2011-07-31
私を受け入れて・・・
私を受け入れて…
どんなに広く愛されても私は真の幸福を味わうことがなかった。
ただ私が欲しかったものは、私の全てをありのまま受け入れてくれるたった一人の恋人だった。
今日のBSでアンデルセンに付いて番組をやっていた。
番組の最後しか見れなかったけど、赤い靴の結末が昔と今で違うのは、作者アンデルセンが許可したのかな?と思ったら、頭の中がアンデルセン一色になってしまった。
ハンス・クリスチャン・アンデルセン
人魚姫を書いた人は、なんて淋しい思いをこの作品に描いたのだろうと子供ながらに思った。
何かを失ったとしても、愛する人の傍にいたいと思った人魚姫。
博愛を受けながら、それでも最後は泡となって消えてしまう。
愛することが苦しいと…、まるで作者が語っているようだった。
なぜならそこには救いが描かれていたからで、彼は常に愛されたい(救われたい)と思っているのだと思った。
マッチ売りの少女は死(無)を幸福への希望とし、赤い靴は浮かれた自分を恥じながら、無になることで罪を相殺しようとしたのかもしれない。
だからね、赤い靴の少女は、踊りながら消息不明となったのでは物語は壊れてしまう。
足を斬られ不自由な体となり、自分の犯した罪を反省することで天に召されて幸福を得る。
これがアンデルセンの望みだったとしたら、物語を逸脱するのはとても惨いことのような気がした。
容姿のコンプレックスに加えて、孤独を好む人柄、そして独特の世界観が彼を恋愛から遠ざけたのかもしれない。
その他、白鳥の王子、親指姫にしても醜い存在を登場させることで、自分の抱えるコンプレックスを知ってもらいたかったのではないか?と思った。
アンデルセンが70歳で亡くなった時、王子や各国の大使、子供から年配者、浮浪者に至るまでが葬式に参列して大騒ぎになった。
彼はこの事実を見ることが出来なかったけれど、もし?他者として葬儀に参列したとしたら、果たして幸福としたのだろうか?
これほどまで世界中で愛読されていたにもかかわらず、彼は三度失恋をした。
ラブレター代わりに自分の生い立ちから各国を旅した記録、童話作家としてデビューした理由、初恋に敗れた悲しさなどを綿々と綴って送った。
極度の心配性もあり、彼の奇行が相手にとって相応しいものではなかったのかもしれないよね…。
でも私はこんなラブレターを一生に一度でいいからもらってみたいと思う。
そこに愛の言葉が繰り返し書かれていなくても、こんなラブレターを送ってくれる人の感性に惹かれてしまうと思う。
巡りあわせなど、ホントに不思議なものだよね(^^)v
そう思うと彼が愛する人に心から愛され満たされたら、そこからどんな作品が生まれたのだろうと思うと残念なんだよね。
きっと幸福だけを綴った作品は、他の作品より群集に愛されないかもしれない。
貧困、階級格差によって切なさを共有できるものが少ないだろうからね。
彼が幸福を書くとなればグリム童話のような俗説を交えた物語ではなく、完全な創作世界だと私は自分勝手に思っているから(笑)、天国でも地獄でもない私たちの知らない未知なる現世の幸福物語が描かれたかもしれないし、それとも作品を書かなくなってしまうかもしれないけれど、書かないことで事実を伝える感情もあるかもしれないよね。
もちろん彼が一人の女性から愛された上で、もっと多くの愛を望んだとしていいと思う。
だけどね…どんなに大勢に愛されたとしても、ありのままの自分を受け入れてもらえないと自分自身が悟ってしまうほど切ないものはないと思う。
占いは統計だとしたら、出会いは確率に近い。
だけどね…どちらか一方的な出会いでは、縁は成立しないのかもしれないね。
私は先生を好きと思う気持ちより多く、先生に出会えて良かったといつも思ってる。
もちろん出会いそれだけに意味があるとは思っていないけれど、この小さな偶然がなかったら、私は先生に気持ちを伝える機会に出会えなかったと思うと、先生が私と同じ時代に生まれてきてくれて本当に嬉しいと、そこまで思いが広がるよ。
子供の頃体験した切なさも無邪気さも、誰にも語らないまま終わってしまった気がするし、幸福がある種の恐怖をうむことを知らなかったことも知ることができた。
一人では狭かった世界がどんどん広がるんだから、毎日楽しくないはずないよね。
私は楽しいことが大好きだから、先生の傍にいられる今を大変嬉しく思っています。
美月(^_^)v
どんなに広く愛されても私は真の幸福を味わうことがなかった。
ただ私が欲しかったものは、私の全てをありのまま受け入れてくれるたった一人の恋人だった。
今日のBSでアンデルセンに付いて番組をやっていた。
番組の最後しか見れなかったけど、赤い靴の結末が昔と今で違うのは、作者アンデルセンが許可したのかな?と思ったら、頭の中がアンデルセン一色になってしまった。
ハンス・クリスチャン・アンデルセン
人魚姫を書いた人は、なんて淋しい思いをこの作品に描いたのだろうと子供ながらに思った。
何かを失ったとしても、愛する人の傍にいたいと思った人魚姫。
博愛を受けながら、それでも最後は泡となって消えてしまう。
愛することが苦しいと…、まるで作者が語っているようだった。
なぜならそこには救いが描かれていたからで、彼は常に愛されたい(救われたい)と思っているのだと思った。
マッチ売りの少女は死(無)を幸福への希望とし、赤い靴は浮かれた自分を恥じながら、無になることで罪を相殺しようとしたのかもしれない。
だからね、赤い靴の少女は、踊りながら消息不明となったのでは物語は壊れてしまう。
足を斬られ不自由な体となり、自分の犯した罪を反省することで天に召されて幸福を得る。
これがアンデルセンの望みだったとしたら、物語を逸脱するのはとても惨いことのような気がした。
容姿のコンプレックスに加えて、孤独を好む人柄、そして独特の世界観が彼を恋愛から遠ざけたのかもしれない。
その他、白鳥の王子、親指姫にしても醜い存在を登場させることで、自分の抱えるコンプレックスを知ってもらいたかったのではないか?と思った。
アンデルセンが70歳で亡くなった時、王子や各国の大使、子供から年配者、浮浪者に至るまでが葬式に参列して大騒ぎになった。
彼はこの事実を見ることが出来なかったけれど、もし?他者として葬儀に参列したとしたら、果たして幸福としたのだろうか?
これほどまで世界中で愛読されていたにもかかわらず、彼は三度失恋をした。
ラブレター代わりに自分の生い立ちから各国を旅した記録、童話作家としてデビューした理由、初恋に敗れた悲しさなどを綿々と綴って送った。
極度の心配性もあり、彼の奇行が相手にとって相応しいものではなかったのかもしれないよね…。
でも私はこんなラブレターを一生に一度でいいからもらってみたいと思う。
そこに愛の言葉が繰り返し書かれていなくても、こんなラブレターを送ってくれる人の感性に惹かれてしまうと思う。
巡りあわせなど、ホントに不思議なものだよね(^^)v
そう思うと彼が愛する人に心から愛され満たされたら、そこからどんな作品が生まれたのだろうと思うと残念なんだよね。
きっと幸福だけを綴った作品は、他の作品より群集に愛されないかもしれない。
貧困、階級格差によって切なさを共有できるものが少ないだろうからね。
彼が幸福を書くとなればグリム童話のような俗説を交えた物語ではなく、完全な創作世界だと私は自分勝手に思っているから(笑)、天国でも地獄でもない私たちの知らない未知なる現世の幸福物語が描かれたかもしれないし、それとも作品を書かなくなってしまうかもしれないけれど、書かないことで事実を伝える感情もあるかもしれないよね。
もちろん彼が一人の女性から愛された上で、もっと多くの愛を望んだとしていいと思う。
だけどね…どんなに大勢に愛されたとしても、ありのままの自分を受け入れてもらえないと自分自身が悟ってしまうほど切ないものはないと思う。
占いは統計だとしたら、出会いは確率に近い。
だけどね…どちらか一方的な出会いでは、縁は成立しないのかもしれないね。
私は先生を好きと思う気持ちより多く、先生に出会えて良かったといつも思ってる。
もちろん出会いそれだけに意味があるとは思っていないけれど、この小さな偶然がなかったら、私は先生に気持ちを伝える機会に出会えなかったと思うと、先生が私と同じ時代に生まれてきてくれて本当に嬉しいと、そこまで思いが広がるよ。
子供の頃体験した切なさも無邪気さも、誰にも語らないまま終わってしまった気がするし、幸福がある種の恐怖をうむことを知らなかったことも知ることができた。
一人では狭かった世界がどんどん広がるんだから、毎日楽しくないはずないよね。
私は楽しいことが大好きだから、先生の傍にいられる今を大変嬉しく思っています。
美月(^_^)v
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Re: 話が飛ぶねえ・・・
先生・・・あのぉ~結局、褒められてるのか? 落とされているのか?
どちらなのか・・・わからないけれど…、
私はサルでも神でも先生の傍に居られるなら、それだけでいいと思っちゃう(^^)v
> おっと、話が長くなりましたが、私は猿と一緒にいるのが楽しくて仕方ないのです。
やっぱり動物愛護団体の人みたいなこと言ってるし…(笑)
でも先生は太陽だなぁ・・・ちょこっと青白いけど、私は先生がいるから輝ける。
だってね、この人生、楽しいもん!
先生と一緒なら、どこまでも遠くまで歩いていけるような気がするもん。
てへへっ・・・先生、大好きッ!美月(^^)v
どちらなのか・・・わからないけれど…、
私はサルでも神でも先生の傍に居られるなら、それだけでいいと思っちゃう(^^)v
> おっと、話が長くなりましたが、私は猿と一緒にいるのが楽しくて仕方ないのです。
やっぱり動物愛護団体の人みたいなこと言ってるし…(笑)
でも先生は太陽だなぁ・・・ちょこっと青白いけど、私は先生がいるから輝ける。
だってね、この人生、楽しいもん!
先生と一緒なら、どこまでも遠くまで歩いていけるような気がするもん。
てへへっ・・・先生、大好きッ!美月(^^)v
話が飛ぶねえ・・・
大人の玩具屋さんの話からアンデルセン童話へ話が飛ぶとは・・・天衣無縫だねえ。
普通の人間ってのは、自分のスタイルを認識しつつ、自分の論理過程を確かめつつ、そこから逸脱しないように話を進めていくものです。
ところが美月は勝手放題、感情・感覚の思うがままにぶつけてくるわけです。
断片で接する読者の皆さんはいいですが、首尾一貫してつきあっている私の苦労をおわかり戴けますか?
叱ればむくれるし、褒めればつけ上がるし、叩けば叩き返されるし・・・猿廻しの調教は大変だろうねえ。
でもこんな猿だから一緒にいられるのかな・・・
直観力は相当なものだし、時々感情を揺さぶることを書くし・・・まあ、10回に1回だけど、ゾクゾクするような真実を言い当てるのですね。
だから10回に1回は神に見える。残り9回は猿なんだけどね。
だから神と猿は同じなんですよ。
人間は10回に1回も神には見えない。残り9回も猿には見えない。全部人間です。だからつまらない。
おっと、話が長くなりましたが、私は猿と一緒にいるのが楽しくて仕方ないのです。
普通の人間ってのは、自分のスタイルを認識しつつ、自分の論理過程を確かめつつ、そこから逸脱しないように話を進めていくものです。
ところが美月は勝手放題、感情・感覚の思うがままにぶつけてくるわけです。
断片で接する読者の皆さんはいいですが、首尾一貫してつきあっている私の苦労をおわかり戴けますか?
叱ればむくれるし、褒めればつけ上がるし、叩けば叩き返されるし・・・猿廻しの調教は大変だろうねえ。
でもこんな猿だから一緒にいられるのかな・・・
直観力は相当なものだし、時々感情を揺さぶることを書くし・・・まあ、10回に1回だけど、ゾクゾクするような真実を言い当てるのですね。
だから10回に1回は神に見える。残り9回は猿なんだけどね。
だから神と猿は同じなんですよ。
人間は10回に1回も神には見えない。残り9回も猿には見えない。全部人間です。だからつまらない。
おっと、話が長くなりましたが、私は猿と一緒にいるのが楽しくて仕方ないのです。
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