2011-08-30
知らない町を旅してみたいから、先生と旅してみた(前編)
(たまには過去記事から…この記事は2010年5月5日に書いたものです)
昨日は先生と都内を旅してきました。
世間はゴールデンウィークと晴天が重なってか?観光地のある駅は、大変、込み合っていました。
先生との旅はいつも摩訶不思議な世界なのですが、昨日もいつもと変わらず先入観という重たい荷物を一切持たない手ぶらな旅でした。
ただ人々が普通に生活する街をゆっくり散策してみると、曲がりくねった道の先には予想を超えたお宝が沢山眠っています。
博物館に飾られた歴史とは違い、匂いのする建造物との出逢いは感動です。
先生と歩きながら『果たして旅って何だろう?』と考えていた。
ガイドブックに載っていない場所を歩くとなると、いつもながらの珍道中ですが(^_^;)、でもね先生と歩いていると不思議と腹が立つことが少ないんだよね。
人は予想もできない出来事に出会った時、自分の存在を有利なものに仕立ててようとするのかな!?
旅行先で喧嘩をしている家族(夫婦)をよく見かるけれど、ハネムーン離婚が一時騒がれたのと同様に、サプライズを期待する割には、ハプニングに弱いのも人間だよね(汗)
先生との旅は出発に起点おいて到着までを辿る旅とは違って、出会う出来ごと全てなんでもありだから、格別に面白いのかもしれない。
まあ、どこへ行っても丸ごと異邦人の私ですが。。。。(^^ゞ
最近、旅もね、メーク(make)だと思うようになりました。
お化粧もそうですが、どんな世界を作っていくか?それが楽しみの一つでもある気がする。
誰かの意見に左右されて受け取る感動は物足りなくて、いつもどこかにオリジナリティーを求めてしまうのは、貧乏人根性が板に付いているからだろうと思っています(笑)
まだまだ豊かではなかった子供の頃、けれど本当はね「これ欲しい」と言ったら買ってもらえんるだろうなぁ?と、心のどこかでは思っていた。
もし?それでも買ってくれないのなら、思いっきり駄々を捏ねて困らせようと思ったかもしれないけれど、でもね、私の小さな望みを叶えたことで両親の苦労を増やすのは嫌だった。
だからね、どんなものにも自分の世界を創ってしまうことで、誰も持ってないお宝をいっぱいに増やそうと思えたのかもしれない。
京成線、曳舟・・・。
高層ビルと隣り合わせにある下町の暮らしを垣間見た。
駅の真向かいには、昭和30年代に誰もが夢を競って描いただろう公団住宅が立っていた。
四畳半一間で家族と肩を寄り添い暮らしていた東京人にとって、3DKでお風呂付と言ったら夢の住宅だったに違いないと思う。
1000人に3人程の当選確率の中で夢を手にした家族達も、今は皆、高齢者となっているのかもしれないなぁ。
時折吹く強風に煽られながら、物干しにしがみ付くように干された洗濯物を見ていてそう思った。
上海では万博が行われることで市民生活に規制があるらしいけれど、東京スカイツリーのお膝元となるこの街も、洗濯物の干し方に規制が敷かれるのかな?と思ったら、馬鹿馬鹿しいほど愚かな規制だと思ってしまった。
私としては中国の人が自分の生きてる街をパジャマで歩いて何が悪い!と思ってしまうけれど、旅人が札束振って観光客でござる!という意識を持っている以上、それぞれの国の持つ豊かな文化に触れることはできないだろうと思う。
その街を訪れ、人に触れ、時の流れを知る、これも旅の楽しみだと思う。
旅人はその町に吹く風にそっと触れらたらいいと思うし、町って言うのはね、生活している人がいるから街になるのだろうからね。
そのうち『東京下町丸ごと博物館計画』となってしまうのか?と思うと、元東京人としては、ちょこっと悲しいけれど、「その土地を愛する人達がいる限り、街は存続し続けることが出来るのだろう」と先生に言われて、ちょっぴり元気を取り戻した。
旅の途中で、一人の男性が廃墟(立ち退き)となった住宅地の一角に忍び込んだのを目撃した。
先生と私は、じっと路地の先を眺めていた。
懐かしくも物悲しい風景に、私は必死になって何かを探そうとした。
でもついさっきまでケンケンパをしながら遊んでいた子供達は、どこにも見つからなかった。
夕ご飯のカレーの甘辛い匂いも、安っぽい植木鉢もなくなった玄関先のポストには、元の住人の名前だけが家族の軌跡を物語っていた。
「悲しむことはないんだよね・・・」そう自分に言い聞かせる。
「皆、立ち退きの代償はちゃんと貰っているんだよね・・・」と先生に聞いた。
先生は黙って「うん」と頷いて、そっと手を繋いでくれた。
あのね、仕方ないことだってわかっているんだよ。
私だって大人だし、汚いことだってしたし、人を見捨てたことだってある。
だけどね、追いてけぼりに去れたポストだけが、この路地の最後の瞬間を見届けるのか?と思うと、遠い記憶を思い出し、ちょっぴりセンチな気持ちになった。
東京スカイツリーを恨めしそうに眺めるかように、銭湯の煙突からは黒い煙がモクモクと立ち上っていた。
この煙が絶え消えることのないように・・。
そう願うのは旅人だからではなく、貴重な日本の文化財産の一つに触れる機会を与えられた者の一人として、後世に伝承していきたいものの一つであり、私の心を今も奮い立たせる潤滑油が銭湯の明かりだからかもしれない。
きゃあ~、すごい大袈裟だよね、我ながらそう思う(笑)
「この銭湯が売りに出たら買いたいっ!!!」と先生に言った。
もちろん!先生に買ってもらうつもりで言ったんだけどね(*^^)v
次回のお話は、先生、大絶賛の京成線、立石に今も昭和の香りがそのまま残る「呑んべ横丁」へと続きます。
美月
最後まで読んでくれてありがとうm(__)m
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昨日は先生と都内を旅してきました。
世間はゴールデンウィークと晴天が重なってか?観光地のある駅は、大変、込み合っていました。
先生との旅はいつも摩訶不思議な世界なのですが、昨日もいつもと変わらず先入観という重たい荷物を一切持たない手ぶらな旅でした。
ただ人々が普通に生活する街をゆっくり散策してみると、曲がりくねった道の先には予想を超えたお宝が沢山眠っています。
博物館に飾られた歴史とは違い、匂いのする建造物との出逢いは感動です。
先生と歩きながら『果たして旅って何だろう?』と考えていた。
ガイドブックに載っていない場所を歩くとなると、いつもながらの珍道中ですが(^_^;)、でもね先生と歩いていると不思議と腹が立つことが少ないんだよね。
人は予想もできない出来事に出会った時、自分の存在を有利なものに仕立ててようとするのかな!?
旅行先で喧嘩をしている家族(夫婦)をよく見かるけれど、ハネムーン離婚が一時騒がれたのと同様に、サプライズを期待する割には、ハプニングに弱いのも人間だよね(汗)
先生との旅は出発に起点おいて到着までを辿る旅とは違って、出会う出来ごと全てなんでもありだから、格別に面白いのかもしれない。
まあ、どこへ行っても丸ごと異邦人の私ですが。。。。(^^ゞ
最近、旅もね、メーク(make)だと思うようになりました。
お化粧もそうですが、どんな世界を作っていくか?それが楽しみの一つでもある気がする。
誰かの意見に左右されて受け取る感動は物足りなくて、いつもどこかにオリジナリティーを求めてしまうのは、貧乏人根性が板に付いているからだろうと思っています(笑)
まだまだ豊かではなかった子供の頃、けれど本当はね「これ欲しい」と言ったら買ってもらえんるだろうなぁ?と、心のどこかでは思っていた。
もし?それでも買ってくれないのなら、思いっきり駄々を捏ねて困らせようと思ったかもしれないけれど、でもね、私の小さな望みを叶えたことで両親の苦労を増やすのは嫌だった。
だからね、どんなものにも自分の世界を創ってしまうことで、誰も持ってないお宝をいっぱいに増やそうと思えたのかもしれない。
京成線、曳舟・・・。
高層ビルと隣り合わせにある下町の暮らしを垣間見た。
駅の真向かいには、昭和30年代に誰もが夢を競って描いただろう公団住宅が立っていた。
四畳半一間で家族と肩を寄り添い暮らしていた東京人にとって、3DKでお風呂付と言ったら夢の住宅だったに違いないと思う。
1000人に3人程の当選確率の中で夢を手にした家族達も、今は皆、高齢者となっているのかもしれないなぁ。
時折吹く強風に煽られながら、物干しにしがみ付くように干された洗濯物を見ていてそう思った。
上海では万博が行われることで市民生活に規制があるらしいけれど、東京スカイツリーのお膝元となるこの街も、洗濯物の干し方に規制が敷かれるのかな?と思ったら、馬鹿馬鹿しいほど愚かな規制だと思ってしまった。
私としては中国の人が自分の生きてる街をパジャマで歩いて何が悪い!と思ってしまうけれど、旅人が札束振って観光客でござる!という意識を持っている以上、それぞれの国の持つ豊かな文化に触れることはできないだろうと思う。
その街を訪れ、人に触れ、時の流れを知る、これも旅の楽しみだと思う。
旅人はその町に吹く風にそっと触れらたらいいと思うし、町って言うのはね、生活している人がいるから街になるのだろうからね。
そのうち『東京下町丸ごと博物館計画』となってしまうのか?と思うと、元東京人としては、ちょこっと悲しいけれど、「その土地を愛する人達がいる限り、街は存続し続けることが出来るのだろう」と先生に言われて、ちょっぴり元気を取り戻した。
旅の途中で、一人の男性が廃墟(立ち退き)となった住宅地の一角に忍び込んだのを目撃した。
先生と私は、じっと路地の先を眺めていた。
懐かしくも物悲しい風景に、私は必死になって何かを探そうとした。
でもついさっきまでケンケンパをしながら遊んでいた子供達は、どこにも見つからなかった。
夕ご飯のカレーの甘辛い匂いも、安っぽい植木鉢もなくなった玄関先のポストには、元の住人の名前だけが家族の軌跡を物語っていた。
「悲しむことはないんだよね・・・」そう自分に言い聞かせる。
「皆、立ち退きの代償はちゃんと貰っているんだよね・・・」と先生に聞いた。
先生は黙って「うん」と頷いて、そっと手を繋いでくれた。
あのね、仕方ないことだってわかっているんだよ。
私だって大人だし、汚いことだってしたし、人を見捨てたことだってある。
だけどね、追いてけぼりに去れたポストだけが、この路地の最後の瞬間を見届けるのか?と思うと、遠い記憶を思い出し、ちょっぴりセンチな気持ちになった。
東京スカイツリーを恨めしそうに眺めるかように、銭湯の煙突からは黒い煙がモクモクと立ち上っていた。
この煙が絶え消えることのないように・・。
そう願うのは旅人だからではなく、貴重な日本の文化財産の一つに触れる機会を与えられた者の一人として、後世に伝承していきたいものの一つであり、私の心を今も奮い立たせる潤滑油が銭湯の明かりだからかもしれない。
きゃあ~、すごい大袈裟だよね、我ながらそう思う(笑)
「この銭湯が売りに出たら買いたいっ!!!」と先生に言った。
もちろん!先生に買ってもらうつもりで言ったんだけどね(*^^)v
次回のお話は、先生、大絶賛の京成線、立石に今も昭和の香りがそのまま残る「呑んべ横丁」へと続きます。
美月
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tag : 東京スカイツリー
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