2011-06-02
一途だからできること
過去記事より引用 (2011年2月20日に書いたものです)
先週は木曜日に先生に逢いに行きました。
最近、新たな馴染みの店となりつつある中華料理店に行き、マスターから紹興酒のボトルと杏仁豆腐をご馳走になりました。
この店に一歩入ると、どこでもドアで本場中国にいる気分になります。
日本人のお客さんと言えば、私達を除いて中国女性に連れて来られる同伴客くらいしかいません。
どこか妖しい雰囲気の店ではありますが、お客さまが殆どいないのにも関わらず、それでも経営できているのだから、きっと一般の人が眠りにつく頃から、新たな夜を迎え賑わう店なのだろうと思います。
先生と逢える日は、いつも楽しく過ごさせてもらっています。
私の喜びが伝わるのか?…
先生と一緒に出会う人達には、とても優しく接してもらっています。
二人がいて二人が楽しめるようにとの心遣いに感謝しながら、私はいつも先生を見つめる。
だから先生がいなくなったら、見るもの聞くものが独り分になってしまうと思うと、何倍も寂しく感じると思います。
恋愛に関して日々ラブストーリーを綴るのは結構至難の業で(笑)、ネタとした気の利いた物語ばかりあるわけではありません。
毎日が記念日だけど毎日が初舞台ではないから、馴れた感性の中で言葉にしない大切な感情もあるしね。
二人なら単語一つでわかることも、単語一つを説明するのに何行も必要としなくてはならないものは、実はその殆どが文章から削除されてしまっています。
だから私はただ楽しい、嬉しいとだけ書いてしまうのかもしれません(*^^)v
それでも恋愛ブログです(エロブログかな???)
たまには気の利いたことも書かなくてはならない気がして(笑)
私が書くことに困っていると察すると、先生が「○○について書いてみたら…」と応援を出してくれることもあります。
今回は「宮城マリ子さんと吉行淳之介さん」についてでした。
お二人については、先生と色んなことをテーマに話してきました。
一途な愛、同士として、唯一無二の存在価値についてなど…語ればキリがないほど奥深さを持つお二人だと思います。
でも今回、私が書きたいことは、ねむの木学園詐欺事件についてです。
宮城まり子さんの口座から多額の現金が引き出された事件です。
(詐欺容疑で逮捕されたのは、作詞作曲家の広沢憲行容疑者、広沢容疑者が元学園職員の近藤由美子容疑者に引き出させていた銀行口座は宮城さん個人と学園のものを合わせて十数口座あり、被害総額は総額5億円に上るとみている)
ある記事にマリ子さんが事件に気付いたのは、昨年の六月だったと書いてありました。
昨年の六月???私の記憶に昨年の六月の感情が浮かびました。
岡山の吉備路文学館で『宮城まり子が選ぶ吉行淳之介作品展』を開催している時だと思います。
吉行さんは岡山で生まれた人だから、この地で17回忌をやろうとずっと思っていたのでしょうね。
関連ブログを読んで、「遺言状をはじめとした全ての展示物は簡潔でありながら愛らしくて…」とあったので、先生と行ってみたいなぁ~と思った。 でも岡山は少し遠かった。
「全著作権を宮城まり子に贈与する」
この一文が彼の遺言状らしいけれど、以前、先生と語り合った時の私は、この文面に憧れを持っていたような気がします。
心貧しい私は、愛が「形」となった一つのお手本として見ていたのかもしれない。
もちろん著作権譲渡=金銭的譲渡とは思ってはいなかったけれど、作家が作品の権利を任せてくれることに、彼の愛の深さを感じ取ろうとしていたのかもしれない。
先生がとある賞で大賞を頂いた日、私はとても嬉しくて、上野の空にも風にも感謝したい気持ちだった。
こんな感動の日を先生と迎えられたことが嬉しくて、また馴染みの店に行けば手厚いお祝いを頂いてまた感動。
大将とお母さんから送られたユリ(カサブランカ)の花束はとても重くて、歩くたびに香りが街全体を華やかにしてくれるほど優雅に香っていた。
一生懸命堪えていたけれど、お酒が入ると気が緩んでしまって、キャッチの男女と酔っ払いだらけの繁華街を歩きながら、「わんわん」と大声出して泣いちゃった。
「お前は馬鹿だなぁ・・・」
先生はそう言うと「もっと感動させてやる」と言ってくれた。
呑気な私が愚か者に見えてくるほど、とても厳しい顔をして先生が言った。
私は先生の日常の苦悩がわかるから、その言葉をとても重いものとして受け止めた。
あの日から、私は欲しがる物の殆どがなくなったかもしれない。
何もなくていいからね、何も残らなくてもいいから、先生がいつまでも私の傍にいてくれたらそれでいいと思った。
だから今更、岡山に行く必要もないと思ったので、先生に作品展があることも言わなかった。
確かに人を真似ること、人から習うことは、とても大切なことで必要なことかもしれない。
でも人間だから猿真似で終ってはいけないと、私は常に思う。
赤ちゃんは、最初意味なく笑うでしょ(笑)
でね、そのうちに微笑みを返してくれるようになる。
そして微笑むことが、お互いの喜びになることを知るんだよね。
大人になっても一緒だから、誰かを真似たらしっかり自分の行動として活用しなくちゃつまらないよね(^^♪
あれれ?話がずれちゃった…。
先生…、悪い癖だとちゃんと思っているけれど、癖ってなかなか治らないものだね(汗)
今夜私が書きたいことは、こんな呑気なことじゃないのに、どうも先生の顔が浮かんでくると気が緩んで浮かれちゃう。きっと私が思うより、私は先生に甘えているのかもしれないなぁ(^^ゞ
私は今回の事件を怒っている!…こうして書いている今も、本気でかなり怒っている。
それはね、詐欺事件に対してだけじゃないよ。
もちろん事件に対しては、怒り以上に学園の子供達が慕う人が今回の事件を起こしたことが悲しい。
そして被害者であるべき人(マリ子さん)を否定する人の心に触れれば、心はもっと切なくなる。
彼女は人を信じて騙されてしまったのだからね。
それを「老いたボケ」と書いていた人もいれば、養護施設を金儲けとしていたと書いていた人もいた。
彼女が口座にお金がないのに気付いたのが六月とすれば、去年の作品展を開くために、お金を引き出そうとしたのだろうと思う。
もし?彼女が金儲けに夢中なら、口座に残金が残り僅かとなる前に気付けたはずでしょ!?
施設のお金は、吉行さんの命の欠片でもあるから、彼女が大切に使わない訳ないのにね。
職人は苦悩する度に自分の命を削ってまでして作品を手がける。
今も彼(吉行)の命は、彼をお父様と慕っている施設の子供たちの命を生かしてくれているんだよ。
本当に大切な大切なお金なんだよ。
ねむの木学園を創ろうと思ったときに、彼女は彼と3つの約束をした。
彼女を批判をする人は、多くのことを調べて知り得てから、言葉を発したのかな?
ねむの木学園の子供たちが書いた絵を、一度だって真正面から見たことがあるのかな?
どの絵を見ても、ゆったりとした時間の中だから書ける作品ばかりだよ。
毎年どの作品をみても、どの子が書いた絵も、豊かな感性をしっかりと生かしてもらっている。
「慌てなくていいんだよ」
「思うまま、自由に書いていいんだよ」
そんな優しい声まで一緒に聞こえてくる作品ばかりだよ。
見守る人はね、子供たちと同じ時間をいつも一緒に過ごしているんだね。
一枚の絵に百軒の家が書かれていても、家、色だけを先合わせて書き塗るわけでもなく、一軒ずつ、一窓ずつ、鉛筆、絵筆を置いて、一生懸命思案しながら、優しく書いているんだよ。
養護ではなく「愛護」だと彼女は言うのだけれど、世の中から愛されることが薄かった子供達が母と慕う彼女を批判できるほど強く豊かな人間なら、彼女の全てを引き受けてから否定すればいいよね。
ちゃんと顔を出して「俺なら…」、「私なら…」もっとこの子達を豊かにしてやる!と、ハッキリ言えばいいんだよね。
何もできない影ぼうしなら、せめて黙って静かに見守る優しさくらい持っていてもいいんじゃないかな?
世の中、批判や反論があって当然だと思う。
だから私は会社でもちゃんと「言いたいことははっきり言え!」とえばって言ってる(^^ゞ
その代わり、どうしたいか?どうするべきか?を伝える意思がないのなら、ただの愚痴などこの場で言うべきではないとも言っている。
だからね、会議であっても常に喧嘩が耐えないのだけれど、でもね、真剣に話し合う気がないのなら会議なんて決定事項の報告書だけ配れば十分だし、何も貴重な時間を割いてまでつまらない顔を突き合せている必要もないと思ってる。
他の会社はわからないけれど、意見することで自分の立場が不利になると考えてしまう状況に職場があるのなら、まずはそんな人間の下にいることを嘆げくべきだと思うよね。
「でも、そうできる人ばかりではないんだよ…」
うん、そう言われたことは、今まで何度もあるよ。
でもね、「どうしてそう思うのか?」聞いてみる。
「私を信じられないのに、私の指示に従って苦しくないの?」と聞いてみる。
私ね…、本当の強さは、優しさを沢山持っていることだと思う。
私はまだまだ人間としてはお粗末だから、事あるごとに感情が先走ってしまうけれど、先生と出会えたことで優しさに触れる機会が増えたと感謝してるんだよ。
この気持ちってね、感動なんだよね。
何も大それた出来事ばかりが感動を呼ぶのではなく、小さなことに気付けることで喜べることって沢山ある。
その感動を伝えられる人がいて、心と心がリンクした時の幸福ってね、かけがえのないものだと思うんだよ。
先生と出会ってから七年経って、以前よりもっとおばさん顔になってしまったけれど、眉間の皺は場所をかえ笑い皺へと移動した。
同じ皺でも場所が違うだけで、顔がちょこっと優しく見えるのだから、美的容姿なんてものは曖昧な判断かもしれないよね(^^♪
お越しくださった皆様へ…。
いつもご愛読いただきましてありがとうございます。
名誉もお金もない私が、こうして人様に心を伝えらているのも、日々応援してくださる皆様の支えがあってのことだと厚く感謝しています。
世間的に言えば不貞(不倫)をはたらいている女が語ることではないお題かもしれませんが、一つだけお願いさせていただけるなら、弱き人や手を差し伸べる人と出会う機会があったなら、どうぞその時は優しく接してあげてくださいね。
何気ない一言であっても、何気ない微笑であっても、いつまでも小さな思い出を胸に抱いて、感謝しながら生きている人も沢山いるのだからね。
何かをして損だと思うのではなく、何かさせていただることに感謝することができれば、人生は何倍も楽しくなると私に教えてくれたのは尊き神ではなく、同じ赤い血の流れた人の心の豊かさです。
例えどんな試練であろうと…乗り越えたいと思う一途さを持つことで、辛い今があっても明日を明るい日と書けるのだと思います。
愛する人への思い、長年温めてきた感謝の気持ちを、これからも大切にしていきたい。
灰になるまで…
先生へ…
いつか私がもっと年を取り、世の中に流され心醜いと感じる時があれば、その時は菫の花を贈ってくださいね。 きっと宮城マリ子さんは、雛子のような女性なのかもしれませんね。
菫の花言葉は一途な愛です。
一途だからできることが、いつか深い感動に繋がるよう、これからもまっすぐ一本道で歩んでいこうと思っています。
美月
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いつも応援ありがとうございます(*^_^*)
先週は木曜日に先生に逢いに行きました。
最近、新たな馴染みの店となりつつある中華料理店に行き、マスターから紹興酒のボトルと杏仁豆腐をご馳走になりました。
この店に一歩入ると、どこでもドアで本場中国にいる気分になります。
日本人のお客さんと言えば、私達を除いて中国女性に連れて来られる同伴客くらいしかいません。
どこか妖しい雰囲気の店ではありますが、お客さまが殆どいないのにも関わらず、それでも経営できているのだから、きっと一般の人が眠りにつく頃から、新たな夜を迎え賑わう店なのだろうと思います。
先生と逢える日は、いつも楽しく過ごさせてもらっています。
私の喜びが伝わるのか?…
先生と一緒に出会う人達には、とても優しく接してもらっています。
二人がいて二人が楽しめるようにとの心遣いに感謝しながら、私はいつも先生を見つめる。
だから先生がいなくなったら、見るもの聞くものが独り分になってしまうと思うと、何倍も寂しく感じると思います。
恋愛に関して日々ラブストーリーを綴るのは結構至難の業で(笑)、ネタとした気の利いた物語ばかりあるわけではありません。
毎日が記念日だけど毎日が初舞台ではないから、馴れた感性の中で言葉にしない大切な感情もあるしね。
二人なら単語一つでわかることも、単語一つを説明するのに何行も必要としなくてはならないものは、実はその殆どが文章から削除されてしまっています。
だから私はただ楽しい、嬉しいとだけ書いてしまうのかもしれません(*^^)v
それでも恋愛ブログです(エロブログかな???)
たまには気の利いたことも書かなくてはならない気がして(笑)
私が書くことに困っていると察すると、先生が「○○について書いてみたら…」と応援を出してくれることもあります。
今回は「宮城マリ子さんと吉行淳之介さん」についてでした。
お二人については、先生と色んなことをテーマに話してきました。
一途な愛、同士として、唯一無二の存在価値についてなど…語ればキリがないほど奥深さを持つお二人だと思います。
でも今回、私が書きたいことは、ねむの木学園詐欺事件についてです。
宮城まり子さんの口座から多額の現金が引き出された事件です。
(詐欺容疑で逮捕されたのは、作詞作曲家の広沢憲行容疑者、広沢容疑者が元学園職員の近藤由美子容疑者に引き出させていた銀行口座は宮城さん個人と学園のものを合わせて十数口座あり、被害総額は総額5億円に上るとみている)
ある記事にマリ子さんが事件に気付いたのは、昨年の六月だったと書いてありました。
昨年の六月???私の記憶に昨年の六月の感情が浮かびました。
岡山の吉備路文学館で『宮城まり子が選ぶ吉行淳之介作品展』を開催している時だと思います。
吉行さんは岡山で生まれた人だから、この地で17回忌をやろうとずっと思っていたのでしょうね。
関連ブログを読んで、「遺言状をはじめとした全ての展示物は簡潔でありながら愛らしくて…」とあったので、先生と行ってみたいなぁ~と思った。 でも岡山は少し遠かった。
「全著作権を宮城まり子に贈与する」
この一文が彼の遺言状らしいけれど、以前、先生と語り合った時の私は、この文面に憧れを持っていたような気がします。
心貧しい私は、愛が「形」となった一つのお手本として見ていたのかもしれない。
もちろん著作権譲渡=金銭的譲渡とは思ってはいなかったけれど、作家が作品の権利を任せてくれることに、彼の愛の深さを感じ取ろうとしていたのかもしれない。
先生がとある賞で大賞を頂いた日、私はとても嬉しくて、上野の空にも風にも感謝したい気持ちだった。
こんな感動の日を先生と迎えられたことが嬉しくて、また馴染みの店に行けば手厚いお祝いを頂いてまた感動。
大将とお母さんから送られたユリ(カサブランカ)の花束はとても重くて、歩くたびに香りが街全体を華やかにしてくれるほど優雅に香っていた。
一生懸命堪えていたけれど、お酒が入ると気が緩んでしまって、キャッチの男女と酔っ払いだらけの繁華街を歩きながら、「わんわん」と大声出して泣いちゃった。
「お前は馬鹿だなぁ・・・」
先生はそう言うと「もっと感動させてやる」と言ってくれた。
呑気な私が愚か者に見えてくるほど、とても厳しい顔をして先生が言った。
私は先生の日常の苦悩がわかるから、その言葉をとても重いものとして受け止めた。
あの日から、私は欲しがる物の殆どがなくなったかもしれない。
何もなくていいからね、何も残らなくてもいいから、先生がいつまでも私の傍にいてくれたらそれでいいと思った。
だから今更、岡山に行く必要もないと思ったので、先生に作品展があることも言わなかった。
確かに人を真似ること、人から習うことは、とても大切なことで必要なことかもしれない。
でも人間だから猿真似で終ってはいけないと、私は常に思う。
赤ちゃんは、最初意味なく笑うでしょ(笑)
でね、そのうちに微笑みを返してくれるようになる。
そして微笑むことが、お互いの喜びになることを知るんだよね。
大人になっても一緒だから、誰かを真似たらしっかり自分の行動として活用しなくちゃつまらないよね(^^♪
あれれ?話がずれちゃった…。
先生…、悪い癖だとちゃんと思っているけれど、癖ってなかなか治らないものだね(汗)
今夜私が書きたいことは、こんな呑気なことじゃないのに、どうも先生の顔が浮かんでくると気が緩んで浮かれちゃう。きっと私が思うより、私は先生に甘えているのかもしれないなぁ(^^ゞ
私は今回の事件を怒っている!…こうして書いている今も、本気でかなり怒っている。
それはね、詐欺事件に対してだけじゃないよ。
もちろん事件に対しては、怒り以上に学園の子供達が慕う人が今回の事件を起こしたことが悲しい。
そして被害者であるべき人(マリ子さん)を否定する人の心に触れれば、心はもっと切なくなる。
彼女は人を信じて騙されてしまったのだからね。
それを「老いたボケ」と書いていた人もいれば、養護施設を金儲けとしていたと書いていた人もいた。
彼女が口座にお金がないのに気付いたのが六月とすれば、去年の作品展を開くために、お金を引き出そうとしたのだろうと思う。
もし?彼女が金儲けに夢中なら、口座に残金が残り僅かとなる前に気付けたはずでしょ!?
施設のお金は、吉行さんの命の欠片でもあるから、彼女が大切に使わない訳ないのにね。
職人は苦悩する度に自分の命を削ってまでして作品を手がける。
今も彼(吉行)の命は、彼をお父様と慕っている施設の子供たちの命を生かしてくれているんだよ。
本当に大切な大切なお金なんだよ。
ねむの木学園を創ろうと思ったときに、彼女は彼と3つの約束をした。
- 愚痴を言わない
- お金が無いと言わない
- 途中でやめない
彼女を批判をする人は、多くのことを調べて知り得てから、言葉を発したのかな?
ねむの木学園の子供たちが書いた絵を、一度だって真正面から見たことがあるのかな?
どの絵を見ても、ゆったりとした時間の中だから書ける作品ばかりだよ。
毎年どの作品をみても、どの子が書いた絵も、豊かな感性をしっかりと生かしてもらっている。
「慌てなくていいんだよ」
「思うまま、自由に書いていいんだよ」
そんな優しい声まで一緒に聞こえてくる作品ばかりだよ。
見守る人はね、子供たちと同じ時間をいつも一緒に過ごしているんだね。
一枚の絵に百軒の家が書かれていても、家、色だけを先合わせて書き塗るわけでもなく、一軒ずつ、一窓ずつ、鉛筆、絵筆を置いて、一生懸命思案しながら、優しく書いているんだよ。
養護ではなく「愛護」だと彼女は言うのだけれど、世の中から愛されることが薄かった子供達が母と慕う彼女を批判できるほど強く豊かな人間なら、彼女の全てを引き受けてから否定すればいいよね。
ちゃんと顔を出して「俺なら…」、「私なら…」もっとこの子達を豊かにしてやる!と、ハッキリ言えばいいんだよね。
何もできない影ぼうしなら、せめて黙って静かに見守る優しさくらい持っていてもいいんじゃないかな?
世の中、批判や反論があって当然だと思う。
だから私は会社でもちゃんと「言いたいことははっきり言え!」とえばって言ってる(^^ゞ
その代わり、どうしたいか?どうするべきか?を伝える意思がないのなら、ただの愚痴などこの場で言うべきではないとも言っている。
だからね、会議であっても常に喧嘩が耐えないのだけれど、でもね、真剣に話し合う気がないのなら会議なんて決定事項の報告書だけ配れば十分だし、何も貴重な時間を割いてまでつまらない顔を突き合せている必要もないと思ってる。
他の会社はわからないけれど、意見することで自分の立場が不利になると考えてしまう状況に職場があるのなら、まずはそんな人間の下にいることを嘆げくべきだと思うよね。
「でも、そうできる人ばかりではないんだよ…」
うん、そう言われたことは、今まで何度もあるよ。
でもね、「どうしてそう思うのか?」聞いてみる。
「私を信じられないのに、私の指示に従って苦しくないの?」と聞いてみる。
私ね…、本当の強さは、優しさを沢山持っていることだと思う。
私はまだまだ人間としてはお粗末だから、事あるごとに感情が先走ってしまうけれど、先生と出会えたことで優しさに触れる機会が増えたと感謝してるんだよ。
この気持ちってね、感動なんだよね。
何も大それた出来事ばかりが感動を呼ぶのではなく、小さなことに気付けることで喜べることって沢山ある。
その感動を伝えられる人がいて、心と心がリンクした時の幸福ってね、かけがえのないものだと思うんだよ。
先生と出会ってから七年経って、以前よりもっとおばさん顔になってしまったけれど、眉間の皺は場所をかえ笑い皺へと移動した。
同じ皺でも場所が違うだけで、顔がちょこっと優しく見えるのだから、美的容姿なんてものは曖昧な判断かもしれないよね(^^♪
お越しくださった皆様へ…。
いつもご愛読いただきましてありがとうございます。
名誉もお金もない私が、こうして人様に心を伝えらているのも、日々応援してくださる皆様の支えがあってのことだと厚く感謝しています。
世間的に言えば不貞(不倫)をはたらいている女が語ることではないお題かもしれませんが、一つだけお願いさせていただけるなら、弱き人や手を差し伸べる人と出会う機会があったなら、どうぞその時は優しく接してあげてくださいね。
何気ない一言であっても、何気ない微笑であっても、いつまでも小さな思い出を胸に抱いて、感謝しながら生きている人も沢山いるのだからね。
何かをして損だと思うのではなく、何かさせていただることに感謝することができれば、人生は何倍も楽しくなると私に教えてくれたのは尊き神ではなく、同じ赤い血の流れた人の心の豊かさです。
例えどんな試練であろうと…乗り越えたいと思う一途さを持つことで、辛い今があっても明日を明るい日と書けるのだと思います。
愛する人への思い、長年温めてきた感謝の気持ちを、これからも大切にしていきたい。
灰になるまで…
先生へ…
いつか私がもっと年を取り、世の中に流され心醜いと感じる時があれば、その時は菫の花を贈ってくださいね。 きっと宮城マリ子さんは、雛子のような女性なのかもしれませんね。
菫の花言葉は一途な愛です。
一途だからできることが、いつか深い感動に繋がるよう、これからもまっすぐ一本道で歩んでいこうと思っています。
美月
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