどちらが本物だったかと言えば、鏡の中の私が表の私を映し出していたのかもしれないけどね。
それを隠そうとしていたのかもしれないけれど、それはね、子供の頃に誰もが持つ感情の一つなのかもしれないと、今は思うようになったよ。
でもね、本当はもう独りの私も同じように愛してもらいたかったんだろうね。
そう思うと、私はずっと愛を求めて彷徨ってきたことになるのかなぁ・・・。
毎年クリスマスの夜になると、幸せについて考えさせられてしまうのは、マッチ売りの少女のせいかもしれない。
最後のマッチの炎の中に彼女に見えたものが幸福への階段だとしたら、私の瞳が求めるものは先生の微笑みだと思う。
PS・・・母の誕生日は昭和11年1月1日です。
でも本当はね、昭和10年12月25日に生まれました。
暮れ押し迫る頃は誰もが忙しくて、出生届けを出しに行くのも面倒だったのか?
当時としてはあまり珍しい事ではなかったようですが、母の誕生日は摩りかえられてしまいました(^^ゞ
親の思いとしては(祖父母)、女の子は一つでも若い方が嫁に行く時に有利だろうと思ってくれたらしいのですが、母にとってはどちらでも良かったそうです。
どちらにしてもこの世に生を受けたことで父に出会えたのだからね(*^_^*)
先日、アンデルセンの話を書いた時に過去の記事を思い出したので貼っておきます。
クリスマスを迎えると思い出す、マッチ売りの少女の話。
初めて読んだ時から、最後のシーンが戦慄過ぎて、未だに感想文が書けない。
もちろん天国に夢を託して幸せになれるほど、観えない世界に希望を抱いている訳ではないけれど、でもね、冷たい地面の上で独り野垂れ死んだとしても、最後にあったかいものが感じられたら幸せだろうと思っていた。
昨日は午前中仕事をこなし、午後はささやかなクリスマスの買出しの為、大型ショッピングモールに独りで出かけた。
そこにクリスマスイベントでメジャーデビューしながら、メージャーになれないバンドが出ていた。
男性二人、女性一人で結成されたバンド、男女のツインボーカルに惹かれ、暫し足を止め聞き入ってしまった。
大きなクリスマスツリーの前で歌われた「サイレントナイト」、3人の見つめる先には、まるで星が輝いているように見えた。
その澄んだ歌声を聴いていたら、なぜか?とても今の自分が恥ずかしくなった。
今を穏やかに過ごす為に捨てているものがあることは知っている。
守るべきものを守る為には、今が必要であるのだろうと思いながら、どこかで虚しさを感じてるくせに、そうでありながら信念を貫くことさえしない、牙を抜かれた虎に成り下がっている自分がいた。
きっと年齢を重ねてきた人なら、皆、同じだろうね、と言ってくれる人がいるかもしれないね。
でもね、私にとっての今の私って、ちょこっと出来すぎなんだよね。
いつも偉そうなことばかり書いているけれど、本当はね、人を敬えるほど心から人々の幸福を願えているのか?といえば嘘に近いような気がするし、それほどまで精神的に大人になれている訳ではないと思う。
一皮剥いたら、子供の頃のまんまなんだよね。
辛い事があったら逃げ出したいと思うし、逃避したいと思う。
昔はね、算盤塾をサボって、夕方の神社に逃げ込んだ。
神社の境内の裏には、小さな竹やぶがあった。
小学生が身を隠す場所として神社を選ぶなんて、少しオカルトチックであったけれど、私はお化けなどちっとも怖くなかった。
それ以上に生きている人間の方がよっぽど怖くて、笹が風に揺れる音がざわめいて聞こえた。
もし?その時に小さく丸めた背中を後ろから優しく抱きしめられたら、私は神隠しであろうとそのまま着いていってしまったかもしれないなぁ(^^ゞ
でもね幸運なことにそうはならず、その代わりに竹やぶの隙間から月だけ見えた。
月はね、ずっと幼い頃に私が持っていた鏡の世界と同じように心を映す秘密道具だった。
鏡の中と外で、私は二人の私といつも話をしていた。
もちろん誰にも裏と表があるだろうけれど、私の場合は極端に違う個性が同時に育ってしまったのかもしれない。
もう独りの私は暗い思想の持ち主で、きっと誰からも嫌われるだろうと思っていた。
でもどちらが本物だったかと言えば、鏡の中の私が表の私を映し出していたのかもしれないけどね。
それを隠そうとしていたのかもしれないけれど、それはね、子供の頃に誰もが持つ感情の一つなのかもしれないと、今は思うようになったよ。
でもね、本当はもう独りの私も同じように愛してもらいたかったんだろうね。
そう思うと、私はずっと愛を求めて彷徨ってきたことになるのかなぁ・・・。
毎年クリスマスの夜になると、幸せについて考えさせられてしまうのは、マッチ売りの少女のせいかもしれない。
最後のマッチの炎の中に彼女に見えたものが幸福への階段だとしたら、私の瞳が求めるものは先生の微笑みだと思う。
PS・・・母の誕生日は昭和11年1月1日です。
でも本当はね、昭和10年12月25日に生まれました。
暮れ押し迫る頃は誰もが忙しくて、出生届けを出しに行くのも面倒だったのか?
当時としてはあまり珍しい事ではなかったようですが、母の誕生日は摩りかえられてしまいました(^^ゞ
親の思いとしては(祖父母)、女の子は一つでも若い方が嫁に行く時に有利だろうと思ってくれたらしいのですが、母にとってはどちらでも良かったそうです。
どちらにしてもこの世に生を受けたことで父に出会えたのだからね(*^_^*)
2011-10-22
愛は木漏れ日のように・・・
10月20日、皇后様が77歳をお迎えになられましたね。
真に無礼な発言だと思いますが、若い頃にTVで美智子様を拝見させていただきながら、美智子様は長生きされることはできないのでは…と心配いたしました。
それでも大きなご病気もなく、77歳のお誕生日をお迎えになられたこと大変嬉しく思います。
そして天皇皇后両陛下が優しく寄り添うお姿を、いつまでも拝見させていただきたいと心より願っております。
そんな想いから、今夜は2009年5月3日に書いたものを貼ろうと思います。
二年前の記事ですが、今もあまり大人しく(大人らしく)なっていないですね(^^ゞ
『愛は木漏れ日のように…』
昨夜のTVで天皇皇后両陛下ご結婚50周年記念の特別番組を放映していましたね。
50周年を迎えられた日のお二人のインタビューを思い出し、再びあの日の感動が蘇ってきました。
皇室という世界に特別な思いを抱くことがなかった私ですが、このたび記念日という形でお二人の軌跡を触れる機会を与えられ、身分を越えた美しい男女の愛の形に心が震えてしまいました。
美智子様へ・・・
美智子様にお便りを書こうなどと、本来では届く宛てもなく(汗)、けれど多くの方に感じた思い(感動)を伝えたくて、記事にしたため書いてみたいと思います。
私のような者が語らせて頂くには、あまりにも身分不相応であることは十分わかっておりますが、それでも語りたいと思う気持ちに勝てない私の我侭をどうぞお許しください。
大好きな方のお傍で金婚式をお迎えになられたこと、心よりお祝い申し上げます。
「結婚してよかった」と思ったときのエピソードには、お二人だけの時間に少し触れることができて、心温まる思いでいっぱいになりました。
(春、こぶしの花が取りたくて、木の下でどの枝にしようかと迷っておりました時に、陛下が一枝を目の高さまで下ろしてくださって、そこに欲しいと思っていた通りの美しい花がついておりました。 うれしくて、のちに歌にも詠みました)
(赤坂のお庭は、蜘蛛(くも)の巣が多く、陛下は道々、蜘蛛の巣をはらうための確か寒竹だったか、葉のついた細い竹を2本切っておいでになると、その2本を並べてお比べになり、一方の竹を少し短く切って渡してくださいました。 ご自分のよりも軽く、少しでも持ちやすいようにと思ってくださったのでしょう。今でもその時のことを思い出すと胸が温かくなります)
TVでお二人の姿を拝見していたら、なぜか?涙が自然と溢れてきてしまい、仕事中の先生に半べそかきながら、メールしたことを思い出します。
最近、涙もろくなってしまって時には少々困ることもありますが、物ごとが素直に見えるようになれたことで気付けることも多くなり、年を重ねることも素晴らしいことであると思えるようにもなりました。
私にも先生との何気ない日常の感動秘話が沢山あります。
池に群生する蓮の花を傘の枝で翳してくれたこと・・・。
アヒルに餌をあげながら、はしゃぐ私をじっと見つめてくれていたこと・・・。
桜吹雪を見上げ夜空に二人で影絵を書いた日のことも、両手いっぱいのカサブランカを抱えて歩いた朧月夜も、鮮明に記憶されています。
青い空、白い雲、風が緩やかな日もあれば、ダークグレイの雲の下に鮮烈な閃光を落とす夏の夕。
紅葉眩しい清秋に朧月を重ねてみれば、コートのポッケに二つの手が合い交り、寒さを凌いで新たな春に思いを寄せる。
美智子様のように淑やかに感謝の気持ちを言葉に託してみたいけれど、ほんのちょっぴりの恥ずさが邪魔をして、文字で誤魔化してばかりの私です(汗)
だけど私の観るもの感じるものを、先生は同じように感じてくれているだろうと思えています。
人の心を信じることは、簡単そうで実はとても難しいことだと思います。
でもそう思える今を、何より幸せだと思っています。
だけどあまり幸せ過ぎると、この幸せが当然であろうようにも思えてしまい、いつか離れなくてはいけない日が来ると思うだけで、先生の傍にいる時間をもっと欲しいと思ってしまいます。
それは贅沢な願いだとはわかっていますが、でも…でもね、自分の心に嘘をついてしまったら、先生にも嘘をついてしまうようで哀しくなるから、わがままだとは思いますが、私のひとりごと…そっと聞いてくださいね。
昨夜のおでん屋さんの具材には、先生の大好物のつぶ貝がありました。
つぶ貝を美味しそうに頬張りながら、先生が私に言いました。
「俺が死んだ時は・・・つぶ貝を・・・・」
私には途中までしか聞こえません。
ううん、本当は先生の言葉を遮るように、そっぽを向いて聞こえなかった振りをしました。。
(だって、そんなことを面と向かって聞いてしまったら、つぶ貝を観るたびに思い出されて悲しくなるでしょ)
先生がいない世の中なんて、どんなに沢山の思い出を持っていたとしても満たされない。
愛する人が傍にいる喜びに勝るものは、この世に存在しないと思っているからね。
でもいつかその時が来たら、先生のことだから私が腑抜けババアにならないように、沢山の宿題を残していってくれるような気がします。
残された者に生きるための課題を置いてこの世を去る、それもまた愛の形のひとつなのかもしれませんね。
だけど、元々学ぶことが何より苦手な私です。
宿題の答えを解いたら、やっぱり褒めてもらったり叱られたりしなくては、きっと長続きしないでしょうね。
それ以上に答えを見つたことで、先生がいない今を現実のものと確証しなくてはならないのなら、答えを出す意欲もなくなります。
私は誰よりも強い女でした。泣かない、追わない、一人上手が自慢でした。
でも先生に出会ってからというもの、今まで隠れていた弱心が顔を出してしまい、愛するが故の哀しみの深さを知りました。
でも傲慢な愛は自己を愛する心であり、信愛は木漏れ日のように控えめでありながら温かく心に捧ぐ光となるのでしょうね。
まだまだ日々、お忙しいお体とは思いますが、一日でも長く陛下のお傍にいられるよう、心安らかな時間をゆっくりとお過ごしいただけたらと心より願っています。
今日の私の喜びですが、先生から花便りが届いたことです。
薔薇は好きな花の一つでした。
でも先生の育てた薔薇は、どの花よりも美しく映って見えます(*^_^*)
美月
最後まで読んでくれてありがとう
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真に無礼な発言だと思いますが、若い頃にTVで美智子様を拝見させていただきながら、美智子様は長生きされることはできないのでは…と心配いたしました。
それでも大きなご病気もなく、77歳のお誕生日をお迎えになられたこと大変嬉しく思います。
そして天皇皇后両陛下が優しく寄り添うお姿を、いつまでも拝見させていただきたいと心より願っております。
そんな想いから、今夜は2009年5月3日に書いたものを貼ろうと思います。
二年前の記事ですが、今もあまり大人しく(大人らしく)なっていないですね(^^ゞ
『愛は木漏れ日のように…』
昨夜のTVで天皇皇后両陛下ご結婚50周年記念の特別番組を放映していましたね。
50周年を迎えられた日のお二人のインタビューを思い出し、再びあの日の感動が蘇ってきました。
皇室という世界に特別な思いを抱くことがなかった私ですが、このたび記念日という形でお二人の軌跡を触れる機会を与えられ、身分を越えた美しい男女の愛の形に心が震えてしまいました。
美智子様へ・・・
美智子様にお便りを書こうなどと、本来では届く宛てもなく(汗)、けれど多くの方に感じた思い(感動)を伝えたくて、記事にしたため書いてみたいと思います。
私のような者が語らせて頂くには、あまりにも身分不相応であることは十分わかっておりますが、それでも語りたいと思う気持ちに勝てない私の我侭をどうぞお許しください。
大好きな方のお傍で金婚式をお迎えになられたこと、心よりお祝い申し上げます。
「結婚してよかった」と思ったときのエピソードには、お二人だけの時間に少し触れることができて、心温まる思いでいっぱいになりました。
(春、こぶしの花が取りたくて、木の下でどの枝にしようかと迷っておりました時に、陛下が一枝を目の高さまで下ろしてくださって、そこに欲しいと思っていた通りの美しい花がついておりました。 うれしくて、のちに歌にも詠みました)
(赤坂のお庭は、蜘蛛(くも)の巣が多く、陛下は道々、蜘蛛の巣をはらうための確か寒竹だったか、葉のついた細い竹を2本切っておいでになると、その2本を並べてお比べになり、一方の竹を少し短く切って渡してくださいました。 ご自分のよりも軽く、少しでも持ちやすいようにと思ってくださったのでしょう。今でもその時のことを思い出すと胸が温かくなります)
TVでお二人の姿を拝見していたら、なぜか?涙が自然と溢れてきてしまい、仕事中の先生に半べそかきながら、メールしたことを思い出します。
最近、涙もろくなってしまって時には少々困ることもありますが、物ごとが素直に見えるようになれたことで気付けることも多くなり、年を重ねることも素晴らしいことであると思えるようにもなりました。
私にも先生との何気ない日常の感動秘話が沢山あります。
池に群生する蓮の花を傘の枝で翳してくれたこと・・・。
アヒルに餌をあげながら、はしゃぐ私をじっと見つめてくれていたこと・・・。
桜吹雪を見上げ夜空に二人で影絵を書いた日のことも、両手いっぱいのカサブランカを抱えて歩いた朧月夜も、鮮明に記憶されています。
青い空、白い雲、風が緩やかな日もあれば、ダークグレイの雲の下に鮮烈な閃光を落とす夏の夕。
紅葉眩しい清秋に朧月を重ねてみれば、コートのポッケに二つの手が合い交り、寒さを凌いで新たな春に思いを寄せる。
美智子様のように淑やかに感謝の気持ちを言葉に託してみたいけれど、ほんのちょっぴりの恥ずさが邪魔をして、文字で誤魔化してばかりの私です(汗)
だけど私の観るもの感じるものを、先生は同じように感じてくれているだろうと思えています。
人の心を信じることは、簡単そうで実はとても難しいことだと思います。
でもそう思える今を、何より幸せだと思っています。
だけどあまり幸せ過ぎると、この幸せが当然であろうようにも思えてしまい、いつか離れなくてはいけない日が来ると思うだけで、先生の傍にいる時間をもっと欲しいと思ってしまいます。
それは贅沢な願いだとはわかっていますが、でも…でもね、自分の心に嘘をついてしまったら、先生にも嘘をついてしまうようで哀しくなるから、わがままだとは思いますが、私のひとりごと…そっと聞いてくださいね。
昨夜のおでん屋さんの具材には、先生の大好物のつぶ貝がありました。
つぶ貝を美味しそうに頬張りながら、先生が私に言いました。
「俺が死んだ時は・・・つぶ貝を・・・・」
私には途中までしか聞こえません。
ううん、本当は先生の言葉を遮るように、そっぽを向いて聞こえなかった振りをしました。。
(だって、そんなことを面と向かって聞いてしまったら、つぶ貝を観るたびに思い出されて悲しくなるでしょ)
先生がいない世の中なんて、どんなに沢山の思い出を持っていたとしても満たされない。
愛する人が傍にいる喜びに勝るものは、この世に存在しないと思っているからね。
でもいつかその時が来たら、先生のことだから私が腑抜けババアにならないように、沢山の宿題を残していってくれるような気がします。
残された者に生きるための課題を置いてこの世を去る、それもまた愛の形のひとつなのかもしれませんね。
だけど、元々学ぶことが何より苦手な私です。
宿題の答えを解いたら、やっぱり褒めてもらったり叱られたりしなくては、きっと長続きしないでしょうね。
それ以上に答えを見つたことで、先生がいない今を現実のものと確証しなくてはならないのなら、答えを出す意欲もなくなります。
私は誰よりも強い女でした。泣かない、追わない、一人上手が自慢でした。
でも先生に出会ってからというもの、今まで隠れていた弱心が顔を出してしまい、愛するが故の哀しみの深さを知りました。
でも傲慢な愛は自己を愛する心であり、信愛は木漏れ日のように控えめでありながら温かく心に捧ぐ光となるのでしょうね。
まだまだ日々、お忙しいお体とは思いますが、一日でも長く陛下のお傍にいられるよう、心安らかな時間をゆっくりとお過ごしいただけたらと心より願っています。
今日の私の喜びですが、先生から花便りが届いたことです。
薔薇は好きな花の一つでした。
でも先生の育てた薔薇は、どの花よりも美しく映って見えます(*^_^*)
美月
最後まで読んでくれてありがとう
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2012-03-17
憧れのマドンナ
先日、「吉原炎上」をTVドラマを観ていた。
ドラマのラストに、吉原で亡くなった花魁達が眠るお寺が映し出されていた。
先生と吉原を旅したことがある。
確かに今と昔では景色も違うよね。
花魁と呼ばれた人達は、後に娼婦と名を買え、遊郭はソープランドと変わってる。
それでも体を売らなくては今を生きられない女がいることに、何の変わりはないのかもしれないよね。
梅の花が咲くと思い出すのは、格子戸の奥に鍛錬に手入れをされた白梅の香りに三味線の音色。
昔、仲良しの友達の家の隣にお妾さんが住んでいた。
子供の私でさえ、彼女がお妾さんだと知っていたのだから、お妾さんの存在は社会的に隠されるものではなかったし、むしろ公表されていたんだろうね。
「●●さんのお世話になっています」
…と挨拶をしていたし、もちろん妻も承知しているのだから不倫ではない。
ましてお妾さんを持てるのは「男の甲斐性」とまで言われた時代だったしね。
旦那様と呼ばれた方は、彼女の家で殆どの時間を過ごし、彼女の元で静かに亡くなった。
でも商店街の葬儀屋で葬儀が営まれることはなかった。
お妾さんと呼ばれた女性は、小唄のお師匠さんだったけれど、誰も「妾」などと彼女を罵る事はなかった。
当時は世間も貧しくて、結婚=腰掛(生涯保証)とまでいかなかった時代だったから、内職仕事に精を出す主婦の間でも、高貴な男性に囲われることへの憧れがあったように思う。
場末の女は「泥棒猫」と呼ばれた。
だけど彼女の美しさと凛とした生き様、尚且つ、女に定職の無い時代に自立した女性であったことで、当時の主婦には文句を付ける要素が見つけられなかったのかもね。
でもね、今振返ると、本当のところどちらが世話になっていたのかなぁ~と思うんだよね。
旦那様の身なりはいつもキチンとしていたけれど、お妾さんは贅沢を好むような人ではなかったしね。
お肉屋さんでも、魚屋さんでも、金持ちぶることはなかった。
それでも酒屋さんが配達するのは特級酒ばかりだったらしいけれど、旬の野菜を肴に晩酌する程度の生活ぶりだったようだから、もしかしたら?旦那様は、お金持ちを廃業してしまっていたのかもしれない。
なんとなく…そんな気がしていた子供の頃、それが事実だとすれば、とても素敵な女性だったと思う。
最後まで愛する人を、旦那様のままの姿で見送った彼女の心粋は、まるで桜のように潔いよね。
女が一度咲くと決めたら、どんな試練も受けて立つ。
心底惚れて尽くせる人に出会えたことだけで、彼女の人生は誰よりも幸せだったんじゃないのかなぁ~。
美月
ドラマのラストに、吉原で亡くなった花魁達が眠るお寺が映し出されていた。
先生と吉原を旅したことがある。
確かに今と昔では景色も違うよね。
花魁と呼ばれた人達は、後に娼婦と名を買え、遊郭はソープランドと変わってる。
それでも体を売らなくては今を生きられない女がいることに、何の変わりはないのかもしれないよね。
梅の花が咲くと思い出すのは、格子戸の奥に鍛錬に手入れをされた白梅の香りに三味線の音色。
昔、仲良しの友達の家の隣にお妾さんが住んでいた。
子供の私でさえ、彼女がお妾さんだと知っていたのだから、お妾さんの存在は社会的に隠されるものではなかったし、むしろ公表されていたんだろうね。
「●●さんのお世話になっています」
…と挨拶をしていたし、もちろん妻も承知しているのだから不倫ではない。
ましてお妾さんを持てるのは「男の甲斐性」とまで言われた時代だったしね。
旦那様と呼ばれた方は、彼女の家で殆どの時間を過ごし、彼女の元で静かに亡くなった。
でも商店街の葬儀屋で葬儀が営まれることはなかった。
お妾さんと呼ばれた女性は、小唄のお師匠さんだったけれど、誰も「妾」などと彼女を罵る事はなかった。
当時は世間も貧しくて、結婚=腰掛(生涯保証)とまでいかなかった時代だったから、内職仕事に精を出す主婦の間でも、高貴な男性に囲われることへの憧れがあったように思う。
場末の女は「泥棒猫」と呼ばれた。
だけど彼女の美しさと凛とした生き様、尚且つ、女に定職の無い時代に自立した女性であったことで、当時の主婦には文句を付ける要素が見つけられなかったのかもね。
でもね、今振返ると、本当のところどちらが世話になっていたのかなぁ~と思うんだよね。
旦那様の身なりはいつもキチンとしていたけれど、お妾さんは贅沢を好むような人ではなかったしね。
お肉屋さんでも、魚屋さんでも、金持ちぶることはなかった。
それでも酒屋さんが配達するのは特級酒ばかりだったらしいけれど、旬の野菜を肴に晩酌する程度の生活ぶりだったようだから、もしかしたら?旦那様は、お金持ちを廃業してしまっていたのかもしれない。
なんとなく…そんな気がしていた子供の頃、それが事実だとすれば、とても素敵な女性だったと思う。
最後まで愛する人を、旦那様のままの姿で見送った彼女の心粋は、まるで桜のように潔いよね。
女が一度咲くと決めたら、どんな試練も受けて立つ。
心底惚れて尽くせる人に出会えたことだけで、彼女の人生は誰よりも幸せだったんじゃないのかなぁ~。
美月
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