2011-07-12
愛も美談もこの世限り・・・
<2010年、1月22日に書いた記事を転記します>
先生が帰り道のメールで「お年寄りに席を譲った」と書いてあった。
先に奥さんを座らせた旦那さんが立っていたと言う。
先生は旦那さんに席を譲った。
二人の様子を察すれば、まだまだ遠くまで帰るだろうということが、先生にはすぐにわかったらしい。
ここまでなら美談で終る話かもしれないよね。
でも先生はね、自分がもっと遠くまで帰らなくてはならない状況であったら、果たして快く席を譲れたか?と自分の心に問いかける人です。
それが人間の浅ましさへと繋がり、深く潜ってしまう人が先生です。
私は先生が深い海の底に潜ってしまうたびに悲しくなる。
私がもっともっと深くまで潜れるようになって、先生を引き上げたいと思うのに届かない時は、自分の存在を腹立たしく思う。
だから先生が何か考えると、私も真似て考えてみる癖がついた。
猿真似に等しい行為ではありながら、少しでも傍にいきたくて想像世界で真似てみる。
私が先生と同じ状況にあったら席を譲る・・・そこまでは一緒。
でも私は誰よりも呑気だから、こういう良い機会に出会えたことを有難いと思ってしまう。
感謝されることを求めるというよりは、笑顔が観たくてそうしてしまうのかもしれない。
それは道徳心がそうさせるものでもないし、倫理が心を動かしているわけでもない。
ただ単純にどこで学んだのか?それさえ記憶にないけれど、でも何かの拍子に学んだことの一つに、微笑み返しがあるような気がした。
嬉しかった気持ち、その時感じた喜びの記憶があるからこそ、同じような場面に出会うと再び喜びを求めて、幸福の反復を繰り返しているだけなのかもしれないと思った。
今日TVニュースをつけていたら、お年寄り夫婦が電車に轢かれてしまったと聞こえてきた。
線路内で84歳の妻が転んでしまい、妻を助けようとした91歳の夫も一緒に電車にはねられてしまったらしい。
あまりに痛ましい事故に胸が締め付けられる思いがした。
私ね…、同じ状況であれば、絶対先生を助けてしまう。
でもその時には何も考えることができなくて、だた先生の元に走っているだけなのだろうと思う。
でもね、先生が先の二人を助けようとした時に電車が近づいて来たとしたら、私は先生だけを抱えて逃げるかもしれないと思うと…、浅ましいのは私だと思ったよ。
その時、見えるものしか救えない…。
ううん、たとえ救いの手を差し延ばされても、私には先生しか見えないだろうと思う。
今、先生から夜のメールが届いた。
私が今書いていることと同じ話題に触れて書かれていた。
でも先生のメールの締めと、私がこれから書こうとすることは、少し違っていた(汗)
先生はそういう状況になったら「お前に来て欲しくない!」と言っていた。
だけど「生き残って欲しい」と言われても、その時の私に先生の意思は届かないと思う。
私はいつものように、思うまま、感じるままに行動してしまうだろうからね。
先生に叱られることの一つである、物事を深く考えず、すぐ行動してしまう癖が最後まで残るのかなぁ・・・。
癖ってね、意識しない習慣でもあるよね。
でもね愛であろうが美談であろうが、後になりどんなに慈悲深い涙を流してもらえたとしても届かない世界があの世です。
あの世に行くということは、この世とおさらばすることです。
だから・・・灰になるまで恋を・・・。
悲しいけれど求めるものに夢中になれるのも生きている限りでしかなく、私が先生を思えるのもこの世限り・・・。
ただそれだけのこと・・・。
それだけのことだから、先生と過ごす今がどんなものより価値ある財産なのだと思う。
美月より
最後まで読んでくれてありがとう(*^_^*)
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この恋を『最後の恋』と言い切る方々のブログには、
愛しい人への限りなく深い愛情が切々と綴られています。
お時間のある方は、こちらも合わせてお楽しみください。
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先生が帰り道のメールで「お年寄りに席を譲った」と書いてあった。
先に奥さんを座らせた旦那さんが立っていたと言う。
先生は旦那さんに席を譲った。
二人の様子を察すれば、まだまだ遠くまで帰るだろうということが、先生にはすぐにわかったらしい。
ここまでなら美談で終る話かもしれないよね。
でも先生はね、自分がもっと遠くまで帰らなくてはならない状況であったら、果たして快く席を譲れたか?と自分の心に問いかける人です。
それが人間の浅ましさへと繋がり、深く潜ってしまう人が先生です。
私は先生が深い海の底に潜ってしまうたびに悲しくなる。
私がもっともっと深くまで潜れるようになって、先生を引き上げたいと思うのに届かない時は、自分の存在を腹立たしく思う。
だから先生が何か考えると、私も真似て考えてみる癖がついた。
猿真似に等しい行為ではありながら、少しでも傍にいきたくて想像世界で真似てみる。
私が先生と同じ状況にあったら席を譲る・・・そこまでは一緒。
でも私は誰よりも呑気だから、こういう良い機会に出会えたことを有難いと思ってしまう。
感謝されることを求めるというよりは、笑顔が観たくてそうしてしまうのかもしれない。
それは道徳心がそうさせるものでもないし、倫理が心を動かしているわけでもない。
ただ単純にどこで学んだのか?それさえ記憶にないけれど、でも何かの拍子に学んだことの一つに、微笑み返しがあるような気がした。
嬉しかった気持ち、その時感じた喜びの記憶があるからこそ、同じような場面に出会うと再び喜びを求めて、幸福の反復を繰り返しているだけなのかもしれないと思った。
今日TVニュースをつけていたら、お年寄り夫婦が電車に轢かれてしまったと聞こえてきた。
線路内で84歳の妻が転んでしまい、妻を助けようとした91歳の夫も一緒に電車にはねられてしまったらしい。
あまりに痛ましい事故に胸が締め付けられる思いがした。
私ね…、同じ状況であれば、絶対先生を助けてしまう。
でもその時には何も考えることができなくて、だた先生の元に走っているだけなのだろうと思う。
でもね、先生が先の二人を助けようとした時に電車が近づいて来たとしたら、私は先生だけを抱えて逃げるかもしれないと思うと…、浅ましいのは私だと思ったよ。
その時、見えるものしか救えない…。
ううん、たとえ救いの手を差し延ばされても、私には先生しか見えないだろうと思う。
今、先生から夜のメールが届いた。
私が今書いていることと同じ話題に触れて書かれていた。
でも先生のメールの締めと、私がこれから書こうとすることは、少し違っていた(汗)
先生はそういう状況になったら「お前に来て欲しくない!」と言っていた。
だけど「生き残って欲しい」と言われても、その時の私に先生の意思は届かないと思う。
私はいつものように、思うまま、感じるままに行動してしまうだろうからね。
先生に叱られることの一つである、物事を深く考えず、すぐ行動してしまう癖が最後まで残るのかなぁ・・・。
癖ってね、意識しない習慣でもあるよね。
でもね愛であろうが美談であろうが、後になりどんなに慈悲深い涙を流してもらえたとしても届かない世界があの世です。
あの世に行くということは、この世とおさらばすることです。
だから・・・灰になるまで恋を・・・。
悲しいけれど求めるものに夢中になれるのも生きている限りでしかなく、私が先生を思えるのもこの世限り・・・。
ただそれだけのこと・・・。
それだけのことだから、先生と過ごす今がどんなものより価値ある財産なのだと思う。
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