2011-10-03
今だからこそ…
何年経っても恋しい人を思う気持ちに躊躇いを持つことなくいられるのは、先生のおかげだと思ってる。
不倫という響きが嫌いな人もいるだろうし、出逢いに悲恋を連想するかもしれないよね。
私は先生が大好きだから、しつこいほど傍にいたいと思ってる。
一緒にいる時は体のどこかに触れていたいと思うし、穴があくほど先生を見つめていたいと思う。
だから自由に逢えない寂しさより、いつも私の心の中に先生が居てくれることの方が何倍も深く愛しい。
人は生まれてから死ぬまで一人なのかもしれない。
戸籍謄本に加えられる証や期日は、年表とは違い生きてきた軌跡が書かれる訳ではないよね。
だけどね、先生の傍にいるようになってから、誰かの人生の中に住んでいられる喜びを知った。
長いお付き合いができると、沢山のことを知ることができるんだね。
恋愛は足し算、結婚は引き算だと言われることが多いよね。
結婚式のスピーチで、結婚はゴールではなくスタートだとよく聞くでしょ!?
多少の捩りはあるけれど、でも同じようなことを繰り返し聞かされるたびに、この人達って同じスピーチ本を読んでいるのではないか?と苦笑してしまう。
まあね、昔なら多少は、なるほど…と思ったかもしれない。
でも今はね、そんなこと考えること自体が悲しいことだと思ってしまう。
お目出度い席で縁が切れるような話はいけないとされながら、引き算ってどうよねぇ~(^^ゞ
まあね、それを聞いて腹が立たないのも、若い頃ならではの無邪気さかもしれないけどね(^^)v
だって将来なんて誰にも見えないのだからね。
だけど見えないからこそ楽しいのかもしれない。
見えない未来を一緒に観れる人がいることを、何よりも嬉しいと喜べる関係であれば、恋だって結婚だってどちらでも良い様な気がする。
先生はね、本当に観ていて飽きない人なんだよね。
色んなことを考えている人で、物事を考えることが趣味なのではないかと思ったりする(笑)
あっ!大切な先生を馬鹿になんてしてないよ。
趣味っていうのはね、時間潰しでするようなものではないでしょ!?
自分の好きなこととなると、どんなことよりも努力したり頑張れたりするものが趣味というものであって、極めれば極めるほど空の高さを知るものだと思う。
定年後に趣味を持とうとして失敗した人と数知れず話したけれど、本当は好きなことでなかったんだよね。
だけどね、趣味が高じて生き甲斐を手に入れた人もちゃんといるのだから、結局、人真似では好きなことに一途になれないということかなぁ~。
まあ恋愛だって同じで、取りあえず…なんて考えたら、絶対に飽きるよね。
だって好きでもないことに時間を費やしたりするのが億劫になるでしょ!?
恋愛が終った人に感想を聞くと(笑)、「疲れた」という答えが返ってくることが多いけれど、仕事じゃあるまいし果たして何に疲れたのだろうか?と思ってしまう。
それにもまして、「嫌いになった訳じゃないけど…」などと尾びれが付くと、ますますわからなくなってしまう。
私の恋愛相談は至って簡単なもので、「言葉の通り、最初から好きじゃなかったんでしょ!?」で終ってしまう。
「嫌いではないけれど、好きでもなかった…。好きだと思っていたけれど、結局、私が愛していたのは私でした
」
と、この際ハッキリ言ってもいいんじゃないのかなぁ~(^_^;)
まあね、そんなことが堂々と言えるような人であれば疲れたりはしないんだろうけれど、それならば相手の否を責めるのはどうかなぁ~と思ったりする。
こうして…ああして…と言わなくても、自分の気持ちをわかってくれる人の方がいいのはもちろんだよね。
だけどね、そんな人はそうは居ないよ。
育ててくれた親だってわからないことがあるのに、まして他人となると全てを分かり合える関係になるには相当な時間が必要となるでしょ。
だけどね、時間短縮の鍵は自分が持っているんだよね。
自らを曝け出すことで扉は開かれるものであって、そこから恋はスタートするのだからね。
私はね、性格は荒いし、酒乱だし、オマケに捻くれ者ときてる。
そんな自分を私自身知っているのだけれど、それでも先生は傍に居てくれる。
他人事に聞こえるかもしれないけれど、先生って不思議な人だなぁ~と思うよ。
だけどね、先生はこんな私を唯一認めてくれた人なんだよね。
きっと先生なら、私の犯した罪まで許してくれると思えた。
私は死にたいと願う母を殺そうとした。
もちろん死ぬほどのことではなかったのかもしれない。
あれこれと母との思い出を語れば、心情として許されることがあるかもしれないけれど、でも少なくても私に殺意があったことに変わりはない。
たとえどんな想いであっても、許されることではないよね。
私は許されたくなかった。一生、許されることを望んではいなかった。
だけどね、母のことを語りたい気持ちがいつもあったよ。
母の素晴らしさを伝えたい、母のような人になりたかったと言いたい。
だけどね、罪が許されるまでは、誰にも語ることが出来なかった。
いつかは、この苦しみから逃れたいと思ってきた。
そう思いながら十年が経った頃、空から先生が降ってきた。
その日は私の心と同じように半月の夜だった。
月はいつか満ちるけれど、私の心の半分は一生暗闇のままなのか?と思ったら急に切なくなった。
そして私は先生と出会い、心の底から懺悔をした。
「もういい…、もういいよ…」
先生の言葉はとても短かったけれど、神様から許しがもらえたような気がした。
母が亡くなってから、大袈裟に泣いたことはなかった。
それでもうっすらと目頭が熱くなる度に、心を鬼にした。
だけどね、先生から許しがもらえた日は胸の奥が温かくて、朝までかけて十年分泣いちゃった。
泣きながら、高校の修学旅行に行く朝に忘れ物をしたことを思い出した。
今でも何を忘れたか?思い出せないくらいだから、たいした物ではなかったんだろうね。
身支度を整え、両親に見送られ家を出た。
「忘れ物はないか?」
「危ないことはしないでね」
支度の最中、何度も聞かれて五月蝿いくらいだった。
私は少し腹立たしさを感じながら、そっけなく家を出た。
最寄駅に電車が着いていつもの窓際に立つ電車は定刻どおり走り出す。
これで全て順調だと思った。
だけど線路脇の細い道を一生懸命自転車を漕ぐ母の姿を見つけた。
私を見つけた母は、大声で叫びながら手に持っているものを見せるのだけど、結局何だかわからなかった。
私は手を横に振り「大丈夫、いらないよ…」と言ったつもりだった。
だけど母は私がバイバイをしていると思ったらしく、優しい顔で手を振り「気をつけて…」と言った。
今でも母の口元の動きを鮮明に覚えている。
だけど、先生に話すまでは忘れていたんだよね。
大切な思い出を封印したまま、私は十年間を生きてきたことに気付いたよ。
「もういいよ…」と先生に言われた言葉が、今では母の言葉のように思える。
私は先生によって救われた。
苦しみから逃れることばかり考えていたけれど、まずは自分を受け入れることを許さなければ、心が解放されることはなかったんだろうね。
人は神になれると、今だから思う。
今だからこそ先生に出会えたのではないかと思う。
不倫という響きが嫌いな人もいるだろうし、出逢いに悲恋を連想するかもしれないよね。
私は先生が大好きだから、しつこいほど傍にいたいと思ってる。
一緒にいる時は体のどこかに触れていたいと思うし、穴があくほど先生を見つめていたいと思う。
だから自由に逢えない寂しさより、いつも私の心の中に先生が居てくれることの方が何倍も深く愛しい。
人は生まれてから死ぬまで一人なのかもしれない。
戸籍謄本に加えられる証や期日は、年表とは違い生きてきた軌跡が書かれる訳ではないよね。
だけどね、先生の傍にいるようになってから、誰かの人生の中に住んでいられる喜びを知った。
長いお付き合いができると、沢山のことを知ることができるんだね。
恋愛は足し算、結婚は引き算だと言われることが多いよね。
結婚式のスピーチで、結婚はゴールではなくスタートだとよく聞くでしょ!?
多少の捩りはあるけれど、でも同じようなことを繰り返し聞かされるたびに、この人達って同じスピーチ本を読んでいるのではないか?と苦笑してしまう。
まあね、昔なら多少は、なるほど…と思ったかもしれない。
でも今はね、そんなこと考えること自体が悲しいことだと思ってしまう。
お目出度い席で縁が切れるような話はいけないとされながら、引き算ってどうよねぇ~(^^ゞ
まあね、それを聞いて腹が立たないのも、若い頃ならではの無邪気さかもしれないけどね(^^)v
だって将来なんて誰にも見えないのだからね。
だけど見えないからこそ楽しいのかもしれない。
見えない未来を一緒に観れる人がいることを、何よりも嬉しいと喜べる関係であれば、恋だって結婚だってどちらでも良い様な気がする。
先生はね、本当に観ていて飽きない人なんだよね。
色んなことを考えている人で、物事を考えることが趣味なのではないかと思ったりする(笑)
あっ!大切な先生を馬鹿になんてしてないよ。
趣味っていうのはね、時間潰しでするようなものではないでしょ!?
自分の好きなこととなると、どんなことよりも努力したり頑張れたりするものが趣味というものであって、極めれば極めるほど空の高さを知るものだと思う。
定年後に趣味を持とうとして失敗した人と数知れず話したけれど、本当は好きなことでなかったんだよね。
だけどね、趣味が高じて生き甲斐を手に入れた人もちゃんといるのだから、結局、人真似では好きなことに一途になれないということかなぁ~。
まあ恋愛だって同じで、取りあえず…なんて考えたら、絶対に飽きるよね。
だって好きでもないことに時間を費やしたりするのが億劫になるでしょ!?
恋愛が終った人に感想を聞くと(笑)、「疲れた」という答えが返ってくることが多いけれど、仕事じゃあるまいし果たして何に疲れたのだろうか?と思ってしまう。
それにもまして、「嫌いになった訳じゃないけど…」などと尾びれが付くと、ますますわからなくなってしまう。
私の恋愛相談は至って簡単なもので、「言葉の通り、最初から好きじゃなかったんでしょ!?」で終ってしまう。
「嫌いではないけれど、好きでもなかった…。好きだと思っていたけれど、結局、私が愛していたのは私でした
」
と、この際ハッキリ言ってもいいんじゃないのかなぁ~(^_^;)
まあね、そんなことが堂々と言えるような人であれば疲れたりはしないんだろうけれど、それならば相手の否を責めるのはどうかなぁ~と思ったりする。
こうして…ああして…と言わなくても、自分の気持ちをわかってくれる人の方がいいのはもちろんだよね。
だけどね、そんな人はそうは居ないよ。
育ててくれた親だってわからないことがあるのに、まして他人となると全てを分かり合える関係になるには相当な時間が必要となるでしょ。
だけどね、時間短縮の鍵は自分が持っているんだよね。
自らを曝け出すことで扉は開かれるものであって、そこから恋はスタートするのだからね。
私はね、性格は荒いし、酒乱だし、オマケに捻くれ者ときてる。
そんな自分を私自身知っているのだけれど、それでも先生は傍に居てくれる。
他人事に聞こえるかもしれないけれど、先生って不思議な人だなぁ~と思うよ。
だけどね、先生はこんな私を唯一認めてくれた人なんだよね。
きっと先生なら、私の犯した罪まで許してくれると思えた。
私は死にたいと願う母を殺そうとした。
もちろん死ぬほどのことではなかったのかもしれない。
あれこれと母との思い出を語れば、心情として許されることがあるかもしれないけれど、でも少なくても私に殺意があったことに変わりはない。
たとえどんな想いであっても、許されることではないよね。
私は許されたくなかった。一生、許されることを望んではいなかった。
だけどね、母のことを語りたい気持ちがいつもあったよ。
母の素晴らしさを伝えたい、母のような人になりたかったと言いたい。
だけどね、罪が許されるまでは、誰にも語ることが出来なかった。
いつかは、この苦しみから逃れたいと思ってきた。
そう思いながら十年が経った頃、空から先生が降ってきた。
その日は私の心と同じように半月の夜だった。
月はいつか満ちるけれど、私の心の半分は一生暗闇のままなのか?と思ったら急に切なくなった。
そして私は先生と出会い、心の底から懺悔をした。
「もういい…、もういいよ…」
先生の言葉はとても短かったけれど、神様から許しがもらえたような気がした。
母が亡くなってから、大袈裟に泣いたことはなかった。
それでもうっすらと目頭が熱くなる度に、心を鬼にした。
だけどね、先生から許しがもらえた日は胸の奥が温かくて、朝までかけて十年分泣いちゃった。
泣きながら、高校の修学旅行に行く朝に忘れ物をしたことを思い出した。
今でも何を忘れたか?思い出せないくらいだから、たいした物ではなかったんだろうね。
身支度を整え、両親に見送られ家を出た。
「忘れ物はないか?」
「危ないことはしないでね」
支度の最中、何度も聞かれて五月蝿いくらいだった。
私は少し腹立たしさを感じながら、そっけなく家を出た。
最寄駅に電車が着いていつもの窓際に立つ電車は定刻どおり走り出す。
これで全て順調だと思った。
だけど線路脇の細い道を一生懸命自転車を漕ぐ母の姿を見つけた。
私を見つけた母は、大声で叫びながら手に持っているものを見せるのだけど、結局何だかわからなかった。
私は手を横に振り「大丈夫、いらないよ…」と言ったつもりだった。
だけど母は私がバイバイをしていると思ったらしく、優しい顔で手を振り「気をつけて…」と言った。
今でも母の口元の動きを鮮明に覚えている。
だけど、先生に話すまでは忘れていたんだよね。
大切な思い出を封印したまま、私は十年間を生きてきたことに気付いたよ。
「もういいよ…」と先生に言われた言葉が、今では母の言葉のように思える。
私は先生によって救われた。
苦しみから逃れることばかり考えていたけれど、まずは自分を受け入れることを許さなければ、心が解放されることはなかったんだろうね。
人は神になれると、今だから思う。
今だからこそ先生に出会えたのではないかと思う。
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