私が九十九里を褒めると、先生は私を馬鹿にする(*^^)v
えへへ、田舎だと馬鹿にしていた千葉に住みたいと今は思えるほど、千葉が(海辺の近くが…)心身ともに心地良いと感じる。 先生が初めて一人旅をしたのが九十九里浜だったんだって…。 高校二年生だったらしいけれど、それから何度も訪れただろう九十九里浜を、私は先生と一緒に旅している。 さすがに高校生の先生が、この年になっておばさん(私)と一緒に馬に乗っている姿など想像出来なかっただろうけれど、たとえ相手が違ったとしても、きっと先生はこの年の頃になると原点に戻ってきたのだろうと思う。 九十九里浜へ独りで旅する人間なんて、どう考えてもつげ義春並みに暗いという。 えへへ、その暗さは今も変わらないと思うからね。 ただし先生にとって暗さ(影の部分)は、必要不可欠だったように思う。 一宮の海岸で太陽をバックに先生の写真を撮った。 逆光… 見る角度を変えれば先生はキラキラ輝いて見えるはずなのに、光を浴びれば浴びるほど黒い影となった。 人間は花と違って明るい方ばかりを見ては暮らせない。 特に先生のような危機管理能力の強い人の場合、輝けば輝くほど影は深まりを増し、光と影のバランスを取ろうとするのだろうと思う。 人を愛し、孤独を愛する。 それが先生の基本姿勢かもしれないなぁ~(*^_^*) 私はというと、先生に出会ってから呑気になった。 以前は何をするのもキリキリとしていたけれど、最近は私が考えるより先生が考えた方が正しい答えが出るだろうと思うので、なんでもお任せしている。 まあね、たまには「お前が考えるんだ!!!」と怒っているけれど、でも最終的には先生の判断を扇ぐのだから、結局は同じような気がするけどね。 ただし最近は褒められることも増えた。 それはなぜかと考えれば、褒めた方が早く話が切り上がることを先生が悟ったからだと思う(*^^)v 8月から毎月、同じ時間に海岸で馬に乗っているけれど、どこまでも続く灰色の砂浜は一緒であっても、季節によって日の陰りも違うし、天候によっても空と海の色が変わってくるでしょ…。 未だ私の海は不動ではなく、常に新しい顔で迎えてくれているように思うし、毎回、海を見るたび、人間って小さいんだなぁ~と素直に思える。 今年も色々な発見があったし、色んな出会いもあった。 私は先生と二人で見つけた感動を思いきり楽しんだ。 いつまでも感動する心を持ち続けたいね。 これからも楽しい話を綴りたい。 その為には好奇心を忘れず、心を柔軟にしていなくてはいけないよね。 新しいものを知る感動、美しい景色を見て感動する。 感動は特別なものから生まれるのではないのかもしれないと、最近、思う。 また、同じ景色に先生が居るか居ないかによっても、私にとって感動の度合いは違ってくる。 たとえ何もない背景であったとしても、私は先生を描いて笑ってしまう。 先生がいるだけで、なぜか可笑しくなる。 先生ほど、私を笑わすのが得意な人はいないと思う。 美月 |
2013-12-31 Tue 00:36
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そんなわけで心を新たにするということになりますね。
でも新たになるというのは仕切り直しで、中長期の計画に失敗したのかと会社では罵られるでしょう。 だからね、年が明けても何も変わらないのです。 好きな人も好きな物も好きな音楽も好きなことも。 変わったのは結果論で、ただただ今を生きているだけなのです。 それでいいでしょう? 愛する女と一緒にいるだけで人生は素晴らしい。 それだけでいいでしょう? 独りで旅して帰るところがあればいいんです。 二人で旅したらダメだろうね。 同じレベルならそれでもいいけど、二人の旅は女を楽しませる旅だよ。 男はいつまでも独りで自分を見つめられないと・・・
2014-01-02 Thu 00:38 | URL | 先生 #-[ 内容変更]
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